奥田瑛二、家族みんなが第一線で活躍。「仲はいいけど、得体の知れない緊張感はずっとある」

公開: 更新: テレ朝POST

1979年、映画『もっとしなやかに もっとしたたかに』(藤田敏八監督)、映画『もう頬づえはつかない』(東陽一監督)で注目を集め、1986年の映画『海と毒薬』(熊井啓監督)では第37回ベルリン国際映画祭・銀熊賞審査員グランプリ部門受賞をはじめ、毎日映画コンクール男優主演賞など多くの映画賞を受賞した奥田瑛二さん

1989年には『千利休・本覚坊遺文』(熊井啓監督)で日本アカデミー主演男優賞、1994年に公開された映画『棒の哀しみ』(神代辰巳監督)ではキネマ旬報をはじめ、8つの主演男優賞を受賞するなど日本映画に欠かせない俳優に。

©︎『痛くない死に方』製作委員会

◆42歳で監督目指しイチから映画修業

俳優として数多くの映画、テレビ、舞台に出演してきた奥田さんは1992年、42歳のときに「映画監督になる」と思い立ち、周囲に宣言。基礎から映画製作を学ぶことにしたという。

-映画監督になると思われたきっかけは?-

「42歳のときに『このままいけばどうなるのかな』と思い、映画監督もいいなと思いながら企画は立てたりはしていたんです。44歳のときに『棒の哀しみ』という映画に出て賞を8個もいただいて、監督の神代(辰巳)さんと企画した映画もあったのですが、神代さんが亡くなってしまって…。

それで『賞をいっぱいもらっても、この気持ちはなんだろう? 映画俳優になるという夢は叶(かな)った。夢が叶ったらもう終わりじゃないか。どうしたらいいんだろう。もう俳優を辞めるしかないか』と思ったんです。でも、俳優を辞めて何をやるのかと考えたときに何もできないし、やっぱり映画界にいたいから映画監督ならば死ぬまで現役だと思いました。

それで『よし、僕は映画監督になるぞ』と決意して、映画の修業を5年間しました。基礎から映画製作を学び、48歳のときに助監督を経験し、50歳でメガホンを取りました」

2001年、奥田さんは『少女~an adolescent』で映画監督デビューをはたし、自ら主演も務めることに。

「はじめての映画監督作品で主演も務めますから、出来が悪いものを作って映画監督で失敗したら俳優・奥田瑛二もダメになると思ったので命がけでやりました。『自分が撮りたいものを妥協しないで撮るぞ』という思いで命がけで撮ったんですが、作品として評価を受けることができ、おかげで俳優・奥田瑛二が生き残りました」

『少女~an adolescent』は第17回パリ国際映画祭グランプリ受賞をはじめ、海外の映画祭でも多くの賞を受賞。3作目となる『長い散歩』はモントリオール世界映画祭でグランプリなど3冠を獲得。2013年には安藤サクラさんと柄本佑さんを主演に迎えた『今日子と修一の場合』など、これまでに5本の映画を監督として世に送り出し、映画監督としても高く評価されている。

「10年で5本撮ると言って結果的に5本撮ったのですが、″監督″のスイッチと″俳優″のスイッチはそれぞれ違うものですからね。『このままだとダメだ、どうにかならないか』と思ったときもありましたけど、『午後からは映画の監督の打ち合わせです』、『明日は朝から俳優の仕事です』というスイッチが、自然に切り替わるようになりました。

それができるようになったのは監督として3本目が終わったくらいからです。今では俳優・奥田瑛二と監督・奥田瑛二の両方をキープできているなと感じます。娘(長女・安藤桃子さん)も映画監督をやっているし、もう1人(次女・安藤サクラさん)は女優だし、そういう意味では2人が自分の職業を継いでくれているという見方もできるわけですよね」

©︎『痛くない死に方』製作委員会

映画『痛くない死に方』全国順次公開中
配給:渋谷プロダクション
監督:高橋伴明
出演:柄本佑 坂井真紀 余貴美子 大谷直子 宇崎竜童 奥田瑛二

在宅医療のスペシャリスト・長尾和宏医師のベストセラーを映画化。家庭崩壊の危機を抱えながらも、在宅医だからこそできる医療を模索し、成長していく医師(柄本佑)の成長を描く。

◆義理の息子・柄本佑さんと共演

全国順次公開中の映画『痛くない死に方』では義理の息子・柄本佑さんと共演している奥田さん。柄本さん演じる在宅医の先輩で、実在の在宅医療のスペシャリストがモデルの医師役を演じている。

「この作品は、まずは監督ありきで出演することに。高橋伴明監督とは長年一緒に仕事をしてきてお互い気心が知れているし、同い年。この作品の前に『赤い玉、』という映画で主演もやっているんです。

高橋監督が撮る作品にはどんなチョイ役でもそれなりの意味があると思っているので、どんな役でもやるつもりでした。台本を開いたら柄本佑が最初に載っていて、最後には僕にオファーが来た役名が。これは当然のことながらやるべきだと思い、ふたつ返事で受けました。台本も読まないで受けると言っちゃったんだけど、読んでみたらこれはなまじな気持ちではできないなと。

佑は我が家の一員で僕の義理の息子ですし、劇中では師弟関係。医師として、また人としてどうあるべきかを指導していく設定ですからやりがいがあると感じました。それに僕も監督も人生というものを振り返らなきゃいけない時期だから、そういう意味では同じ仲間だなというのもあって。

