2021年1月。30年の現役生活に終止符を打った中山雅史53歳。

誰よりも現役選手であることにこだわり、キャスターとしての解説業を行うかたわら、選手としてもトレーニングを怠ることがなかった。

しかし、今シーズンから古巣・ジュビロ磐田のコーチに就任。選手としての引退を決断した。

そこに至るまでには、どんな葛藤があったのだろうか。

テレビ朝日のスポーツ情報番組『GET SPORTS』は、中山雅史の現役最後の2シーズンに密着し、ふたたびピッチに立つため、もがき苦しみ戦う姿を追いつづけてきた。

3月7日(日)深夜の同番組では、世界一あきらめの悪い男が挑んだ“最後の挑戦”に迫った。

◆「あきらめるためにやっている。やれることをとにかくやりつくしたい」

Jリーガー中山雅史。その歩みは、日本サッカーの歴史に重なる。

プロとしてのはじまりは1994年。ジュビロ磐田のストライカーとしてゴールを量産し、1998年には4試合連続のハットトリックを記録した。

さらに、日本代表としてもゴールを量産。

W杯初出場まであと一歩で逃した1993年「ドーハの悲劇」、悲願のW杯初出場を決めた1997年「ジョホールバルの歓喜」という、日本サッカーの天国と地獄を経験。

1998年フランスW杯では日本人初のゴールを決めるなど、日本サッカー界を引っ張ってきた存在だ。

誰よりも熱く、誰よりも泥臭いプレースタイルで多くのゴールを生み出した反面、そのサッカー人生は膝の怪我とのたたかいの連続でもあった。

2012年には一度現役を退くも、記者会見の場では「引退」の言葉を口にすることは一度もなかった。

すると3年後の2015年、47歳で現役復帰を宣言。

あきらめるためにやっている。やれることをとにかくやりつくしたい」と抱負を語っていた。

◆親子ほどの選手たちとの競争。もう一度ピッチに立つために

中山が所属したのはJ3アスルクラロ沼津。

レジェンドといえども、置かれた環境は決してやさしいものではない。親子以上歳の離れた選手が大半を占めるなか、上を目指す若い選手たちにとって中山はあくまでライバルという存在だ。

よりサッカーに集中するために、静岡に単身部屋も借りた。洗濯など身の回りのことも自らこなす毎日。すべては、もう一度ピッチに立つためだ。

しかし、古傷である膝とのたたかいも、まだなおつづいていた。

このチームで5年目のシーズンを迎えていたが、公式戦への出場はゼロ。ベンチに入ることさえできない日々を過ごしていた。

そんな状況でも精力的にファンサービスを行い、試合後には率先して片付けまでこなしていた中山。

なぜ、そうまでして現役にこだわるのか?

好きなことやって、お金もらって、応援までしてもらって、よろこびを感じられて、そんな素晴らしい場所ないじゃん。そこを手放したくないなとは思うし、自分の全盛期まではいけなくても、どこまでそこに近づけられるのか、サッカーを楽しくやれる状態までいけるのかっていう挑戦だと思っている」(中山)

己の引き際と向き合いながら、最後の挑戦場所を求めていた。

そんななか、あらたなやりがいも芽生えていた。

2019年からアスルクラロ沼津のユースコーチに就任し、次世代の育成に情熱を捧げるように。ユース世代の選手たちと一緒にトレーニングを行うなど、“選手”と“コーチ”の二束のわらじを履きながら奮闘していた。

コンディションも確実に上向き、ピッチは近い。中山自身そう感じていたが、あらたなシーズンを前に信じられない事態が発生する。

◆完治まで半年以上の手術。壁を乗り越えるために…

過度な練習により、右臀部(でんぶ)の付け根が断裂。選手生命を脅かす大怪我だった。

完治まで半年以上を要する手術を受けなければならない。それでも中山はあきらめなかった。

「手術するから、じゃあ選手辞めますっていう選択はない。辞めることを選択したら、ピッチに立つ所にいきつけないじゃん」(中山)

現役続行のために下した手術という決断。

手術から1か月半後、まずは“歩く”という基本的な動作からのリハビリをはじめる。単純な動作も術後の中山には一苦労。それでも一つひとつリハビリの強度を上げていき、徐々に行える動作が増えていった。

「しっかりボールを蹴って、みんなとサッカーしたいし、まずはピッチに立つこと。焦りがないって言ったらそれもないとも言えないけど、ここで焦ってもしょうがないから」(中山)

2020年、3か月遅れでJ3が開幕した日。中山の姿はサブグラウンドにあった。

手術による遅れを取り戻そうと、筋力トレーニングに励む。サッカーの基本的な練習を一歩一歩積んでいた。

“壁があるからおもしろい”と中山は言う。壁を乗り越えるための小さな布石を積み重ねていく。

これまでどんな逆境の中でも前を向き、幾度となくチームの窮地を救ってきた。あきらめない姿勢は50歳を超えても変わらない。

◆最後のピッチで見た「悔しい景色」

2020年シーズンが終わりを告げたある日。中山は2年ぶりとなる全体練習へ参加した。スパイクを履いたのも実に2年ぶりのことだった。

仲間が待つピッチへ出ると、みんなとサッカーができるよろこびをかみしめる。全盛期には遠く及ばないが、”泥臭いプレー”は色褪せていなかった。

「久しぶりにみんなと練習できて、よかったですよ、楽しかった。やりつづけてこなければここには至れないし、この景色は見られない。実際に自分が(現役を)やってきたからこそ得られたものなのかなと思います。あきらめるっていうとネガティブな感じを受けがちだけれど、明らかに極めたことによって退くのならば、自分でそこまで行きついたんだって思えたなら、それはそれでいいのかなと。

ずっとやりつづけてきて、ここまでしか来られなかったかっていう景色を見られた。それは悔しい景色なのだけども。それがわかったということは、わかるまでやれたってことは幸せなことだと思います。幸せじゃないんだけどね(笑)」(中山)

サッカー選手・中山雅史。あきらめなかったからこそたどり着いた、最後のピッチ。

2021年のJリーグが開幕すると、古巣ジュビロ磐田のコーチに就任し、第二の人生をスタートさせた。

それでも彼は今なお、こう話す。

「選手卒業なんですかね。留年かな。休学かな。休学してますけど。そりゃプレイヤーの方がいいでしょ。そりゃ選手が一番ですよ」

番組情報:『GET SPORTS
毎週日曜日夜25時25分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)

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