俳優の勝村政信が、9月15に放送されたテレビ東京系のサッカー番組『FOOT×BRAIN』(毎週土曜24:20~)でイタリアロケを敢行。セリエAの名門ユヴェントスFCの本拠地・トリノから、同クラブの歴史と強さの秘密に迫った。

イタリアの北西、アルプスのふもとに位置するトリノ。まず、勝村が訪れたのは「スペルガの丘」と呼ばれる場所。ここには、イタリアサッカーを紐解くために知っておかなければならない大事な歴史がある。この街には、ユヴェントスとトリノFCという2つのプロサッカークラブが存在し、今でこそ人気も実力もユヴェントスが上だが、かつてトリノFC
にもリーグ4連覇を達成した黄金時代があった。しかし、絶頂期の1949年5月4日に悲劇が起こった。アウェー遠征からの帰路、選手・スタッフを乗せた飛行機がこの丘に墜落したのだ……。31名が帰らぬ人となったこの事故は「スペルガの悲劇」として、イタリアにとどまらず世界中のサッカーファンの心に刻まれ、今でも多くの人々が追悼に訪れている。勝村も献花し、祈りを捧げた。

続いて勝村は、ホーム開幕戦を控えるアリアンツスタジアムへ。2011年に建設され、ヨーロッパでも最新の設備を誇る同スタジアムは、クラブカラーのビアンコネロ(白と黒)で統一され、ユヴェントスの改革の象徴となっている。ピッチサイドに降り立った勝村は「すげぇ~。大きいのにピッチが近く感じる」と感嘆。また、イタリアのスタジアムで客席に選手のベンチがあるのはここだけだと知り、伝統にあぐらをかくのではなく、良いものを積極的に取り入れていく姿勢に感銘を受けた。

また、スタジアム内の通路には、ロベルト・バッジオやジャンルカ・ヴィアッリら歴代名選手のパネルや、1960年台に一時代を築いたオマール・シボリが残した「ここでは常に戦わなければならない。負けたと思っても、信じ続けなければならない。なぜならここは、ユーヴェだから」という名言が掲げられていた。これらを見た勝村は「スタジアムが新しくなっても絶対に忘れるなと。ユーヴェだから……」と、ここに刻まれ続けることの意味に感嘆し、名門クラブが持ち続ける哲学を感じた様子だった。

続いて、地元スポーツ紙トゥット・スポルトの名物記者のグイド・ヴァチアーゴ氏を取材。同氏は、ユヴェントスは1897年に地元の高校生が、貿易で来ていたイギリス人がサッカーをするのを見て興味を持ちクラブを設立したと説明。さらに驚くことに、当時のクラブカラーはピンク色で、ボロボロになったユニフォームを新しくしようとしたら、業者が色を間違えて白黒になり、以来、それを使い続け、予期せぬ形で“ビアンコネロ”という愛称を手にすることになったのだとか。また、初期のユヴェントスは“サッカーを明るく楽しくやろう”がコンセプトのクラブで、そこからサッカーを真剣にやりたいという選手が分かれてできたのがトリノFCだという。

そんなユヴェントスが、どのようにして現在のようなビッグクラブになったのか? そのきっかけは1923年、自動車企業フィアットのオーナー・アニエッリ家が、クラブを買ったことに遡る。元々、トリノは馬車職人の街で、自動車産業の発展と共に栄えてきた。そのトップがフィアットで、アニエッリ家が「豊富な資金で良い選手を集め、優秀なスタッフを揃える」というユヴェントスの哲学の種を植え付けた。今でこそ当たり前に行われているが、当時は他に例のない斬新な取り組みで、ユヴェントスはフィアット家の後ろ盾を得ることでモダンサッカーの先駆けとなり、1930年代にはシーズン5連覇を果たし、イタリア全土で人気を誇るようになった。

そして、現在のユヴェントスが見据えるのは世界。日本のゲーム企業Cygamesと手を組み、マーケットの拡大を狙っている。 しかし、なぜ日本企業と手を組んだのか? グイド氏は「トリノ人は優雅で勤勉。あまり感情を表に出さない性格の人が多い」と日本人との共通点をあげ、かつてのオーナーのウンベルト・アニエッリが「イタリア・日本財団」を作り両国の架け橋となったことなど、ユヴェントスと日本の間には、これまでにも多くの接点があることを紹介した。

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