デビット伊東、“恩人”いかりや長介さんとの日々。志村けんさんから言われた「いかりやをよろしく」

公開: 更新: テレ朝POST

テレビ番組の企画がきっかけで、2000年7月にラーメン店「でび」を渋谷に開店(2001年に店名を「でびっと」に変更)したデビット伊東さん。最初の1か月間はスープをとるために厨房(ちゅうぼう)で寝起きし、3か月間はスタッフと24時間一緒にいてラーメンの作り方を教えるという日々だったという。

◆何もかもがはじめての会社経営にチャレンジ

1年間のテレビの密着期間が過ぎた後、独立してラーメン店を経営することにしたデビットさん。何もかもがはじめてのことだったという。

「独立したはいいけど、会社経営もやったことがないですし、経理もやったことがない。お金を借りることもできない。これ全部やらなきゃいけないわけですよ。でも、これがすごい勉強になって。銀行は一見の芸能人になんてお金を貸してくれないですよ。僕は何回行っただろう? 本当に100回近く銀行に行きました。企画書を何回も何回も書いて…。たぶん、面倒くさいって思ったでしょうね。『しょうがないなあ』という感じでしたもん、最後は(笑)」

-それで融資してもらえたのですか?-

「はい。それプラスほかの商工中金とかからも借りて。お金が足りないから。ああ、こうやってやるんだということがだんだんわかって。でも、従業員の給料も払わなければいけないわけだから、全部使っちゃうじゃないですか。『さあ、これどうしよう?』って、芸能から回すしかないわけですよ。そんなことばっかりやっていましたよ、最初の頃は」

-ラーメン店と芸能活動の両立はうまくできたのですか?-

「何とかできているんですね。それで、修業のときも今もそうですけど、カウンター商売のものは、お客さんを楽しませようというのも一つなので、エンターテインメントだと思っているんです。自分のなかですぐ切り替えができたので、芸能だろうがなんだろうが、一緒だったんですよね」

-その後、ラーメン店が軌道に乗り経営に専念。いかりやさんと会うまでは、もう完全に芸能活動をやめてもいいと思っていたそうですね-

「そういう時期はありました。それはなぜかというと、従業員を食わせなきゃいけない。自分で会社をもって、従業員を食わせていくにはどうしようってなったときに、芸能活動をやっている状況ではなくなるなっていうのは確かだったんです」

-いかりやさんは渋谷のお店にいらしたんですか?-

「そうです。『おっさん、何やってんだ?』って思いました。店のなかからちょうど見えるんですよね。それで店の裏に行って『ラーメン食べます?』って言ったら、『いや、違う違う。一言言いに来ただけ。芸能やれ』って言われて。

『えっ? だってラーメン屋さんですよ』って言ったら、『いや、ラーメン屋もいいけど、芸能やれ。上に噛みついたり、自分の意見が言えるようなやつが少なくなっているから、お前みたいな奴が芸能界に戻ることに意義があるんだからやれ』って。それで『わかりました。その代わり、いかりやさんに付きます』って言って付いたんです。

付き人まではいかないんですけど、いかりやさんに付いてドラマのなかの役をもらったりしながら、芝居の勉強とかお手伝いをすることに」

◆恩人・いかりや長介さんから教わったこと

ラーメン店を経営しながら芸能活動を再開したデビットさん。いかりやさんに付き、身の回りのお手伝いをしながら多くのことを学ばせてもらったという。

-お弟子さんみたいな感じでしょうか?-

「そうですね。そう言ってくだされば1番うれしいですけど、地方ロケのときには運転したりしていました。だから最期を看取ったのは、ドリフターズの皆さんと僕ですもん。

後半なんかは僕も体調が悪いことは気づいていましたけど、一切言わなかったですね。あの人も言わないんですよ、絶対に。カッコいい人ですよ、本当に。朝方までベロベロになるまで飲んでいても、次の日、朝一番に長ゼリフがあったら、ダーッとセリフを完璧に言いますからね。『なんという人なんだろう?』って思って。それが70代ですよ。カッコいいですよ。

