シンガーソングライターの大黒摩季が、11月6日(日)放送の『情熱大陸』(MBS/TBS系ネット、毎週日曜23:00~)に出演し、長年患っていた子宮疾患について思いを明かした。

90年代、実体験を元にした生々しい感情を印象的なハイトーンボイスで歌い上げ、「夏が来る」「ら・ら・ら」などミリオンヒットを連発した大黒だが、1996年、26歳の時、重度の子宮疾患を併発していることが発覚。常に不妊のリスクと戦いながら活動していた。

発覚時、病気は既に中期・末期という深刻なステージで、出産を望むなら治療に専念しなければいけないという状態だった。大黒は「女の幸せ取りますか? それとも仕事を取りますか? みたいな究極の選択で、毎日お腹を壊しながら悩んでいた」と回顧。女性として大きな問題を抱えながらも、なぜその後、歌手活動を続けてきたのか。奇しくも病気発覚時は、47,000人もの観客を動員した、大黒にとって初めてのライブの直前。「47,000人のファンをがっかりさせる、アルバイト含めて1,000人以上いるスタッフが私のために用意してくださった(ステージなど)……期待を裏切る勇気がなかった」という理由で、薬で病気と付き合いながら歌っていくことを選んだという。

その後一般男性と結婚し、子どもを望みながら治療を継続。しかし2010年、40歳の時、歩けなくなるほどに体調が悪化。体の限界を悟り、ついに無期限の活動休止を選択した。休養中は、実名の“大黒摩季”として、これまでほったらかしにしていたことを体験。「風のように生きてきたタイプ」だと自称するが、この間に、今まではしていなかった夫への帰宅連絡などが日課になったという。大黒は「ちゃんと生きた」と表現し、笑ってみせる。

休養も終盤にさしかかった2015年11月、大黒は受精卵を凍結し、子宮を全摘するという大きな決断をした。これには前向きな理由があり、何度か流産を経験した大黒は、手術前夜に清々しい表情でそれを告白。「卵自体はグレードも高く発育も良かったのに、子宮が病気まみれだったため、何度も死んでいった。自分の子宮で子どもを殺したという気持ちだった。“諦める”というよりは、自分の“TRYを終える”んです」。6年間、全力で葛藤した上での決断だった。さらに、「自分にとって恩人でもある夫に、何かプレゼントをしたかった。この人が本当は一番欲しかったものを、最後の1%にかけて。私を選ぶために捨ててくれたものを拾いたかった」と、夫への思いも語った。

この手術により、大黒を20年苦しめた病気は完治。その後も通院はしているものの、8月には歌手として完全復活を遂げ、10月16日には故郷・札幌にて6年ぶりとなる単独コンサートを行った。スタート前、スタッフやコンサートメンバーに笑顔で「どうか私を“大黒摩季”にしておくれ」と訴えかけ、カメラには「みんなのものになってきます」と言い放ってから、ステージに向かった大黒。「ら・ら・ら」をはじめとする名曲の数々を力強く歌い上げ、プライベートでも歌手としても、大きく前進したことを印象づけていた。

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