日本プロ野球界に10年ぶりに復帰した上原浩治投手が、テレビ東京系で4月7日に放送されたサッカー番組『FOOT×BRAIN』(毎週土曜24時20分)にゲスト出演。世界を相手に渡り歩いてきた「抜群の対応力」が明らかになった。

巨人時代に最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手4冠、沢村賞、新人賞などを獲得し、日本シリーズで優勝するなど活躍した上原。日本代表にも選ばれWBC優勝に貢献、メジャーリーグでは、10年間でオリオールズ、レンジャーズ、レッドソックス、カブスと4球団を渡り歩き、レッドソックス時代にワールドシリーズを制覇するなど、輝かしい実績を残してきた。

まず、日本球界への復帰の話題になると、上原は「アメリカでやりたいという気持ちはあったがオファーがなかった」と正直に打ち明け、その間に日本から声をかけられていたことと「野球が好き」という思いに駆り立てられ復帰を決意したと明かした。一方で「この年(43歳)まで野球選手をやっているとは思っていなかった」と語り、「球速の低下」が話題になったことについて尋ねられると、「(年齢的に)落ちてきている状態なので、あまりそこを期待されてもね」と笑い、「でも、その分の経験がありますから」と自信を示した。また、「スピードが落ちてもフォームで惑わすことはできる。何かを求めていかないと伸びることもないので、現状で満足することはないです」とさらなる向上心を持って向き合っていると語った。

そんな上原だが、プロに入るまでは決してエリート選手ではなかった。巨人の入団会見で語った「雑草魂」という言葉が表すように、高校時代は平凡な選手でレギュラーとして試合に出ることもできず、大学受験にも失敗。警備員やスーパーの店員などのアルバイトをしながら浪人生活を送ったこともあった。しかし、浪人中に行っていたウエイトトレーニングや、高校時代にピッチャーをやっておらず肩や肘にまったく故障がなかったことが功を奏し、大学で才能が開花。どんなに打たれても「アルバイト時代のことを思えば……」と歯を食いしばり練習に打ち込めたことが糧になったのだとか。

そして、海外挑戦で多くの日本人選手を悩ませるコミュニケーションの話題になると、オリオールズでは球団にとっても初めて在籍する日本人選手だったこともあり、上原自身もチームメイトもどう接して良いのかわからない手探り状態でスタートしたという。しかし、例えばチームメイトとの会食には通訳を連れて行かず、バカなフリやふざけたりを繰り返し、チームに溶け込もうと頑張っている姿を見せ続けた。すると、次第に周囲もそれを認めはじめ、声をかけてくれるようになったと秘訣を明かした。

また、海外では環境だけでなく、求められるポジションが変わることも少なくない。上原も巨人時代は先発ピッチャーとして活躍したが、メジャーでは監督から「先発では使わない」と告げられ中継ぎ・抑えに転向。「プロ選手はプライドが高いから、その受け入れは難しくなかったですか?」との質問には、「(配置転換を断りマイナーに降格するなら)受け入れてメジャーでやりたいという思いの方が強かった」とすぐに頭を切り替えたと振り返り、さらに「1試合6~7イニングで100球前後を投げる先発時代は、どこかで力を抜くなどペース配分を考えていたが、中継ぎでは15~20球をいかに全力で投げるかを考えるようになった」とピッチャーとしての向き合い方にも変化があったという。

また、大舞台でのプレッシャーがテーマになると「究極的には命までは奪われない」と語り、普段通りを心がけるが、敢えて言うなら「ここを抑えたら手柄になる」とポジティブに考えていると告白。また、これからプロを目指す子どもたちへのメッセージを求められると、「その競技を好きになること。その気持ちを忘れなければどんどん練習もできる」と語り、「今でも野球が好きですか?」と尋ねられると大きな笑みを浮かべ「好きですね!」と力強く語った。

最後に、アメリカと日本のスポーツ環境の違いに触れ、「日本には土地の問題もありますが、僕らが子どもの頃は空き地でサッカーや野球をしていました。今はそれができなくなってきている。底辺を広げないと上にも広がっていかない」と語り、「本田圭佑さんみたいに言える人が必要。日本人は一歩引くタイプが多いですが、野球界でもサッカー界でもああいう人が増えればもっとレベルが上がると思う」と日本スポーツ界に提言した。

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