中国で数々のテレビドラマや映画に出演し「中国で最も有名な日本人俳優」と言われている俳優の矢野浩二さん。
2016年には拠点を日本に移し、本格的に芸能活動を開始すると、ドラマ『警視庁・捜査一課長』(2016年~/テレビ朝日系)で、警視庁鑑識課主任・武藤広樹役としてレギュラー出演したのをはじめ、『陸王』(2017年/TBS系)、SPECサーガ完結篇『SICK'S ~内閣情報調査室特務事項専従係事件簿~』(TBS系、Paravi)などで個性的な演技をみせ、活躍の幅を広げています。
4月には「SICK'S」シリーズ最新作や『警視庁・捜査一課長スペシャル』(テレビ朝日系)が4月21日(日)21時から放送されるなど、注目を集める矢野さんに話をお聞きしました。
――矢野さんが出演している、堤幸彦監督演出のドラマ『SICK’S恕乃抄』が地上波で放送されました。
僕は、アジアの某超大国大使館に勤める陳(チン)という男を演じています。SPECホルダーを巡って奪い合いをする悪役です。ドラマはすごくシリアスなのですが、結構笑える演出が盛り込まれていて面白い作品です。
――堤監督の現場はいかがですか?
堤監督は台本にないことを、突然現場で「ちょっとやってみようか」とささやいてくる方。「今度はなにを言ってくるんだろう」とワクワクするので、とても楽しいです。僕は中国で俳優業を16年ぐらいやっていたのですが、あちらでも結構、撮影現場はざっくばらんな感じなのですが、堤組はもっとすごかったです(笑)。
――日本で本格的に俳優活動を開始したのは2016年からですか?
はい。やっと3年目に入りました。最初はいろいろな部分で勝手が違うので戸惑ったこともありましたが、ようやく慣れてきた感じです。どちらにも良さはありますが、日本は進行を含め、しっかりしているなという印象があります。
――それで言いますと、堤組は特殊な感じなんですね。
中国でもあそこまで現場でいろいろなことを試すのは珍しいですね。でも本当に刺激的で楽しかったです。
――レギュラーで出演している『警視庁・捜査一課長』が4月21日にスペシャルドラマとして放送されますね。
鑑識課主任という役なので、最初のうちはキャラクター造形の部分で「どういう風にすればいいのだろう」と悩みながらやっていたのですが、最近は自分の立ち位置も分かってきました。
――鑑識の仕事を演じられていかがですか?
日常の生活ではお目にかからない仕事ですよね。僕が演じている武藤という役は、鑑識という仕事に命をかけていて、髪の毛一本でも逃さないというぐらい徹底的に捜索していく泥臭い人。それでいて数字オタクで、毎回つまらないうんちくを言うような側面も持っているんです。真面目で統率力もあり、ちょっとコミカルな部分もある。いろいろな面を持っている人なので演じがいがあります。
――お芝居をするうえで心掛けていることはありますか?
一つでも観ている人の印象に残るような芝居をしたいと思っています。もちろん全体のシーンを壊すようなことをしてはダメですが、どうやったら覚えてもらえるかということは常に考えています。
――具体的になにかエピソードはありますか?
主演の内藤剛志さんと一緒のシーンがあるのですが、最近やっと自分でこうしたいと思うことを直談判できるようになりました。あるシーンで、内藤さんの決めセリフのあと、僕はどうしてもセリフを足したいと思ったことがあったんです。普通に考えたら主演の方がビシッと決めたあと、脇役の人間がセリフを足すなんてありえないことなのですが、内藤さんは「いいよ、やってよ」っておっしゃるんです。ダメ元で言ってみたので、ちょっとびっくりしていたら「こういうこと嫌がる人もいると思うけれど、俺はまったく大丈夫。だってそれで作品が良くなるんだったらいいじゃない」って……。本当に素敵な方だなと思いました。
――日本の芸能界で野望はありますか?
やっぱり売れたいですね(笑)。でも中国に行ったときも、最初から名前を覚えてもらったわけではなく、長く続けることで徐々に知名度が上がっていったので、日本でも一つひとつ目の前のことに集中して積み重ねていければと思っています。いまはドラマだけではなく、中国向けのネット番組のMCをやらせてもらったり、『テレビで中国語』(NHK Eテレ、毎週火曜23:30~)で「矢野浩二の吃美食交朋友」というコーナーを担当させてもらったり、いろいろな現場を経験させていただいています。
――ご一緒したい日本の俳優や映画監督はいますか?
たくさんいますが、香川照之さんのお芝居が大好きなので、いつか共演してみたいです。監督では三池崇史さんですね。中国でもすごく人気があります。
――中国に行かれとき、中国語はどのくらい話せたのですか?
まったくできませんでした(笑)。本当に「你好(ニーハオ)」くらいしか話せないレベルでした。きっかけは中国ドラマの主演のお話をいただいて、撮影で3か月間北京に行ったことです。そこから一度日本に戻って来たのですが、まったく鳴かず飛ばずで……。打開策を探っていたところで、これもなにかの縁だと思い思い切って中国へ拠点を移しました。
――いつか日本で……という思いで行かれたのですか?
それはありました。行けばなにかを吸収できるし、ずっと日本にいるよりは、自分のためにもなるという思いはありました。
――今後の抱負を!
ようやく日本の現場にも慣れてきたので、もっと活躍できるように頑張りたいです。俳優業にとどまらず、今後もジャンルにとらわれることなく幅広く活動していければと思います。
(取材・文:磯部正和)