たしかに厳しいですよ。厳しいですけど、周りに対してのケアがハンパないんです。女優さんが来たら、その女優さんの好きなワインをドーンと用意しておいたりとか。あと、撮影で僕がちょこちょこっとアドリブで言ったことを、いかりやさんがおもしろいと思ったら、それを映像にするにはどうするかって言って、1回撮影を止めて会議にかけるんですよ。『みんなどう思う?』って、脚本家も入れて。

それはすばらしいです。いいもの撮りますよ。恩人です、本当に。あの人の役者としての生きざまというのも見たし、生き方も見たし…こういうふうに下を育てなきゃいけないなというのもわかりました」

-それがデビットさんの若い人たちを育成するということにつながっているんでしょうね-

「そうですね、そうだと思います。そうやれということなんでしょうね」

-いかりやさんとの出会いは『聖者の行進』ということですが、直接は絡んでないですよね-

「絡んでないです。絡んでないけど、いかりやさんは僕の現場に来ていたんですよ。障がい者に暴力を振るうシーンが多かったので、『いかりやさん、ちょっときついですよ』って言うと、『いいんだよ、お前がいるからこの番組は成り立っているんだから頑張れ』って、いつも言ってくださっていました。

だからそれに付随して言えるのは志村(けん)さんですよね。志村さんと僕は接点がないんですよ、ほとんど。でも、僕がいかりやさんの現場に付いていたところに志村さんもたまたまいて、志村さんの一言が今でも残っています。

僕に『いかりやをよろしく』って言ったんですよ。志村さんはいかりやさんの付き人だったんです。だから『ウワーッ』って思って…」

-志村さんは2020年にコロナで亡くなられて…本当に残念です-

「ダメダメ、ああいう人は逝っちゃダメですよ」

-連続テレビ小説『エール』の志村さんの最後のシーン、たまたま何かの拍子に撮られた笑顔だということですが、素敵な笑顔でしたね-

「本当に。グッときました。すてきな方でしたね。いかりやさんもそうですけど、ミュージシャンであり、芸人だったので、『役者をやらせてもらっている』という気持ちがあったんですよね。だからこそ、人一倍真剣に取り組んでいたんだと思う。それは僕も一緒ですよ。役者をやらせてもらっているので」

いかりやさんから多くのことを学んだと話すデビットさん。『花より男子』(TBS系)シリーズでは、道明寺司(松本潤)の母・道明寺楓(加賀まりこ)の秘書・西田役を演じ、加賀さんにもとても影響を受けたという。

「加賀まりこさんは今もとても仲よくさせていただいているんですけど、すごく刺激を受けました。『花より男子』のときの立ち居振る舞いが、大財閥トップの道明寺楓そのもので、もう加賀まりこさんじゃないんですよ。

僕は最初、名前がない秘書Aだったんですよ。でも、加賀さんが『あなた名前何て言うの?』って言ってくれたおかげで、僕に『西田』という役名が付いたんです。だから、僕は自分の出番がなくても加賀さんより先に現場に入って、加賀さんが帰ってから帰るようにしていました。とてもよくしていただいて、今では友だちみたいに付き合わせていただいています」

©︎2021『かくも長き道のり』

※映画『かくも長き道のり』
2021年2月13日(土)より池袋シネマ・ロサほか全国順次公開
配給:ナインプレス
監督・脚本:屋良朝建
出演:北村優衣 デビット伊東 真瀬樹里 坂本充広 宗綱弟 沖ちづる

◆主演映画で年齢差25歳の恋人役に

2月13日(土)には北村優衣さんとW主演をつとめた映画『かくも長き道のり』が公開される。この映画でデビットさんは、連続ドラマへの出演が決まった駆け出しの女優・遼子(北村優衣)の25歳年上の恋人・村木役。遼子が女優として活躍するためにある決意をする″オトナの男″を味わい深い演技で体現している。

