結局、芸能人って何がスゴイのか?テレビ制作者に聞いてみた 放送作家・鈴木しげきの「テレビを読む」

公開: 更新: 読みテレ
結局、芸能人って何がスゴイのか?テレビ制作者に聞いてみた 放送作家・鈴木しげきの「テレビを読む」

今、なにかと批判の対象となっている芸能人。世間の模範でなければならない。あらゆる人に配慮しなければならない。いろいろ責められているが、結局彼らは何がスゴイのか?

俳優であろうが、芸人であろうが、アイドルであろうが、テレビに映る彼らはいっけん“こともなげ”に芝居やトークをしているように見える。あまりに平然とやるので、視聴者にとって、それが努力の末に洗練された賜物だと気づかないほどだ。

そこには「テレビの作法」がある。多くの人に伝わる技術、多くの人を引きつける魅力、浮き沈みが激しい中で生き抜く強運……。そこに対応する芸能人の能力は、なかなかスゴイ。そしてそれはテレビでは伝わりづらい面がある。今回、芸能人の何がスゴイかをテレビ制作者たちに聞くことで、そこから「テレビ」というものを探ってみたいと思い、アンケートを取ってみた。

芸能人ってよくわからない人たちだけど…フツーじゃない!?

「ある芸人の家でドッキリロケを行った時、部屋を汚されて怒っている様子でしたが、カメラが止まると笑顔で『面白くなりました?』と聞いてきました。どこまでも笑いを追求する貪欲さはスゴイです」(バラエティ・アシスタントディレクター)

「最近のタレントは長めのVTRを見て、リアクションやコメントを求められることが多いですが、売れているタレントは、VTRの制作意図を汲み取って期待通りの、それでいて面白いコメントをしてくれる」(バラエティ・ディレクター)

この“期待に応えようとする”能力は、多くの制作者が指摘するものだ。芸能人は、一回一回求められるものがあってその場に呼ばれている。いつもプレッシャーの中で仕事しているようなものだ。すぐに役割を察知し、それに応えていく。しっかりつかみ切れば、さらにサービスしまくる。
ところが、もちろん上手くいかない時もある。

「バラエティの収録で、スベってしまった芸人さんの反省っぷりがスゴイです。タクシーの運転手さんから聞いたんですが、ある芸人さんを乗せたら、その人が収録でうまくしゃべれなかったのをマネージャーさん相手にずっと悔やんでいたそうです。あまりに落ち込んでいるので気の毒になったと。そんな中で芸能人は仕事し続けているんですから、タフですよね」(バラエティ・プロデューサー)

芸能人の報酬は、我々一般のそれとはケタが違う。しっかり手にする以上、それに見合わない仕事をしてしまったら落ち込みもハンパないらしい。「次がない」からだ。

「最近の若手俳優はとにかく顔がきれい。芝居もうまい子が多い」(ドラマ・制作進行)
「ドラマで脚本の順番通りに撮る順撮りができなくても、ちゃんと編集でつなげると役の気持ちがつながって芝居している。当たり前ですけど、感心します」(ドラマ担当・宣伝)

きっと今、2020年の大河ドラマの撮影は大掛かりなセットを組んだら、そこのシーンを集中的に、効率よく撮っているところだろう。キャスト変更による撮り直しは想像を超える大変さだと思う。その中で、一人の人物を違和感なく演じてみせるにはプロならではのスキルが必要だ。
芸能人というと、美しさや華やかさが前面に取り上げられることが多いが、その下地にはしっかりとワザを身に付けた人たちだと言える。
一方でこんな面も――。

「本番の数時間前に一気に詰め込み、本番が終わったらキレイさっぱり忘れる。言葉は悪いですが“その場しのぎ”の能力に長けている要領のよい人が多い。その瞬発力はすさまじいですね」(情報バラエティ・ディレクター)

「これから生放送や生のイベントが始まるというのに、ろくすっぽ説明を聞かず、理解せずにステージに上がっていく度胸がスゴイ。彼らは不安にならないのだろうかと、打ち合わせするコチラが思います。結果、なんとかなる場合もあるし、ならない場合もあります(笑)」(情報番組・放送作家)

一般の感覚からすると、いい加減な部分もあるという芸能人。が、野生のカンが鋭く、その場を巧みに成立させていく。

「初めてゲストに来た人気アイドルが、番組の一番偉い人が誰かを瞬時に察知し、可能な限りその人にすり寄っていく。これはこれでスゴイ能力だと思いました」(音楽番組・AD)

