かつてジャニーズ事務所に所属していた、アイドルグループ「忍者」の元リーダー・柳沢超(49歳)が、10月20日(木)に放送された『じっくり聞いタロウ~スター近況秘報告~』(テレビ東京系列、毎週木曜24:12~)に出演。当時の秘話を激白した。

忍者は、1990年にジャニーズ事務所からデビューを果たした6人組のアイドルグループ。もともと、少年隊のバックダンサーを務めていたこともあり、バック転などのアクロバティックな動きはお手のもの。当時のジャニーズは、シブがき隊、少年隊、光GENJIと、グループ名に漢字が入っているという流れがあり、さらにアメリカでは忍者の扮装をしたカメたちの活躍を描く映画「ミュータント・タートルズ」が流行していたため、世界的に通用する忍者という名前に決まったらしい。

しかし、リーダーだった柳沢は「不遇でした」と、苦笑いを浮かべながら当時を振り返る。1987年に光GENJI、そして1991年にはSMAPがデビュー。忍者の前後には、後に国民的人気のアイドルグループへと成長したビッグネームが。この2組に挟まれた形の忍者は彼らの活躍の陰で全く目立たない存在になってしまった。ちなみに、光GENJIはもともと「光」と「GENJI」に分かれていて「光」の二人、大沢樹生と内海光司は柳沢とほぼ同期。諸星和己ら「GENJI」のメンバーは全員後輩。先輩が一人もいないグループが自分よりも先にデビューをして、どんどん売れていくことに複雑な思いを抱いていたようだ。

とは言え、天下のジャニーズ事務所から誕生したアイドルグループという看板は大きな武器になることは間違いない。事務所の意向で演歌部門という形でデビューすることになった忍者は、美空ひばりのヒット曲「お祭りマンボ」のリメイク版「お祭り忍者」をリリース。しかし、柳沢は「美空ひばりさんのファンから相当叩かれた」と語る。リリースのタイミングが、美空ひばりの一周忌を過ぎた頃という微妙な時期だったことが、ひばりファンの感情を逆なでしてしまったらしい。それでも、ヒットチャートで1位を獲得。デビューからわずか4ヶ月で紅白に出場するなど、傍から見ていると順風満帆にスターへの道を歩み始めたように見えた。

しかし、現実は厳しかった。忍者の移動は6人でバン1台だったが、光GENJIは7人で車が2台。「しかも、こっちはミッション(マニュアル)だったんですよ」と乗り心地にも不満があったとか。その話を聞いたMCの名倉潤は「細かい愚痴やな」とツッコミを入れ、河本準一は「バンのマニュアルって、なかなか古いですよ」と同情(?)した。

そして、ブレイクしきれない忍者に追い討ちをかけるかのように「段々、歌番組がなくなっていったんです」と、柳沢は活躍の場が減った深刻な状況を明かした。人気歌番組『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』が放送終了。忍者が一回だけ出演したという『夜のヒットスタジオ』までもなくなり、結果的に残ったのは今でも続いている『ミュージックステーション』のみ。当然のごとく、メディアへの露出も少なくなっていった。

徐々に仕事が失くなっていった忍者は自分たちで「解散」と言わないまま、まさかの自然消滅。もちろん、解散コンサートも行っていない。その後、柳沢は33歳の時にジャニーズ事務所を辞めてサラリーマンとして新たな人生をスタートさせたが、毎日満員電車に揺られるなど慣れない生活でストレスが溜まったのか「しゃっくりが2週間止まらなかった」こともあり、楽ではない日々を送っていた。

現在は、再びタレントとして芸能界に復帰。ステージ演出や振り付けなども手掛けている。番組では、アイドル時代の恋愛事情にも迫ったが、柳沢は「彼女がいました」と、あっさり告白。特に恋愛禁止のようなルールはなかったものの、柳沢が何も言わなくても「ジャニー(喜多川)さんには分かるみたいです」とのこと。「この間、こういう髪形にしろって言ったのに変えたよね?彼女いるでしょ?と言われるんです」と、ジャニー喜多川の驚くべき観察眼について明かした。

この日は他に、ダンディ坂野が“一発屋芸人”ではない驚愕のギャラ事情を、元おニャン子クラブの新田恵利が口説かれた有名人について暴露した。

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