一瞬一瞬を偽りなく過ごせていますか? 動物をモチーフに作品を生み出すアーティスト、宮川慶子が問いかける”純粋な生命”とは

公開: 更新: テレ朝POST

新感覚アート番組アルスくんとテクネちゃん、第33回の放送に登場したのは、子鹿のはく製の体から真っ赤な耳のようなものがたくさん生えている立体作品を生み出すアーティスト、宮川慶子さん。周囲の情報はキャッチしたい、でも時に情報に翻弄され、自分自身を見失う感覚になることもある…。命に純粋に向き合う動物たちをモチーフにした作品を通して、小さくて弱い存在に優しい眼差しを投げかける宮川さんの生命観にせまる。

◆鹿の体から芽吹く、赤い耳

―『わたしがわたしとあなたのためにお祈りしているとき』という作品ですが、鹿から生えているこの赤い物体は、どういったものなのでしょう?

『わたしがわたしとあなたのためにお祈りしているとき』(『As I pray fou you and me』)(2014)
photo by Masako Kakizaki

耳のようなイメージで見ていただけると嬉しいです。

―炎にも、植物にも見えます。

そう言ってくださる方が結構いて、嬉しいです。キノコだと言う方もいらっしゃいますし、身体から芽吹いてくるようなイメージなんです。

―耳が芽吹いてくるんですか?

そうです。周りの音が聴こえすぎてしまって、自分の身体の音、心のなかの声が聞きづらくなることってありますよね。自分自身がどんな形をしているのか、どんな意識をもっているのかが、だんだんわからなくなってしまう。自分が周りにかき消されてしまうような。

それでどんどん、赤い耳が生えてくる。

―でも耳が生えてくるということは、何かを聴こうとはしているんですよね。

能動的に音を“聴きたい”意識と、“聴かないといけないのかな”というプレッシャー、それがごっちゃになって、耳が生えてきたというか。

満員電車に乗っていると、周りの人と密着していますよね。街に出ても、あちこちからさまざまな音が聴こえてくる。そうやっていろんな音が聴こえると、自分自身がかき消されてしまうような感覚に陥るというか……。

―音を聴きすぎると自分がなくなってしまう。でも、周りの状況も聴きたいし、いろんな人の話も聴きたいという。

聴きたい音も、聴きたくない音も、全部入ってくる。それはよいことでもあり、悪いことでもあり、あるいはそのどちらでもない。「そういう気持ちになることってないかな?」って、作品を観る人に問いかけている感じです。

◆動物のような純粋な存在に憧れる

―この作品に使われているのは、鹿のはく製ですよね。

はい。基本的には私の作品に人間が登場することはないんです。私は生命にまつわるようなものをテーマに制作をしているんですけれど、動物は命が純粋にむき出しになっている存在なんじゃないかと思っていて。

人間は理性もあるし、「こう言ったらこう思うんじゃないか」という気持ちも働くし、純粋に生きるのって難しいと思うんです。

―たしかにそうですね。

その点、動物は欲求に忠実じゃないですか。寝たいときに寝て、食べたいときに食べて。獲物を捉えて、お腹いっぱいになるまで食べているの見ると、なんて欲望に忠実で、美しいんだと思ってしまって。すこし羨ましいくらい。

いちばん“純粋な”命の形って何なんだろうなと考えた末、人間以外の生命なのではないかと。そ れで、動物をモチーフに作ることが多いんですね。

―その意識はいつから生まれたのでしょう。

牧場に行ったらずっと牛や馬を観察しているような幼少期を過ごしていたんです。可愛い、可愛 いって。だから絵を描くときも、漠然と人間よりも動物のほうが可愛らしいなと思っていたんです。

でもあるとき、どうして自分は動物に興味をもつんだろうと考えてみて、「正直に生きているからなんだな」と。そこに魅かれたのが大きいですね。

―宮川さんは絵画も描かれますよね。たとえば、『Self portrait』には、ロバのようにも女の子のようにも見えるモチーフが描かれています。

『Self portrait』(2017)

これはロバみたいな、馬みたいな、鹿みたいな、謎の生き物です。たぶん、変化の途中なんだと思います。人間から動物に、つまり、純粋な存在になろうとしている。

―ああ、なるほど

動物の気持ちを想像することはできるけれど、動物自身になることはできないし、彼らの本当の気持ちはわからない。あくまでも、私は人間の目からみた純粋な姿を追い求めていて、その追い求めている途中の状態が、変身途中という形で描かれるのかもしれないです。

―純粋である、ということは理想の姿なんですね。

人間は純粋に生きることは不可能だと思うんですけど、意識すればよりよくなると思っていて。

自分の行動がいつも正しいと思うんじゃなくて、本来の自分が見えなくなってしまっている、その要因であるかもしれない”自分の弱さ”の核の部分を、落ち着いて見てあげられるような人になれればな、って思っています。

―『わたしがわたしとあなたのためにお祈りしているとき』というタイトルには、どんな意味が?

