和田アキ子、極道入りを考えた過去…芸能生活51年目で初めて語る本音とは?『金スマ』

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8月30日放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系、毎週金曜20:57~)は、20時からの2時間スペシャル。和田アキ子がゲストで登場し、これまであまりテレビでは話してこなかった自身の生い立ちについて語る。

1950年、大阪府天王寺に4人兄弟の長女として生まれた和田現子(アキ子)。幼いころから体が大きく、小学校6年で身長が165cmもあった彼女は、恵まれた体格を武器に同級生の男の子たちとケンカばかり……と思いきや、身長の高さを理由にいじめられることが多かったという。

子供のころの和田にとって、何よりも恐ろしい存在は100人以上の門下生を持つ柔道の師範で100kgを超える巨漢の父親だった。和田はそんな父に6歳のころから柔道を厳しく指導され、おかげで中学1年の時にはすでに黒帯。腕っ節はそこらの男よりも強かったという。

だが、和田が本当に恐ろしかったのは、父の礼儀作法への厳しいしつけだった。父は口より先に手が出るのだ。そんな厳しすぎる父のもと、一家団欒というものを知らずに育った和田は、テレビでホームドラマを見るたびに、優しい父がいる「温かい家庭」に憧れた。

小学校高学年になると、和田は父に反発するようになる。一体なぜ、父はこれほどまで自分に厳しく接するのか……。当時の和田には父の愛情というものがわからず、ついには「私は本当にお父さんの子供ですか? いつか、あんたが寝てる間に包丁で刺し殺して、私も死んだる!」と訴える。このケンカをきっかけに、和田はますます父に反発するようになる。

和田が家を飛び出したのは、今から50年前。大阪・ミナミの繁華街や友人の家を泊まり歩き、夜は大人に混じり飲屋街でたむろし、本格的に非行の道へ進み始めた。中学1年にしてすでに現在の身長(174cm)があった和田は、不良に絡まれるたびにケンカで圧倒! 気に喰わない相手がいれば自分から因縁をつけ、手当たり次第に喧嘩に明け暮れる日々だった。そして、家出生活を始めて1年後には、中学2年にして大阪の繁華街では知らぬ者はいない不良番長になっていた。

その一方で、和田はジャズやブルースといった外国の音楽に夢中になる。大阪市内のジャズ喫茶に入り浸り、音楽を聴いている時だけは心が安らいだ。そんな和田が、なぜ不良の道から芸能界へと進むことになったのか? 思わぬ救いの手が差し伸べられたのは、彼女が16歳の時だった。大阪のステージで歌っていると、東京の芸能事務所の人間を名乗る男に声をかけられ「直接、社長に会って欲しい!」と懇願された。後日、東京からやって来たのは、角刈りにいかついスーツの怪しい男性。その人こそ、現在、深田恭子綾瀬はるか石原さとみなど数々のスターを抱える大手芸能事務所「ホリプロ」の社長・堀威夫氏だった。はじめは適当に話を聞いて帰るつもりだったという和田だが、辛い記憶も多く、流されるままに生きてきた人生、このまま大阪にいても極道しか道はない……。そんな自分へ期待を寄せてくれる堀社長に、和田はなんとその場で芸能界入りを承諾する。大阪には二度と戻らないことを決心して、いよいよ和田の芸能人生が幕を開ける。

今では考えられないような新人時代の生活、先輩からのいじめなど和田は悔しさをバネに歌い続け、ついに1970年、4枚目のシングル「笑って許して」が20万部を超える大ヒット。この年、初めて『NHK紅白歌合戦』に出場する。

番組では、和田の幼少から芸能生活51年間の裏表、そして、31歳で結婚した夫との生活や、その裏にあった過酷で悲しい出来事、そして長い芸能生活での数えきれない出会いなど、年を重ねてきて気付いたという感謝の重みなどを辿っていく。

スタジオでは「家で見てる番組に出ると緊張する。芸能生活51年、長ければいいってもんでもない。みんなのおかげ、大人になった」と語った和田。彼女が『金スマ』で特別に打ち明けた本音とは?

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