鍵は道頓堀川!?大阪ミナミが日本一のお笑いの街になった理由とは?『ブラタモリ』

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街歩きの達人・タモリが“ブラブラ”歩きながら知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫る『ブラタモリ』(NHK総合、毎週土曜19:30~)。5月18日の放送は、「大阪ミナミ~なぜミナミは日本一のお笑いの街になった?~」と題して、タモリと林田理沙アナウンサーが大阪・ミナミを訪れる。

大阪・ミナミは、道頓堀川や心斎橋があり、ド派手な立体看板や食い倒れの街で知られる、言わば大阪の象徴。この街に点在するのが大小いくつものお笑いのステージで、まさに笑いの絶えない街だ。一体ミナミはいつからお笑いの街になったのか? タモリがゲラゲラ笑いながら解き明かしていく。

まずタモリが向かったのは、ミナミの中心を流れる道頓堀川クルーズ。にぎやかな飲食店街を眺めながら下流に進むと、急に川幅が広くなる。実はこれがミナミの土地が誕生した鍵を握る重要なヒントだという。

続いては、道頓堀川沿いの繁華街をブラブラ歩くことに。郊外の土地に人を呼ぶための仕掛けが、実は江戸時代の仕掛けが道頓堀川沿いの繁華街に、およそ250年変わらず残っている。それは道沿いに並ぶ店舗の間口の広さの違い。南側(陸側)は間口が広いのに北側(川側)は狭く、さらに狭い間口から階段で下がると道頓堀川に出られるようになっているという。

実は広い間口は芝居小屋、狭い間口は芝居茶屋の痕跡。船で道頓堀川から芝居茶屋に直接入り、幕間に休憩や食事をとって時間になると道の向かいの芝居小屋に行ける仕組みだ。江戸時代、わずか400mの道に芝居小屋が6つも立ち並んでいたミナミの街は、芝居町として発展した。

ミナミに笑いが誕生する原点となった場所は、江戸時代の古地図には「火屋」と記されている。今の千日前周辺で、この場所に人を集めようと始まったのが、見世物興行だった。お化け屋敷に、格闘技、水芸などのほか、歌舞伎とニワカをミックスさせた「喜劇」という新しいジャンルの笑い芸も誕生したのだ。

明治45年、日本最大の興行街といわれた千日前の地域は、大火災のため一夜にして焼失。しかし逆境を乗り越え、焼け野原になった街は一大エンターテインメントの街に一新。映画館や水族館、ローラースケート場などが集まるモダンな街になり、客層も女性や子供、スーツ姿のサラリーマンなどでにぎわうようになったという。

さらに、そのモダンな文化を取り入れたのが、新感覚の漫才。それまで漫才とは2人組で鼓や三味線に踊りを加えた演芸だったが、スーツ姿にスタンドマイク、「君」「僕」と呼び合い今に繋がる「しゃべくり漫才」が、エンタツ・アチャコによって誕生した。タモリが、そんなお笑いの歴史をたどっていく。

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