エベレストで永眠…登山家・栗城史多さんの追悼放送が決定

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6月14日(木)に、先月21日にエベレストで下山中に事故で亡くなった登山家・栗城史多(くりき のぶかず)さんの挑戦を追ったドキュメンタリー『追悼 栗城史多 頂の彼方に ヒマラヤ8000m峰に挑戦!」』(BSジャパン、17:58~19:55 ※初回放送は2010年7月14日)が追悼放送されることが決定した。

同番組は、栗城さんが2010年5月、アンナプルナ峰(8091メートル)山頂へアタックする全貌に密着。栗城さんが伝えたかった「冒険の共有」「否定の壁を壊す」「一歩を越える勇気」など数々のメッセージを、 ヒマラヤを舞台に人生を懸けて発信しようとする姿を、当時の生き生きとした「極限状況での生のリアリティ」として、感じることのできるドキュメンタリーだ。

享年35、エベレストでの事故がなければ、6月9日には誕生日を迎えていた栗城さん。そんな彼の挑戦、ヒマラヤ アンナプルナ、3度のエベレスト遠征に同行撮影をした梅崎陽プロデューサー(テレビ東京)からコメントが寄せられた。以下に紹介する。

<梅崎プロデューサー コメント>
先月21日「栗城さんがエベレストで遺体で見つかった」ニュースは職場で衝撃をもって広がりました。誰もがショックを隠せず、同時に「でも、なぜ……?」との思いを口々に話しました。「なぜ凍傷で殆どの指を失っても挑戦し続けたのか?」「なぜトップクライマーですら登頂が困難なルートを選んだのか?」「なぜ登山に代わる生き方を選択しなかったのか?」……その多くの「なぜ?」を遺して栗城さんは逝ってしまった。

「なぜ?」は今も消えることなく心の澱となって離れません。そもそも人はなぜ山を登るのか? 人はなぜ冒険するのか? 人間はこのシンプルな問いに対して、未だに明確な回答を導き出せていない気がします。

一方で個人的には、栗城さんの姿を追い続けたことで、2つのことを自分なりに感じ取りました。一つは、「この世界には 自らのすべてを懸けるに値する何かがきっとある」ということ。もう一つは「冒険の価値は自分自身が決める」ということ。 日常の中で、例えば 自転車をなんとか乗りこなせるようになった少年が、初めて自分の足で、知らない街に到達したとします……大人の目からするとひょっとしたら「他愛ないこと」かもしれません。でも少年にとって「人生の冒険」の扉を開く第一歩だとしたら……それは「冒険」がもたらしてくれた 彼だけのかけがえのない体験ではないか? と。

古の時代から、「危険すぎる」「無理に決まってる」との声を浴びながらも、 海に漕ぎだした人、未踏の頂を目指した人、未開の地に踏み入れた名もなき人々―― 彼らがいたからこそ、私たちは人類の持つ 限りない可能性に希望を見出してきました。もちろんそうした先人と栗城さんを同列視は出来ないし、指摘や批判が示す通り“「冒険」と「無謀な試 み」は別もの”と、多くの人が言うでしょう。 栗城さんの冒険スタイルを全面的に支持するということではありません。ただ、栗城さんが発信し続けてきた「冒険の共有」というメッセージは、 「僕のチャレンジを共有してください」ではなく「自分にとっての“見えない山”」何でもいい、ちっぽけなことでもいい。自分の多くを傾ける何かを見つけよう。そんな「冒険心」を共有し よう……という気持ちだったんだなと、今さらながら思います。また栗城さん自身もおそらく、先ほどの「なぜ?」への明確な答えは抱いてなかったのではないかと。なぜなら「言いようのない衝動」「表現できないザワザワとした漂泊の想い」「見たことのない景色への憧 れ」など、冒険の源となる感情はいくら言葉を尽くしても言い表せないだろうからです。多くの人でなくていい。冒険者のメッセージがわずかでも響き、誰かの心の奥底に眠っている魂に火を 灯し、世界への一歩を踏み出す勇気に目覚める人が絶えることなく、その灯がこれからも続くよう、願ってやみません。

めまぐるしい日常の中でふと、リュックを背負った彼の背中を雑踏の中に探してしまいます。ひょっとしたら彼の魂が次なる挑戦へ向けて一歩ずつ歩んでいるのではないかと。懐かしい故郷の大地か、世界最高峰か……? それともすでに魂は、さらに高みに向かっているのかもしれません。彼が諦めることなく目指し続けた 頂の彼方へと。

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