タモリ、浜松が楽器の町になった理由を“5つのステップ”で探る!『ブラタモリ』

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街歩きの達人・タモリが“ブラブラ”歩きながら知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫る『ブラタモリ』(NHK総合、毎週土曜19:30~)。1月25日は、「浜松~なぜ浜松が楽器の町になった♪~」と題して、タモリと林田理沙アナウンサーが静岡県・浜松市をめぐる。

浜松市は、ピアノ・管楽器・電子ピアノ・鍵盤ハーモニカの生産で世界シェア1位という、まさに「楽器の町」。浜松が楽器の町になった理由を、今回は5つのステップをたどりながら、タモリがブラブラ歩いて解き明かしていく。

オープニングは、浜松駅。新幹線の駅構内には、浜松市で生産されたピアノがある。林田アナが、駅ピアノを演奏し、腕前を披露する。

浜松が「楽器の町」になる5つのステップの1つ目として上げられるのが、「ここに家康が浜松の町を作ったこと」。まず、浜松市の中心部を歩くと、徳川家康をまつる「東照宮」を発見。さらに周囲には、河岸段丘を利用した石垣がある。家康は、武田に対抗するために、天竜川の河岸段丘のヘリであるこの地に浜松城を建て、浜松の町が誕生したという。

2つ目が、「家康の領地で綿花を栽培したこと」。中心地から10kmほど離れた町へ行くと、タモリらは川の近くに小さな高まりを発見。「暴れ天竜」こと天竜川が頻繁に氾濫するこの地帯では、この「島畑」という高まりで「綿花」を作っていたとのことだ。

3つ目は、「織機をつくる細工大工が集まったこと」。浜松の綿花で織られた木綿は江戸でも評判となり、大量の織機が必要に。そのため、複雑な機工をもつ織機を作ることが出来る「高い技術力を持つ大工さん」が浜松に集まってきたとか。

そして、4つ目は「山葉寅楠がピアノ作りに成功したこと」。明治維新後、アメリカ製のオルガンが浜松にもやってくるが、2か月で故障。そこで、医療機器の修理工だった山葉寅楠が、細工大工を集めてオルガンを修理。これをきっかけに寅楠はピアノ作りを志すようになり、国産初のピアノを独学で作り上げたのだそう。

そして最後は「木材と空っ風」。南アルプスから天竜川で運ばれた木材と、山を越える乾いた空っ風による乾燥という地形的な面でも、浜松はピアノ作りに適していたそう。このようなステップをたどって、浜松は「楽器の町」になったのだという。

さらにタモリは、最先端のピアノ工場を見学。「木の板はどうやって曲げているのか?」などの疑問を探る。

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