タモリ、日本の物流の中心だった山形県酒田の奇跡に迫る!

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街歩きの達人タモリが、“ブラブラ”歩きながら知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫る『ブラタモリ』(NHK総合、毎週土曜19:30~)。9月29日の放送は、タモリと林田理沙アナウンサーが、山形県酒田を訪れる。

鳥海山と日本海を臨む港町で、年間290万人が訪れる酒田。古くは西回り航路の起点となり、北前船の時代に繁栄を極めた場所だったが、どうして江戸から遠く離れた酒田が日本の物流の中心ともいうべき場所になったのか――。そこには最上川を生かした水運と豊富にとれる米や、北前船がもたらす全国の産物の恵み、そして酒田港を強くサポートする沖合いの島の存在が。今回は、自然の恵みをたくましく生かした酒田の人々の知恵に、タモリが迫っていく。

まず、タモリが向かったのは、町のシンボル鳥海山を臨む最上川の河口域。実はこの最上川こそが、酒田発展の足がかりとなった場所だ。屋形船に乗って川岸を観察していると、かつて川を使って行われていた水運の痕跡ともなる古い石垣と船を発見。また上陸して巨大な倉庫の中に入ると、圧倒されるほどの量の米が現れる。酒田は最上川流域の米を集め、西回り航路を通じて一大消費地・江戸に送り込む重要な場所。この航路を利用して発展したのが北前船で、米だけでなく、日本海側の優れた産物を流通させていたという。

続いて、タモリは繁栄を極めた酒田のシンボル、豪商・本間家の旧本邸へ。部屋数23の大邸宅と工夫を凝らしたインテリア、庭に集められた全国の名石に、子孫も登場して、徳川斉昭の掛け軸や加藤清正ゆかりの瓶も披露。タモリも貴重な品の数々に驚く。

さらに、酒田の繁栄を支えた港がどんなものだったのかにも迫る。港が一望できる公園に来ると、海岸はほぼ直線で風よけもなく、いきなり強風が吹きつける。恵まれた環境ではない酒田の港の弱点を克服する秘密が沖合39kmも離れた場所にあるらしく、タモリはフェリーでその場所「飛島」へ。そこには高さ40mの垂直で巨大な岩があり、これが風よけとなり、飛島は酒田の港に入れないときの避難港となってたという。地形と農作物、人間の知恵と工夫があいまって生まれた酒田の奇跡を続々と発見していく。

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