角田陽一郎氏に聞くテレビのあと先(前編)〜ヒットメーカーがデスクを失った時に見えたもの〜 インタビュー:テレビを書くやつら

公開: 更新: 読みテレ
角田陽一郎氏に聞くテレビのあと先(前編)〜ヒットメーカーがデスクを失った時に見えたもの〜 インタビュー:テレビを書くやつら

角田陽一郎氏の話は長い。1を聞くと10返ってきてそのうち7ぐらいは質問を離れた内容だったりする。ほっておくとどんどん離れていくのだが、その余計な話が面白いのでこちらも質問を忘れ聞き入ってしまう。情報量がやたらと多いのは、常に物事の奥を考えているからだと思う。TBSでヒット番組を作ってきて2016年に退社し、何でもプロデュースするという意味の「バラエティ・プロデューサー」の肩書きでマルチに活躍する角田陽一郎氏。斜め上の発想を論理的に展開する彼に、今テレビが置かれた状況や今後どうなっていくのかなどを聞いてみた。まずは、角田氏のキャリアをおさらいすべく質問していったのだが、例によって話は逸れていく。
【聞き手/文:境 治】

脱走後にヒットを打ち、夢がズレてかなう

境治(以下、S):角田さんは94年入社ですね。「さんまのスーパーからくりTV」が最初の番組ですか?

角田陽一郎(以下、K):その前にADとしていくつかの番組につきました。実は3年ぐらい経った時に、つらくなって3カ月くらい脱走してるんですよ。地元の千葉に戻って動物園で猿山眺めてました。猿はいいなあ、って。

S:え?角田さん神経図太そうなのに!(笑)

K:神経弱いですよ。ネガティブって“後ろ向き”と訳されますけど、ぼくは前向きなネガティブ。前を向いてフロントラインにいると向かい風が感じられていいと思ってます。

S:その話、面白そうだけど戻しますね。で、その後「からくりTV」?

K:そうですね、2001年まで担当しました。あと知られてないけど2001年にTBSも24時間テレビを「ファイトTV24」というタイトルでやりまして、ぼくは深夜を担当して視聴率16%とったんです

S:TBSさんも24時間やったんですね。それにしても深夜で16%!

K:「ガチンコ!」の講師陣が街で若者たちと討論するコーナーで16%。そしたら部長が「おまえすごいなあ、今度SMAPの番組やるから担当してくれ」と言われて始まったのが中居正広さんとやった「金スマ(中居正広の金曜日のスマイルたちへ)」でした。

実はもともと木村拓哉さんで金田一耕助のドラマやりたくて、でもドラマ班は出世に時間がかかるから、バラエティでとっとと出世してドラマやるつもりだったんです。ある放送作家さんが「夢は口にすればかなうよ、ただズレてかなうけどな」と言ってましたが、その通り、「キムタクでドラマやりたい」と言ってたら「誰かSMAPで番組やりたいって言ってたよな」と指名され、本当に夢がズレてかないました。

知識バラエティの時代に「金スマ」が人気番組に

S:「金スマ」はすっかり人気番組として定着しましたが2001年からですね。

K:10月スタートです。その準備で9月に会議やってたら飛行機がNYのビルに突っ込んで、みんなでずっと見てました。「9.11テロ」ですね。ぼくらはドキュメンタリーとバラエティの境界みたいなこと議論してたんですが、「9.11」見てもう止めようとなった。これ以降、ドキュメンタリー的なバラエティに急速に冷めちゃったんじゃないか。期せずして「ガチンコ!」や「電波少年」などの視聴率が下がってきて。それ以降人気が出たのは「トリビアの泉」「伊藤家の食卓」「Qさま!」。知識を求めるようになってきました。「金スマ」も「波瀾万丈」のコーナーで人気が定着して、これも有名人の人生という、広義の知識です。

S:言われてみると、バラエティが知識重視になりましたね。

K:これは日本経済ともリンクすると思っていて、10年周期で大きく変化してます。2011年の「3.11」でまた変わる。2010年代は「フジテレビ神話」の崩壊が起こりました。「楽しくなければテレビじゃない」なんて言ってる場合じゃない、あのおちゃらけてる感じが時代に合わなくなった。

S:確かに2011年にフジテレビが視聴率三冠王の座を日本テレビに奪われて、それ以降奪還できてませんね。

K:コロナでまた次の10年に向かってると思います。

掲示板での募集に目を留めて新事業goomo誕生

S:角田さんが「金スマ」を担当したのは2006年までですよね?

K:さんまさんと「明石家さんちゃんねる」をやることになって、中居さんの別の番組の裏になるのは“いかがなものか”ということで、「金スマ」の担当を外れました。でも視聴率が悪くて2008年で終わります。そこまではぼく、エースで4番でした。ゴールデンに僕の番組が3つくらいあって、ある年なんか元旦の朝6時半から夜11時まで全部ぼくで、2つの番組が20%超えたり。で、「明石家さんちゃんねる」が終わる時、どうする?と聞かれて「お前は次の担当をこっちで振るより、自分で企画開発したいだろう?とりあえずシフト表に入れないからな」と言われた。翌日部会に出たら、自分の名前がなくて軽く落ち込んだんですが、企画開発をがんばろうと。ところがさらに翌日会社に行ったらデスクがなかったんです。シフト表を見て事務方の人がデスクの配置を決めるから、誰の悪意でもなく席がなくなってたんです。いままでは番組ごとに席が3つくらいあったのに。半沢直樹みたいに誰かの意図で左遷させられたら「倍返しだ!」と言えるけど、そんなドラマチックなことは起こらない。誰も意図せず席がなくなったことに衝撃を受けました。

S:いま聞くと笑っちゃうけど切ないですね。

K:トイレに行ったら掲示板に目が行きました。それまでは上しか見てなかったから掲示板なんか見てなかったですけどね。下を見ながらトイレを出たら掲示板に「新規事業募集」の貼り紙があった。「宝の山プロジェクト」というタイトルで、放送とは関係ない事業を募集してたんです。よし、と企画を考えて応募しました。

S:それが「goomo」ですか!

K:2009年にTBSの新規事業として株式会社goomoを設立しました。今で言えばAbemaTVみたいなネット放送局を、ガラケーで立ち上げたのです。クラウドファンディングの要素もあって、番組を見たらポイントが溜まって、それを新しい番組に投資できる。自分が見たい番組に視聴者が自分で投資するので、それによってターゲティングもできる。ぼくはいつも3歩早いと言われます。1.5歩くらいがちょうどいいのに。

S:AbemaTVにクラウドファンディングが加わっていたなんて、3歩と言わず10年は早いですね。「goomo」は3年ぐらいやってましたよね。

K:そうですね、その間に5億円稼いだけど11億円使っちゃっいました。40歳手前で起業ごっこをやらせてもらえたのはいい経験でした。バラエティやってきて番組の振りとオチしか考えたことなかった人間が、会社の会計を考えたわけです。基本は同じだし、両方知ってる方が面白い番組ができると思います。制作者としてもいい経験になりました。

前編はTBSでバラエティ番組を作ってきたキャリアについて聞いた。「デスクがなかった」話は初めて聞いたが、誰の意図でもなく干された形になったことに、人生のリアルを感じた。後編では「goomo」以降のことと、テレビの未来像について聞いている。

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