手にするのは絵筆ではなく注射器と彫刻刀 現代美術家・高山夏希が表現する“体感する”景色の正体

公開: 更新: テレ朝POST

新感覚アート番組アルスくんとテクネちゃん、第35回の放送に登場したのは、絵の具を注射器で粒状に絞り出したり、彫刻刀で削ったり…、独特な手法で色を重ね、景色や人物を表現する現代美術家・高山夏希さん。風景は、時の流れや周囲の環境、さらには見る人の気分にすら影響を受け、見え方は常に変容する。その風景を絵画としてただ写し取るのではなく、周囲とのつながりをも感じられる作品として届けるには…? 高山さんの深い思考の森を覗いた。

◆注射器を使って、風景をすくい取る

『World of entanglement birdman』(2020)

―高山さんの作品は、立体的なテクスチャが印象に残ります。どのような画材を使って描いていらっしゃるんでしょうか。

“描く”というのとはちょっと違っていて。まず、制作では注射器を使うんですね。

絵の具を何色か入れて、絞り出して、マーブル状のようにしていく。
塗り固めて積層したものを、次は彫刻刀で削り出したり、カッターの黒刃でそぎ落としていく。すると複数の色が、鑑賞者の目のなかで混ざり合って、数色が1色に見えてくるというような。

―自分では絵の具を混ぜずに、注射器によって自然と混ざっていく。

そうですね。ある意味では自然のなかにある現象のように自然と絡まりあいます。混色すると“描く”行為に近づいてしまう気がするんです。実際に肉眼で捉える色というのは、自然環境のなかで派生する光、色、そして素材、いろんな影響を受けて見えていますよね。

たとえば固有色では白だとしても、日光とか環境的な要素を踏まえて別の色に見えることもあるわけで。現実に見えている複雑な色は固有色では表わせない、と思って、それで注射器や、塗り重ねて、彫刻刃で削るなどといった表現に至りました。

―“描く”のではない、というのはどういうことなのでしょう。

そうですね。現実にある風景を作品にしていくときに、自分が立ち会った風景は動いていたし、日光が当たったり陰ったり、時間も変化していたなと思うんですよね。場合によっては対峙した時の心情だって移り変わっているのかもしれない、1分1秒変わっていくことまでも作品上に残したいんです。

見たままを描き写すのではなくて、たとえば、海の色が時間や天候、さまざまな環境的な要素でだんだん変わっていく、ようなことを作品に残したい。だから“描く”とか“描き写す”っていうのは違う気がして。

―観た人もその感覚を追体験するというか。

視覚的に見るというよりは感触みたいなものを感じてもらいたい。ただ画像的に風景とか情報として見るんじゃなくて、自分が生きているなかの動きのある時間、のように感じて没入してもらいたい、というのはあります。

絵の具が盛り上がっていたり、肉のような質感をもたせたりするのは、自然のなかに入っていったときに「どこかに生き物がいるんじゃないか」と感じた感覚を表しているからなんです。実は目もあるんですよ。近寄るとわかるんですけど。

『World of entanglement birdman』(2020)

―ああ、本当ですね。びっくりした。なるほど、高山さんが実感したことを実感させるために作品を作っているということなんですね

自分自身が制作するなかで“実感”ということに重きを置いていますが、私自身の実感したことを実感させるために制作しているわけではありません。鑑賞者が自分自身だけではなく、わたしたちの周囲に存在する、人間や生き物を含めたさまざまなものとの“関係”を取り戻すことが、孤独とか断絶を救ってくれるんじゃないかなって。

◆世界とのつながりを感じてもらいたい

『World of entanglement 2020』(2020)

―とても共感できます。作品のモチーフはどのように選ばれていらっしゃるんですか?

動物とか人間……、民族をモチーフにすることが多いですね。生き物や環境と主従関係を築かずに、ともに生活をしている人たちですね。

―上下のあるような力関係があまり好きではない、ということでしょうか。

そうですね。私は東京生まれなんですけど、山口の岩国に祖母の家があって、よく行き来していて。イノシシが出たりサルがいたりという環境で育ったんです。

“帰る”って、主に家を指し示したりすると思うんですけど、私には岩国の祖母の家も含めたあの環境に帰るというのが、いちばん“帰る”感覚でした。自然とつながりをもつことで、孤独とか断絶を払拭できるような気がしていました。

―やはり都会にいるときに孤独とか断絶って感じやすいものですか?

田舎と東京で二極化していると考えているわけではないんですけど、やはりどんどん町が更新されていく都会よりは、岩国にいるときのほうが自然により近づける瞬間があるような、もっというと何かと”つながっている”気はしますね。

一方で東京にいると、“つながり”や“実感”が遠ざかってしまうような感覚があるのではないかと思う瞬間に立ち会うことがあります。

目の前にいる人のことをただの他人だと思ってしまう、消費社会のなかで使い捨てのように扱われていく周囲のものたち。でも、本当は自分自身もふくめて全て世界の一部なんです。近代化するなかで生まれるものたちだって、完全にそう(一部であると)感じられないということではないです。

―なるほど。

中心に生き物がいても、その周囲にあるものもつながっているように表現すること、さらに鑑賞者と作品の世界がつながっているとも認識できるような作品を作りたくて。

―見るのではなく、感じてほしいわけですね。

そうですね。目で見て脳で処理するより、もっと速いスピードで追い掛けてくる出来事が岩国の生活のなかには結構あった気がするんです。

衝撃だったのは、裏の畑で銃声がしたこと。行ってみたら、トラックの上にイノシシが横たわっていて。そこにいた人に聞いたら、「畑を荒らしちょったけん、殺したんよ」って。ちょっとネガティブなシーンですが、そういう体験を頭ではなく身体で受け止めたことが、作品のイメージになっているというか。