監督のことは信頼していますし、さらに(柄本)佑がいるし、余貴美子さんとか宇崎竜童さんとかすごい役者ばかりですから、しっかりしたキャスティングだなと思いました。

だから、長野という役をどういうふうにしたらいいだろうと考え、看取(みと)るということは亡くなる人にはその人の人生があって、それをどういうふうに自分が理解して人生を捉えられるかだと思ったんです。

出来上がった作品を見たときにすごく安心しました。自分は当然、長野としてどうだというのも気になってしまいましたが、やっぱりそれぞれの家族のシーケンスが見事だなと。

宇崎竜童さんも前々からよく存じ上げていて一緒に食事もしたりしていたのですが、リーゼントじゃなく白髪で出てきて。リーゼント以外は見たことがなかったので驚きました(笑)」

-まるで別人のようでしたね-

「そうでしょう? ビックリしました。すごいですよね」

-この作品に出たことで、ご自身の終活を考えたりは?-

「この作品をやっているときに徐々に役がしみ込んできたのでしょうね。撮影が終わって初号試写を見たときから考えはじめました。いまだにずっと、毎日生きること死ぬこと、家族のことを考えてしまいます。いい意味で。

死ぬことは何の問題もないんですけど、『突然死ねないな。通帳のありかは大丈夫だ。身の回りのモノもいらないものは全部始末するしかないな。そうしないとみんなあとであたふたするだろうから、そういうファイルを作っておかないといけないな』というようなことをフッと思って、昨日も夕飯を食べながら妻とそういう話をしていました。

僕は25年ぐらい前に家族に宣言したことがあるんです。『最期を迎えるとき、僕が右手を挙げたら幸せだった、左手を挙げたら不幸せだった、どっちも挙げなかったらまあまあだったということだ』と。最期はやっぱり右手を挙げたいですから。そのために生きている間は走り続けていきたいと思っています」

 

◆コロナ禍で家事に目覚めて…

コロナ禍で2020年からエンタメ業界も多くの映画や舞台が中止・延期を余儀なくされているが、奥田さんも監督作品の撮影が延期になったという。

「去年の3月に自分が監督する映画の高知でのロケハンが終わってホテルに帰ったら、4月に緊急事態宣言が出るらしいという話が出て、これは大変だということになりました。

緊急事態宣言がどういうものなのかわかりませんでしたから、『どんなことになろうが、絶対に撮るぞ』と言っていたのですが、実際に緊急事態宣言が発出されて東京に戻れなくなってしまったので、結局70日くらい高知にいました。その間もいろんなことを考えながら。

それで、クランクインが予定されていた6月3日に東京に戻ってきたんです。高知から俳優さんや女優さんにも電話して全部説明をして」

-延期ということをですか?-

「はい、そうです。濃厚接触極みの映画だから先が見えないんです。ただそれは素材を捨てるのではなくて、多分これが半年ぐらい経つと人の意識が変わると思うので、人の意識が変わったところでもう1回読み直してどうするのか考えなくちゃいけないでしょうね。まったく違うものをこしらえないといけないのかどうか」

-奥田さんの次回作に期待している方も多いですしね-

「そうなんです。僕も勝負作だったので、ショックでした」

-コロナ禍でずいぶん家事もされるようになったそうですね-

「そうです。洗濯もするし、料理も作るし、今やジイジとしても超優秀ですよ(笑)」

-すてきなジイジで、お孫さんたちは幸せですね-

「ジイジは体力を鍛えて、どんなことがあってもへこたれない(笑)。だから、そういう意味でも孫たちは元気のもとだね。孫は子どもの10倍くらい可愛い。そう言ったら娘たちには怒られましたけど(笑)。

年齢を重ねてからだの体力は落ちてきたけれど、心の体力がついてきた気がする。それを医者に言ったら、『奥田さん、からだの体力が衰えたら心の体力も一緒に衰えるものなんだけど、君のその言い方ははじめてだ』と言われました。自分で実感していることですからね(笑)」

-前は1年365日、毎日お酒を飲んでいるとおっしゃっていましたが、今は?-

「量は考えていますが、毎日飲んでいます。ただ、コロナ禍の9月のはじめ頃、歯磨きをするので鏡を見たらとんでもないひどい顔だなと思うことがあったんです。

それは何かと言ったら、心の焦燥感。『何者だ? お前は』って思ってしまうくらいそれを感じて、これじゃダメだと思いました。一種のコロナ禍における心の病みたいなものが知らず知らずのうちに打ち寄せてきていたのでしょうね。

それで、これじゃダメだからどうにかしなきゃいけないと思ってからだを動かしたり、なるべく太陽に当たるように散歩をしたりするようにしたら元に戻ってきました」

-それにしてもご家族皆さんが第一線でご活躍されていてすごいですね-

「考えてみるとそうですね。みんな仲はめちゃくちゃいいんだけど、得体(えたい)の知れない緊張感はずっとあります。それはいいことなんですけどね。だって相手の家も我が家もみんな表現者ですから」

お孫さんの話になるとひときわ優しい表情になる奥田さんだが、″モテる男″の代名詞のような存在だっただけに、年齢を重ねてもセクシーな色気が漂う。映画監督としての次回作も待ち遠しい。(津島令子)

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