「僕にとって、お話をもらったときからそうなんですけど、一匹狼の放浪者的な役は、昔から多かったんですよ。でも、今回は何か変えたいなって思って。それはなぜかというと、今まで何十年も、自分の演技の仕方とか、テクニックとか、余計なものがやっぱり肩に乗っているんですよね。からだにも含めて。

それを全部やめて、すべてをそぎ落とした状態で芝居をしたかったというか、ナチュラルな状態でやりたかったんです。それで、そのチャンスをもらって、若手と一緒だというので、もう若手にすべてを預けようと思って。監督にはわがままを言いましたけどね。『監督は監督をやってください。ここは2人でやらせてください』というシーンもいっぱいありました。

そうやって2人でセリフのやりとりをしているときに、だんだん僕のなかで背景が見えてきていたので、これが伝わればいいなと思って芝居を押し出していましたね、ずっと」

-これまでとはまったく違うイメージで新鮮でした-

「本当ですか? ありがとうございます。ちょうど今の世代交代の、本当にいい時代の物語だと思っています。昭和、昭和と言われていますけど、今ちょうど芸能界も世のなかもそうじゃないですか。ちょうど狭間だと思いますよ。もう身を引くところは引いたほうがいいんですよ。そして支える」

-でも、仕事も恋愛も、その引き際というのはなかなか難しいですよね-

「やっぱりスポットライトを浴びているとね。どこでも必ずスポットライトは当たるのでと、僕は思いますよ。

一歩引こうが二歩下がろうが、まだ若手のスターだとしたら、そこに当てきらない光が、木漏れ日が絶対に来るはずだって。それをこっちがどうやって受け止めるかの問題でしょう? あえてそこに行く必要ないんだもん、僕たちの世代は」

-表に出ている方というのはなかなか引けない方が多いですよね。どうしても自分が出たいという方が多いと思いますが-

「それはもともと3人でやってきたからでしょうね。3人でコントをやっていたから。ちんさんとヒロミさんがおもしろければ、僕は一歩引かなきゃいけない。自分のチャンスをずっとうかがっていることをしていたので、3人のコントだからこそですね、きっと。

あとは、1人で出はじめて、自分ひとりの力じゃどうにもならないということがよくわかったので。誰かメインのキャストの人がいて、後ろでチラチラチラチラ見ながら遊んでいるのが、たぶん僕の役目じゃないかなって。そういうところを要求されることもありますからね。そういうこともやっていたからじゃないかな」

-撮影はどのような感じでした?-

「ずっとコテージみたいなところに泊まって撮影していたので、修学旅行みたいでした。『このシーンはどうしたいの?』とか、『セリフ合わせするよ』って言って、ずっと打ち合わせしていました。そういう感じでしたね、ずっと。

あと、『自分自身に戻りなさんな。1日中芝居のことだけ考えなさい』って。そういうときがあってもいいんじゃないかと思ったので」

-1か所に集まって合宿のような状態での撮影だと没頭しやすいですしね-

「そう。僕は仕事があったので往復だったんですけど、来るたびに、『また来たよ、またうるさいおっさんが来たよ』って思われていたんじゃないかな(笑)。

僕は芝居がどうのこうのだとか、そういうことはもう監督がやるべきことなので、僕は思わないんですけど、本当にその言葉が伝わるかということは考える。僕に伝わらなければ、多分見ている人にも伝わらないと思っちゃうので、そこをすごく考えちゃうんですよね。『その役として、その言葉はいいの?』と思っちゃうから、そう問いかけはしないけど、何回も何回もやるだけであって。

皆さんに平等にチャンスはあるので、そのチャンスのつかみ方をどうするかによって、挫折する人もなかにはいるけど、これをきっかけにいいチャンスだと思ってやってくださればと思って。

踏み台になろうと思ってやっていましたね。撮影は2年前だったので、コロナの問題もなかったし、みんなで毎夜毎夜、『月がきれいだね』なんて言って盛り上がっていて、『お前ら早く寝ろ』とか言いながら修学旅行みたいな感じでした(笑)」

