CM女王が“ニャンニャン写真”流出で違約金3,800万円……その真相を語る!

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元モデルの横須賀昌美が、1月18日に放送された『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』(テレビ東京系、毎週木曜24:12~)に出演。ニャンニャン写真流出からCM違約金全額返済までの経緯を告白した。

1980年、16歳の時にモデルとしてデビューした彼女。様々なCMに出演し、一世を風靡した。デビュー当時について横須賀は、「歌手になりたかったんですよ。でもスカウトマンに“モデルで売れたら歌手になれますよ”と言ってくれた方がいて」と振り返る。高校卒業まで続けようと思ったいた矢先“資生堂”のCMがすぐさま決まったそう。その後歌手デビューも果たし、さらに別企業のCMにも出演。横須賀は「“(オーディションに)行けば受かるのかな?”って思ってしまったくらい……“JAL”、“ロッテ”、“花王”、“ジョンソン・エンド・ジョンソン”」と当時契約していた企業名を挙げ、MCやゲストらを驚かせた。ギャラについても6割をもらう歩合制だったため、「サラリーマンの父には申し訳なくて、金額は内緒だった」と言い「ひと月平均500万円もらっていました」と告白した。

しかし、1984年に彼氏とベッドで毛布にくるまっている“ニャンニャン写真”が週刊誌に掲載されてしまう。この流出経路について横須賀は「インスタントカメラをもって現像を頼むんだけど、その時に(カメラ店の)バイトが写真をパクったんじゃないか」と予想した。

人気絶頂だった彼女だったが、この件でCM契約はすべて解消。MCの河本準一が「CMだから違約金は発生するんじゃないですか?」と質問すると「まだ(契約)途中のCMが何本かありました。(ギャラの)6割をもらっていたので、それに対する違約金を払わないといけなかった」と話し「CMだけで3,800万円でした」と明かした。お金は自分で管理していたそうで、貯金もしっかりおこなっていたが、500万円足りなかった。そこで「3つアルバイトを掛け持ちしました。当時バブルの最中で、ピアノバーとか結構あったので、そこで歌わせてもらったり……2~3年で返しました」と述懐した。

CM契約はなくなってしまったが、芸能界の仕事は細々と続けていたという。「当時Vシネマの走りだったので、女優として出演しました。濡れ場シーンとかもあるわけです。そこで(脱ぐと)決めました」と当時の覚悟を述べた。現在は、生まれ故郷の石川県に戻り、姉妹でスナックを経営していると明かしていた。

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