“祈る”というとプラスのイメージがあると思うんですけど、誰かのために祈るのって、ちょっと厚かましいというか、怖くないですか? 祈るって念じることだから、自分の意識を他者に飛ばすことですよね。それってちょっと怖いなと思って。

「私がわたしとあなたのためにお祈りしているとき」って、言葉だけだと純粋に見えるんですけど、”祈り”って本当に純粋なことなのかな、って。

―わかるような気がします。

最近はそういう意識で作品を作ることはないんですけど、自分の意見だけで「この見方が正しいからこうでしょ」みたいな押しつけってどうなのかな、とは思っていますね。だから作品を通じて観てく れた人に問いかけているんだと思います。

―宮川さんがテーマにされている命とは、どんな考えに根ざしているのでしょう。

私は、生命の生と、生殖の性と、聖なるものの聖、3つの“せい”について制作しているんですね。

人間って、どんなに頑張ってよいものを残しても、どんなに悪いことしても、最終的にはみんな死んでしまう。同じなんですよね。そのなかで自分は何ができるんだろうって思うんです。

―命あるものはいずれ終わってしまう、というところから発想していく。

そうですね。それは決してマイナスな思考ではないんです。永遠に続くものなんてないからこそ、一瞬一瞬を純粋に過ごせてますか? 嘘や偽りなく過ごせてますか? と問いかけたい。作品を通じて他の人に質問をするような感覚です。

―そういうことを考えるようになったのは、いつ頃からですか?

小さい頃からだと思います。私の大叔父が僧侶で、お寺に行くと必ずお経を唱えてたんです。

お堂には飼っていた黒猫とか犬が寝っ転がっていて、私も一緒に横になりながら、「何のためにこれを唱えているのかな」「何のためにこんなに立派な仏具があるのかな」ってよく考えていました。お墓で鬼ごっこをするときも、「この石のなかには何が入ってるのかな」って。

―死が身近だったわけですね。

「いつかわからないけど、自分も死んだらこのなかに入るんだな」と思うと、もう少し深く考えてみたくなったんです。

学者さんになったり、尼さんになったり、いろんな方法があると思うんですけど、私には自分の手で作品を生み出すのがいちばん適してるんじゃないかなと思って。

◆弱さと向き合い、作品を作っていく

―作品にはく製を使ったのはどうしてなのでしょうか。

はく製って、存在自体が強いと思うんです。生き物は死んだら土に戻るはずなのに、人間のエゴでわざわざあの形に留められて、販売される。人間が、弱いものを力で制した強さが感じられる。

そのはく製をあえて選んだのは、『わたしがわたしとあなたのためにお祈りしているとき』を作っていた頃、強くないと周りから押しつぶされてしまうような気持ちだったからなんです。

―制作当時の心境が反映されているんですね。

はい。でもその後、強さというのは自分の正直な姿ではないと気づいたんです。触ったら折れてしまうような弱い素材を使ったり、小さな生き物を作ったりして、弱い立場の人たちに注目することが私の本来の姿だったんだと気づいて。正直になるちょっと前の作品、みたいな感じですね。

―はく製という強い力を帯びたモチーフを使ったことに、宮川さん自身の迷いが表現されているのかもしれませんね。周りに翻弄されることと、自分をもつこと、その間で迷ってる作品でもあるというか。

ああ、そうですね。

―お話を聞いていると、弱さへの優しい視点があるような気がしますね。

本当はすごく怒りっぽいんですが(笑)。小学校のとき、不登校だったんです。クラスメイトがいじめ に遭っていたり、人によって態度を変える先生がいて「どうしてこんな人の意見を聞かなくちゃいけないんだろう」と思って、頭にきて行かなくなったんですね。