 

◆ラーメン店、コロナ禍の厳しい状況のなかで…

現在、芸能活動のほかに、中延(東京・品川区)、桜新町(東京・世田谷区)、イトーヨーカドー大和鶴間(神奈川・大和市)でラーメン店を経営している実業家でもあるデビットさんも、コロナ禍で厳しい状況にあると話す。

-上海やマカオ、ベトナムなど海外のお店は?-

「海外は全部閉じました。こっちのお金を全部向こうに送って、従業員にお金を全部渡して、0円になっちゃいました、僕(笑)。でも、そこはきちんとしておかないと、人間関係が切れてしまいますからね。正直店舗はすぐできるんですよ。僕がスポンサーを探せばできるんですけど、要は人なんです。大事なのは。人を繋げておかないと、どこか心でつながっておかないと、最後の切れが悪ければ、絶対に切れちゃうんですよ。二度と繋がらないので」

-まだまだコロナで不安な状態が続きそうですが-

「生き方を変えなきゃいけないんじゃないかなあって思う。飲食店がという国の判断も含めて、やり方を変えなきゃいけないし、スタッフともラーメン屋さんだけじゃなく、自分たちのやりたいことを僕に提案してくれと。地域とともに生きるということも考えなきゃいけないし。今は自分のところでどうにかブランドを守ってという、ご時世ではないと思います、僕は。

この状況のなかでといいながら、僕はまた新たにチャレンジしていますけどね。今のラーメン屋さんとラーメン屋さんの会社はそのまま従業員が、もう20年も付いてきているので、渡しちゃおうかなぁと思って。

僕はこれまで奥さんに笑顔で振り返ってこたえたことが、ほとんどなかったんですよ。僕がやることをいつもずっと支えてきてくれたのに。だから夫婦でともに生きるために真鶴に移住して、真鶴に出店しようと思って。新たな形として、そういうこともできるんだよってうちのスタッフに知ってほしいし、そういうシャッター街にあるところをどうにか夫婦で開けて行くということも含めて、いち芸能人がどこまでできるかというチャレンジですよね。真鶴で映画を撮ったりだとか。

下を向いている状況じゃ、どうにもならないので、まず町民の人たちに、前を向いて、可能性はいっぱいあるんだよということを、僕がまず出店してあとは多く出店者を募っていって、どんどんどんどんワイワイ賑やかになっていって100年続くようなまちづくりにしていかないと難しいんじゃないかということは、皆さんに提案はしました」

-この大変な時期に、大きなチャレンジですね-

「何かのためにじゃないと人は動けないよ。奥さんのためにとか、町のためにって動かないと、そのパワーは出ないと思いますよ」

-テレビ番組で拝見しましたけど、すてきな奥さまですね-

「すてきですよ、あの人は本当に。付き合ってからだと27年になりますけど、彼女にはかなわないです。今も真鶴のお店の準備をしていますけど、まだ当分オープンはできないでしょう。1月半ばにオープン予定だったんですけどね。いろいろ言われるのは僕が矢面に立てばいいことですけど、この時期にオープンするのはおかしいので」

-「B21スペシャル」としての活動予定はないのですか?-

「それは僕にじゃなくてヒロミさんに言ってくださいよ(笑)。僕は何回も言っていますよ。テレビはもうムリですよ、3人では。やるとしたらライブ。お客さんは100人でも50人でも、別にいいんです。復活したからこそ、この年だからこそライブをやりたいですよ、本当に。今の僕たちが演じられる何かがあればいいんじゃないかなと思います」

それぞれが幅広い分野で活躍されている現在の「B21スペシャル」の3人の活動に期待する声は大きい。ぜひとも実現してほしいところ。さらにコロナ禍で厳しい状況のなか、新たなチャレンジを続けるデビットさんの行動力に圧倒される。(津島令子)

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