タモリも思わず「素晴らしい」連発!箱根の温泉がNo.1になった理由とは?

公開: 更新:

街歩きの達人タモリが“ブラブラ”歩きながら知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫る『ブラタモリ』(NHK総合、毎週土曜19:30~)。10月6日の放送は、タモリと林田理沙アナウンサーが箱根へ。同番組で箱根を訪れるのは3回目だが、今回は温泉を訪れる。

箱根の年間温泉入湯客数は553万人にも及び、全国でダントツの1位。だが、江戸時代の番付では幕内の「前頭」でしかなかったという。箱根の温泉は、なぜNO.1に登りつめたのか――。タモリが箱根湯本や強羅の温泉街を登山電車やケーブルカーでめぐりながら、知られざる“箱根の一大開発計画”に迫る。

まずは、「箱根温泉発祥の地」を訪れたタモリ。実は江戸時代まで箱根湯本の温泉街は、今の箱根湯本駅から少し離れた所にあったという。そして、奈良時代に発見され、今も使用されている源泉を管理しているのが、江戸時代から続く箱根湯本の旅館。かつて箱根の旅館には「七湯の枝折(しおり)」という巻物が置かれていたのだとか。枝折は、湯本、塔ノ沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦之湯という古くからある箱根の7つの温泉、それぞれのお風呂の入り方を書いたルールブックのことで、タモリはその挿絵に興味津々。後に、この枝折が人々に意外な使い方をされるようになるが、その使用方法とは?

続いて、最新型の登山電車でタモリが向かったのは、終着駅の「強羅」。今では温泉地として有名だが、もともとは箱根七湯にも入っていない巨石が転がる荒地で、明治時代、最高級の高原リゾートとして開発する計画が持ち上がったという。別荘地のために登山電車をひき、日本初のフランス式庭園「強羅公園」を造設。強羅から見える「大文字焼き」も、今では当たり前の「温泉」も、全て別荘のために用意されたものだった。今回は特別に今も残るかつての別荘にお邪魔させてもらうことに。広さ600坪、高低差と巨石を利用した独特の佇まいにタモリも「素晴らしい!」を連発する。

そして、強羅の最高級高原リゾートのために用意されたものがもう1つあり、それこそが箱根がNO.1温泉になるための重要な役割を果たすという。強羅からの急勾配を上るためケーブルカーに乗ったタモリが、そこで気づいたものとは? 箱根の山に点在する温泉の多くは、川沿いの比較的なだらかな斜面だが、なぜその場所ができたのか――。そして、かつて強羅の別荘地に温泉を用意した方法が明らかになる。

PICK UP