親友・中居正広も知らなかった!出川哲朗の波乱万丈な人生に迫る『金スマ』2時間SP

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10月4日放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系、毎週金曜20:57~)は、“実はちゃんと知らない男”出川哲朗に迫る2時間スペシャル。番組MCの親友・中居正広も知らなかった出川の波乱万丈な人生が明らかになる。

出川はダウンタウンウッチャンナンチャンと同世代で芸歴は35年。2018年タレントCM起用社数ランキングでは14社で1位を獲得し、今や好感度No.1男といっても過言ではないだろう。そんな彼はどんな人生を歩み、どのようにして日本一の人気者になったのか? 芸能界でも古くから交流のある中居との知られざるエピソードも披露する。

出川の実家は、明治27年創業、従業員30人を抱える老舗海苔問屋「蔦金商店」。当時は、お歳暮やお中元といえば「海苔」を贈るのが一般的。出川家は超がつくほどのお金持ちで、出川は「お坊ちゃん」だった。幼稚園には超高級外車で送迎。家にはお手伝いさんが5人もいて、そのうちの1人は出川専属だったという。さらに出川家は商売によるお金持ちというだけではなく、家系図を辿ると多方面で活躍した偉人や著名人がたくさんいたことも明らかに。名家で育った出川だが、小学校時代は現在のキャラからは全く想像できない子供だったという。当時の出川について、出川の兄が語る。しかし、そんな出川よりも、父・誠一郎はずっと破天荒な人物だったという。

出川は高校時代、軟式野球部に所属。厳しかったと語るその野球部こそがのちに芸能界で成功するための能力が培われる場所となった。まず、培われたのは「上下関係」。野球部の上級生が登校するたびに大きな声で挨拶し、上級生の制服のアイロンがけや時間割を見て授業の準備などもしていたという。そこで染みついた「上下関係」は、礼儀を重んじる芸能界で出川の武器のひとつになった。ほかにも、出川の人気を確立させた「リアクション芸」は、野球部の練習後に始まったという。

さらに、出川にとって3つのターニングポイントとなった「借金」「尼寺修行」「矢沢永吉との出会い」についてや、出川にとって大きな影響を与えたという「ダチョウ倶楽部」の存在についても語る。

一方で、一人の芸人として人気を確立した出川にとって最も辛かったことは、自分が酷い目にあっている番組を見て、「もう耐えられないからテレビ局に電話します」と大好きな家族を悲しませてしまったことだという。そして、そんな辛いときも出川を救い誰よりも応援してくれた、母・泰子さんとの別れ……。今やゴールデンタイムで冠番組を持ち、CM起用社数ランキングで1位を獲得。ついに出川はポジティブな意味でも芸能界の頂点に立った。そんな彼が語った唯一の心残りとは?

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