さまぁ~ず・三村ら絶賛、12年前急死した『ボキャブラ』芸人の新事実が初解禁

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6月20日(水)21時より放送される『ザ・発言X あの言葉で人生が劇的に動いた!!』(日本テレビ系)では、かつて『ボキャブラ天国』で一世を風靡するも、12年前に突然死した伝説の芸人・村田渚を特集する。

今回は、さまぁ~ず・三村マサカズが5月にTwitterでつぶやいた“とある発言”に注目。それは、番組MCのネプチューンとも深い関係がある、今は亡き村田についてだった。人気コンビ・フォークダンスDE成子坂のツッコミとして、多くの芸人たちから一目置かれていた村田は『ボキャブラ天国』終了後、コンビを解散。芸人として活動を続けるも、再びお笑い界で輝くことがないまま、2006年11月、クモ膜下出血により突然この世を去ってしまった伝説の芸人だ。

今でも村田の才能を惜しむ芸人たちは多く、三村をはじめ、くりぃむしちゅー土田晃之古坂大魔王ら第一線で活躍する芸人たちが、生前の村田について「ツッコミ同士だったんで渚は…。後輩であり、ライバル。」(三村)、「僕ら世代のトップランナーだった。センセーショナルだったかな…」(上田晋也)、「笑いに飢えている…っていうか。24時間笑いのことを考えてないといけないんだな、って、すごく学ばせてもらいました。」(有田哲平)、「お笑い熱すごい…この人売れるんだろうなと。」(土田晃之)「この人といたら何でもボケられる。唯一無二。」(古坂大魔王)などと熱く振り返る。村田にとって最後の相方だった松丘慎吾や、「今までの人生で一番面白いと思った」と村田を慕う後輩芸人・バイきんぐ小峠英二も登場し、彼を惜しむ。

そして、村田とプライベートでも親しかった元芸人、現在は映画パーソナリティーといて活躍しているコトブキツカサが、これまで語ってこなかった新事実を初告白。村田の死にまつわる辛い過去を打ち明ける。コトブキが初めて語る、村田の最後の姿とは?

また、今回はコトブキのインタビューが到着。全文は以下の通り。

――村田との出逢いは?
ホリプロの先輩で、僕が入った当時、すでにフォークダンスDE成子坂は、お笑いシーンでは頭ひとつ抜けてて、雲の上の存在でした。でも、多くの先輩方の中でも、若手の楽屋に遊びに来てくれたり、後輩たちが行けないような飲み会に僕を誘ってくれたり。僕のことを「後輩じゃない、ツレだ」って言ってくれてましたね。

――どういう人でしたか?
いつも僕の話を否定せずに肯定してくれる、こっちに歩み寄ってきてくれる人でした。僕が村田さんとよく飲んでるっていうと、「あの村田さんと!?」って格がすごく上がるんです。村田さんと飲みたがってる芸人って本当に多くて。酒の席だと芸人って、女性の話とかメシの話とかいろいろあるじゃないですか。でも渚さんは「お笑いだけでいい」って、笑いがアテみたいな感じでした。僕が知る限りトップランクにお笑いが好きな人ですね。お笑いの話をずっとしていたい人なんですよ。

――コンビ解散後から亡くなるまでの思い出は?
実は、お互い1999年の年末に解散して、年明け2000年1月に村田さんから「何かやらないか」「漫才とかコントとか」って言われたことがあるんです。それってコンビってことですよね。ただ僕は、前の相方の桶田敬太郎さんと比べられる重責にはとても耐えられそうになくて。それにこの関係を崩したくない気持ちもあって、コンビを組むことから、逃げました。結局2人でトークライブをすることになって、最初は路上でやってましたね。その後、僕の友人でもあった松丘(チャイム・だんな)とコンビを組むって聞いたときは複雑な気持ちになってしまって。クラスのマドンナに告白されたのにカッコつけて断った感じというか、モヤモヤしましたね。

――本番組で“初事実”を語った理由は?
渚さんの半生を本にしたくて、水道橋博士のメルマガ『水道橋博士のメルマ旬報』で、連載『マン・オン・ザ・ムーン~僕と村田渚の物語~』を書いてるんです。担当の編集さんが村田さんのファンで「本を出したい」と。そこにちょうど今年が渚さんの十三回忌で、なにかやろうって話が出てて、やはり渚さんについて知ってほしいなと。これまで語らなかったのは、この事実が僕にとって“本質”じゃないからです。このことで当時、周りから“運命”のようなことを言われたんですが、そこじゃないというか。もし渚さんと僕の運命的なことを考えるなら、僕の芸名ですね。渚さんが亡くなる1ヶ月くらい前に、渚さんがネタで使ってたこの名前を芸名にしたいという相談をしていて。でもその返事がもらえないまま亡くなってしまいました。

――番組を通して伝えたいことは?
若い方はご存じないかも知れないですけど、村田渚って人は“隠れた名バイプレーヤー”ではなく、当時から特別な存在だったんです。お笑いの歴史があるなら、1行記されてる人だと思ってます。お笑いの年表に載る人だと僕は思っていて、それを知ってほしいです。「実は」という存在じゃなくて、確実にいましたから。忘れないでほしいですね。

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