行列のできる町中華店主・朱徳平の深い愛情と謙虚さに「こんな人と働けたらな」と視聴者『情熱大陸』

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10月4日放送の『情熱大陸』(MBS/TBS系、毎週日曜23:00~)は、町中華店主・朱徳平に密着。多忙の中も常連客や従業員らに愛情と気配りを欠かさず、笑顔と謙虚さを失わないその人柄に、インターネット上では「こんな人と働けたらな」「この30分で朱さんにグッと心を掴まれた」という声が上がった。

スポーツ、演劇、音楽、学術などありとあらゆる分野の第一線で活躍する人物にスポットを当て、その人の魅力や素顔に迫るドキュメンタリー。今回は、行列の絶えない東京・本郷の人気町中華「兆徳」を切り盛りする朱の日々にカメラが密着した。

気取りも飾り気もない調理ながら、豊かな風味とリーズナブルな価格で人々をひきつけてやまない「兆徳」の料理。看板メニューの玉子チャーハンを求めて通う常連客たちは口々にその味を「町中華の中ではトップ」と評し、美食家として知られた落語家・三代目古今亭志ん朝も、「アチコチで食べて見たけど、ここが一番」と太鼓判を押したという。

チャーハンの米は富山産のコシヒカリを使っており、水が透明になるまで丁寧に磨き上げる。朱いわく、「全部きれいにするとチャーハンがパラパラになる」という。餃子に使うキャベツは、季節に応じてもっともやわらかいものを使用。その仕入れ値は、ときに1玉500円にものぼるというが、「(コストのことは)考えていない」と朱。「(野菜は)高くなったり安くなったり(するもの)。いいじゃない。食べたらうまい、それが一番」と笑顔を見せる。

1963年、中国人民解放軍幹部の家庭に生まれ、30歳にして地方の役所の財務課長を務めるなど、エリートコースを歩んでいた朱。その転機は、日本人の母を持つ妻との結婚だったという。29年前、初めて訪れた日本で朱は食事のおいしさに衝撃を受け、「こんな国で暮らせたら」と、移住を決意。風呂なし四畳半、家賃2万5000円の部屋に一家で身を寄せながら中華料理店で修行を重ね、1995年に念願の店をオープンした。本場での料理経験を持たない朱に周囲は先行きを危ぶんだが、日本人が好む味に的を絞ったことで店は成功。甘酢あんをかけた揚餃子など、和食のエッセンスを取り込んだメニューが店の名物となった。

朱は、店を子供連れが訪れれば親戚のように声をかけ、注文したテイクアウトをなかなか取りに来ない常連客がいれば、心配して自ら料理を届けに行く。「近所だから」とわけもなく答える朱の姿は、どこか昔の下町を彷彿とさせる。創業当時から通っているというある常連客は、東日本大震災のとき、朱が被災地出身の常連客を心配し、「衣装ケースのようなタッパー」いっぱいのチャーハンを振る舞っていた光景が忘れられないという。

店を閉め、帰宅するのはいつも深夜。働きづめの毎日を送る朱だが、「一生懸命やるしかないよ。あとは何もできないから」と謙虚さを崩さない。コロナの影響で客足が遠のいても、朱は厨房の従業員をビールで明るくねぎらい、気配りを欠かさないのだった。

店に関わるすべての人を家族のように思いやる朱の姿に、ネット上では「忖度なしで人に優しさを与えられる人になりたいと思った」「朱さん素敵 人の為に体が勝手に動いちゃうんだろな」と感動の声が。朱のもとで長年働き続けるという従業員たちにも、「朱さんのあの人柄だから従業員さんも10年20年付いてきてくれるんだろうな」と、納得の声も見られた。

次回10月11日放送では、感染症専門医の忽那賢志に密着。新型コロナウイルス治療の最前線を追う。

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