―心に残りますよね、そういうのって。

あと、祖母が庭いじりが好きで、ちゃんと道も整えていたんですね。でも、あるとき庭仕事ができなくなったら、たった一ヶ月であったはずの道が消えてしまったんです。人が造った道を自然が抗うように覆い尽くして、小さい頃から通っていた道がなくなってしまった。

―自然の生命力を思い知ったと。

自然は人間とは無関係にあるがままに存在するんだという衝撃と、人間ひとりの個人がこうして生きていくことで、自然にここまで影響を与えている事実。人為的なものが破壊されても、そのうえで自然はあるがままに続いていくことを含めた、そのふたつの側面が自分のなかではかなりショックで。“人間ならざるもの”の存在に気づいたというか。

―“人間ならざるもの”?

コロナ禍でも、パンデミックのなかで目に見えないものへの存在感に対して意識が強くなっていますよね。

私が作品を制作するきっかけのひとつは、震災だったり、津波だったり、そういう人間の力が及ばない存在に気づいたっていうことなんです。それは、見えているもののみで完結しているわけではない世界、への安堵だったり、不安や恐怖だったり。

見えないものと見えるもの、世界はどちらの力も働いているんだと認識できたことが、この数年でとても大きくて。でも人間の歴史をふりかえれば、近づいたり遠ざかったり…、「見えないもの」への存在に対する眼差しや、関係を結んでいくことは、私たちに本当の意味での現実的な“意味”を与えるのではないだろうかと考えています。

そのように世界を見る糸口になってほしいっていうのが、作品を作る上でのコンセプトのひとつになっています。

―人も、人でないものも、つながっているんだと。

注射器に絵の具を絞り出すときの、色の粒子が混ざり合っている生の状態って、人間と同じだなと思うんですよね。

人間は原子の集合体で、私が座っている椅子とも、分子レベルでいったらつながっているわけで。だからいつも、絵の具を絞るときもギューッと長く絞り出すんじゃなくて、粒状にチュッ、チュッと出すんです。

―やり方があるわけですね。

そうです。ビーズが連なっているように見えますが、少しずつ、つなげながら。

私と物質のあいだにあるたしかに見えないけど存在してるもの。人間、生物を含めたすべての物体が原子の集合体であるように、絵の具のなかでは固まる前に、複数色の細かい粒子と粒子が流動して絡まりあっています。細胞や分子レベルから見た小さな小さな世界。これを想像しながら、絵の具によって一粒一粒を表現しています。

それには自分や現実にある事象、すべてのことがつながりをもったものとして感じられるようにしたいという意図があるんです。

◆作る人たちに囲まれて育ったから、今がある

―結果として画面のなかで色が混ざり合うことで、つながりが生まれるという。高山さんはいつから絵を?

小さい頃から絵を描くが好きでした。東京の池尻に廃校を再利用したものづくり学校という場所があって、そこをつくったのが父なんです。美大を卒業したクリエイターが集まってきていて、絵に限らず何かを作る人が周りに多い環境だったんですね。母もテキスタイルや織りをやっていたし、作る人が多かったんです。

―じゃあもうアーティストになるのは必然というか。

小さい頃は、将来アーティストになるなんてまったく意図していませんでしたけど、手をとにかく動かしていたい、みたいな感じでした。テレビゲームとか全然わからなくて、なにかしら作って遊んでました。

―そこから今のような作風になっていったのは?

やっぱり美大を出た人を見て育ったし、いつか自分も美大に行きたいなというフワッとした感覚はあって、美術系の高校に入りました。高校では、デザインとファインのコースがあって、ファインのほうに確信をもちました。

それから美大を目指し予備校に行ってみたら、石膏像や無機質な生物が用意されていて、模写する授業を受けて、それを続けていくなかで、自分が感情移入ができないものを教えられた道具で模写する行為の意味が理解できなくなってしまって。

一浪した時に、絵をうまく描くんじゃなくて自分の表現で合格しましょう、というクラスがあって、ああ、自分の作品として絵を作っていいんだと。そこからすぐに注射器を使ってみたんです。

―高校の時点でもうはじまっていたんですね。でも、注射器を選ぶというのはなんとも独創的な気がします。

「なんで筆で描かなきゃいけないの?」って思ったんですよね。それに、そもそも画家や絵だけを見て育ったわけじゃないので。母のテキスタイルや、いろんなプロダクトの影響で自分のアイデンティティが蓄積されていったんだと思うんです。そこに素直に従っていった結果という気がします。

『1_20』(2020)

―高山さんは、この先どういった作品を作っていきたいですか?

やっぱり枠組みを作らないということですね。今までも自分の表現というものを信じて、一つひとつの作品を確信をもって作ってきたんですけど、そこに縛られずにいろんな経験をしたりしたい。より身体に投げかけていくような作品を、今後はもっと作っていきたいと思っています。

<文:飯田ネオ 撮影:You Ishii>

 

高山夏希
現代美術家

たかやま・なつき|1990年、東京都生まれ。2014年に東京造形大学造形学部美術学科絵画専攻卒業。2016年、東京造形大学大学院造形研究科美術専攻領域 修了。主な個展に「Mnēmosynē」(2019)「Tangled Colors」(2018)など。2016年「アートアワードトーキョー丸の内2016」で後藤繁雄賞、2014年に「東京造形大学 修了制作展」ZOKEI賞を受賞。現在、表参道Rikka galleryにて水戸部七絵さんとの二人展「HUMANITY」を開催中(6月25日まで)。

※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)

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