大沢樹生、光GENJI脱退の真相を告白

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元光GENJIのメンバー・大沢樹生が、10日に放送された『ヨソで言わんとい亭~ココだけの話が聞ける(秘)料亭~』(テレビ東京系列、毎週木曜23:58~)に出演。人気絶頂期の信じられないような裏話や、グループ脱退の真相について語った。

■光GENJI結成までの道のり
大沢がジャニーズ事務所に入ったのは12歳の時。翌年、ロサンゼルスオリンピックのイメージキャラクター“イーグルス”というグループでデビューを果たしたものの、グループは2年ほどで自然消滅したという。その後、ドラマや映画などに出演してソロ活動を続けていたが、目立った活躍はできないまま。そして、18歳になった頃、「ちょっとジャニーズでは限界だな」と感じていた大沢は事務所の社長に「一度ゼロに戻したいので、事務所を辞めさせてください」と直訴。すると、社長から「YOU、ローラースケートやってみない? スターになれるよ」と、想像もしていなかったことを言われたとか。これがラストチャンスかもしれないと思った大沢は、社長の言う通りに新グループ「光GENJI」に参加。「ローラースケートを滑ることに関しては何の抵抗もなかった」と語るも、ローラースケート=スターという“方程式”だけは「自分の中で結びつかなかった(笑)」と当時を振り返った。

■スターならではの苦悩
光GENJIがデビューしたのは1987年の8月19日。当日の夜に、人気音楽番組「夜のヒットスタジオ」に出演した。その露出が功を奏したのか、テレビ出演した日から数日後に行われた大阪のキャンペーンに数万人のファンが殺到。光GENJIは人気グループとして脚光を浴びることに。もちろん、メンバーの一人である大沢の生活も一変。実家はすぐにバレてしまい、電話番号も変えざるを得ない事態に。近所からはクレームが来るし、家の壁には落書きをされる始末。このままではダメだと思った大沢は家を出ることを決意するが、近隣に迷惑がかかるという理由から、不動産屋さんがなかなか家を貸してくれなかったという。母親の友達がたまたまマンションを建てたこともあり、何とかそこに引っ越すことで落ち着いたハズだったが、人気者としての辛い日々が大沢を待ち受けていた。

熱烈なファンの行動は常軌を逸していて、大沢が住むマンションの前にある建物から双眼鏡で覗いたり、階段をつたってバルコニーから部屋へ侵入しようとしたり……。常に誰かに監視されているような状況だったと、衝撃的なエピソードを告白した。

■グループ脱退の真相
デビューから7年が経った1994年。25歳になった大沢は、光GENJIを脱退することに。「志が俳優に向かっていたこともあるし、ジャニーズ事務所という後ろ盾がありながら活動していることが、すごくカッコ悪いと思ってしまった。グループはいずれ解散するものなので、きちんと外の世界を知っておかないとマズいかなって」と、当時の心境を語った。グループだけではなく、事務所も辞めた大沢は「親にも反対されたし、ファンの方からは何万人という数の署名をもらいました」と。

■今後の夢
今年の秋頃から音楽活動を始めたという大沢は「来年いっぱいまで東京で頑張りたい」とやる気満々。いろいろなことを勉強した後に地方も回りたいという野望があるらしい。最後には脱退以後、テレビでは歌ったことがなかったという、光GENJIの大ヒット曲「ガラスの十代」を熱唱。残念ながら(?)バク転はなかったものの、スタジオは大盛り上がりだった。

この日は他に、大金を騙し取られた俳優の野村宏伸や、かつて、伝説の“アポなし番組”で大ブレイクした坂本ちゃん、格闘家でありタレントとしても活躍した角田信朗が、波乱万丈のエピソードを大暴露した。

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