でもすごく悲しくて、毎日泣いて過ごしていて。怒りが外に出ていくんじゃなくて、すぐ泣いてしまう。それは自分の弱い面だと、ずっと思っていたんです。

―外に出さずに、内に溜めてしまうというか。

どんなことを言われても、キツい人に当たっても、個人的な意見は言わずに受け流してきたんです が、でももっと強くならなくちゃと思って。

それで作品も、大きな重たい立体造型を作ったり、それこそはく製を使った制作をしてきたんですけど、それは本来の私じゃないよなと。それで現在にいたる感じです。

―本来の自分じゃないと気づいた、きっかけのようなものはあるんでしょうか。

ひとつは、奈良美智さんが大学の卒業制作で作った作品をたまたま見てくださって、それをきっかけに青森の美術館で個展をさせてもらったことがあるんです。

それは白いキャンバスに描いた絵だったんですけど、「なんで選んでくださったんですか?」と聞いたら、「ぼく以外は見つけられないような“弱さ”があって、いいなって思ったよ」って言ってくださって。それで「ああ、弱くてもいいのか」と思えたんですね。

青森県立美術館 八角堂個展風景
photo by Masako Kakizaki

―弱さというものが強みになった。

もうひとつは、はく製の作品を観たある芸術家の方に「自分の気持ちに嘘をついている」と言われたんです。「嘘をつきながら制作しているのなら価値はない」と。

最初は批判されていると思ったんですけど、要は「しっかり自分の本質と向き合いなさい」という話だったんですよね。

―ああ、なるほど。

自分の立場とか存在意義をしっかり理解しない限り、アーティストはそのフィールドに立つべきじゃないって。とてつもなく正直な方だなと思いました。「隠してたものを全部出すべきですよ」というア ドバイスをいただいて、恥ずかしいから隠してしまおうと思っていた弱さを、あらためて出してもいいんだなと思えるようになったんです。

―自ら強さを意識した作品を作ったことで、その裏側には弱さがあるとわかったわけですよね。強く見える人にも弱い部分はある、そんな普遍性というか。

そうですね。フィルターを通さずにその人をしっかり見ることが大切なのかなと思います。

―作風にも影響が?

最近は「みんなシリーズ」と呼んでいるちっちゃい作品を作っています。イマジナリー・フレンド(空想の友人)みたいに、私たちの世界には小さな弱い生き物たちが生きている。

疲れたり、ちょっと悲しい思いをすると、この子たちがエールをくれるというか。そういう存在がいたら生きやすいんじゃないかなって思うんですよね。

平塚市美術館「生命は自分自身だけでは完結できないらしい」展示風景(2021) photo by Shinichi Ichikawa

―小さくてかわいい作品ですね。

「しかしか」は、顔がふたつ生えてる謎の生き物なんですけど、「鹿ちゃん」って呼ばれてるので鹿ということにしてます。

顔がふたつあるのは、自問自答を目に見える形にしたいなと思って。ひとりの時はよく頭のなかでやるんですよ。「本当にこっちでいいのかな」とか「これはどうしようかな」とか。それを目に見えた形にしたら、その「しかしか」ができあがったんです。

―強い作品を作っていたところからの変化がおもしろいです。

弱い存在ってあちこちにいると思うんです。私自身、大きな声を出せないですし。

フォロワーがたくさんいる人とか、学校のなかで強い意見をもっている人、社会において声が大きい人たちってたくさんいますよね。そして、そういう強い人たちの意見にみんな耳を傾けがちで。

でも、強く、はっきりと意見を言う人も素晴らしいですけど、その横にいる声の小さな存在のことも忘れないでほしい。彼らだって強くたくましく生きてるんだよ、って伝えたいと思っています。

<文:飯田ネオ 撮影:大森大祐>

宮川慶子
アーティスト

みやがわ・けいこ|1991年生まれ。2014年、東京造形大学 造形学部造形学科 絵画専攻領域卒業。2016年、東京造形大学大学院 造形研究科美術研究領域 修了。2014年に奈良美智氏が選ぶ若手作家選抜「プロジェクトPHASE2014」に選ばれる。主な個展に、平塚市美術館「生命は自分自身だけでは完結できないようになっているらしい」(2020)、「You and I-あなたとわたし-」(2019)、「他者の総和-every one-」(2019)。主なグループ展に「gift from…..to…..」(2020)、「gift-Green Box-」(2019)、「-異界への扉-冬の所蔵品展」(2019)

※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)

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