「肝の座り方がスゴイ。普段から強烈なボケをかましてくる人の隣に立っているからなのか、ツッコミの芸人さんの多くは、近くでとんでもないことが起きていても、絶叫したりその場から逃げ出したりせずヘラヘラしながらやり過ごそうとします」(バラエティ担当・放送作家)

状況判断がスゴイということだろう。その場の変化に対して一歩も引かず、“奇跡の瞬間”を待とうとする。もうちょっと粘れば笑いが生まれるかも。この人に認められればチャンスがもらえるかも。そういった判断をいつもしている人たちと言えそうだ。

テレビに出ているという意味で、キャスターやアナウンサーについても言及してもらった。彼らもフリーになればタレントである。

「尺(時間)に合わせる技術がスゴイです。真価が問われるのは生放送で、時間読みを間違えると事故になります。長時間の特番で、残りの秒数をぴったり合わせて進行し、見事完走する技術は感心します」(情報番組・放送作家)

「本番前、アナウンサーがニュース原稿を下読みしている姿は、男女問わず美しい。ほれぼれします。それでも、ごくまれに本番で噛んでしまったりするので、『とても難しいことをしているんだな』と改めて敬意を持ちます」(情報番組・ディレクター)

歌手や俳優は「上手く」なくても「味がある」「人気がある」という理由でプロとして成立することもあるが、キャスターやアナウンサーは上手くなければ失格となる。徹底的に訓練されているようだ。

また、芸能界は浮き沈みの激しい世界。毎年大量に消えていく人がいる中、長きに渡って愛されている国民的存在もいる。

「大御所俳優と打ち合わせをすると、ほとんどの方が『何でも聞いてください』『私にNGはないから』など温かな言葉をかけてくれる。テレビで怖そうなイメージがある人でも、まったくそんなことはなく、大御所ほど優しく包み込んでくれるような雰囲気を持っている。だからこそ、多くの人に愛され、長く芸能界にいらっしゃるのかなと思う」(バラエティ・ディレクター)

その他、芸能人のスゴイ部分として「負けず嫌い」「ツイてる人たち」「オーラがスゴイ!」など挙がった。やはりフツーの人たちとはかなり違うようだ。

芸能人を見つめると…テレビとは何かが見えてくる?

芸能人がやっていることを簡潔にいうと「非日常をつくってる」ということだろう。もちろんテレビに出ているのは彼らだけではないが、多くの時間帯を芸能人が担っていることから、いわば「奇跡の瞬間を連続させて見せている」のがテレビなのかもしれない。
この状態が、視聴者の“見たい”という気持ちに応えているのだ。

しかし最近、これがお約束として固まりすぎてしまったきらいがある。そこで、テレビ的なものに拒否感が生まれ、それがときどき批判の対象となっている。

そんな視聴者心理に、上手に応えているのがネットだ。「日常的なもの」「身近なもの」「作為のないもの」――こういった要素で支持されている動画や配信は多い。
とくに奇跡は起こらないけど楽しい、というやつだ。
スタジオで行うローション相撲より、部屋で行うメントスコーラの方が惨事は伝わる、ということかもしれない。
女優さんの美しさは最高だけど、街で見かけたら「おっ!」となるくらいのカワイイ子も十分魅力、ということかもしれない(例え、しつこかったらすみません…笑)。
そっちの方が変に作為がなくて受け入れやすいというのはあるだろう。

しかし、テレビは、ウケるならそれらを取り入れようとする姿勢がまだまだある。日常的で、身近で、作為のないものにも手をのばしていく。どっちもやろうとするのだ。
そして、ネットもネットで手をのばしている。ネットの一部はテレビ化が進んでいるのだ。

おや? テレビもネットも同じことをしているのでは?
これは双方が混ざる夜明け前なのか。それとも、奪い合いのいくさなのか。
ただ、同じことをすれば違いはより鮮明になる。もっと鮮明になるまでこの状態は続くと思う。

【文:鈴木 しげき】

執筆者プロフィール
放送作家として『ダウンタウンDX』『志村けんのバカ殿様』などを担当。また脚本家として映画『ブルーハーツが聴こえる』連ドラ『黒猫、ときどき花屋』などを執筆。放送作家&ライター集団『リーゼント』主宰。

PICK UP