2020年、阪神タイガース・藤川球児(40歳)が22年の現役生活に幕を降ろした。

異例だったのは、他球団も含めて5度も開催された引退セレモニー。なぜこれほどまでに彼は愛されたのか?

その理由は、伝説として語り継がれる数々の名勝負。打者に真っ向勝負を挑む“あの球”の記憶だった。

2020年12月13日(日)の『GETSPORTS』では、一時代を築き上げた藤川球児の生き様に古田敦也が直撃、プロ野球人生22年の軌跡に迫った。

◆入団当初の目標は「先発でエース」

プロ野球人生のはじまりは1999年。藤川は高知商業から高卒ドラフト1位で阪神に入団。当時の目標は「先発でエース」だったが、別の形で名を馳せていくことになる。

ブレークをはたしたのは、入団6年目の2005年。150キロを超えるストレートを武器に、セットアッパーとして年間80試合に登板、46ホールドを上げ、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。

この年の阪神の象徴といえば、7回以降の勝利の方程式「JFK」(J=ジェフ・ウィリアムス、F=藤川球児、K=久保田智之)。この一角を担った藤川はリーグ優勝に大きく貢献した。

2007年から本格的に抑えに転向すると、2度のセーブ王を獲得。力強いストレートを武器に強打者たちをねじ伏せ、“藤川が出てきたら終わり”と言わしめる選手になっていった。

だが、入団当初の藤川はそんな豪速球の守護神とはかけ離れた存在だったという。

古田:プロ野球入ったとき、先発してましたよね?

藤川:そうですね。2軍ではほとんどリリーフをしたことがありませんでした。当時は野村監督だったので、2軍で先発をしているピッチャーは、1軍にきて負けゲームのロングリリーフ。まずはそこからという教育方針だったので、とにかく必死にやっていました。いっぱいいっぱいでしたね。

入団当初は先発起用で考えられていた藤川だったが、1軍にあがっても最初の役割は敗戦処理。なにより当時はストレートに迫力がなく、球速は145キロ前後しかなかった。しかし、それがうなりを上げるようなストレートに変貌を遂げていくことになる。

古田:急にセットアッパーとか抑えをやるという話になって、一気に球速が上がっていわゆる火の玉ストレートと言われるような150キロを超えるような球になった。「えらい変わったなあ!」って意識がすごくありましたが、本人はどうだったんですか?

藤川:ホントにラッキーだったとしか言いようがないかもしれないですね。どちらかといえば努力の量というか練習量は減らしたかもしれないです。やっぱり質の方が重要で、(以前は)やらされている練習をこなしていたのかなっていう。追い込むことで「努力している」と捉えてしまっていた。成果を出すための練習法を少しずつ身に付けていって、それを実践することで成果が出て、自信になりました。

リリーフ投手になったのを契機に、やみくもな練習をやめたことで、ストレートの質も向上していったという藤川。一流打者たちとの対戦を重ね、さらにストレートへの自信を深めていった。

◆「火の玉ストレート」の誕生

なかでも藤川が忘れることが出来ない打者が、“火の玉ストレート”の所以にもなった清原和博

その因縁がはじまったのは、2005年に行われた巨人対阪神の一戦。10対2と阪神が大きくリードする7回に藤川が登板。2アウト満塁の場面で打席に迎えたのが清原だった。

3ボール2ストライクでの投球。フォークボールで空振り三振。点差の離れた局面にも関わらず、ストレートが代名詞になりつつあった藤川が投じた変化球に、試合後清原は怒りをあらわにした。

すると2か月後、甲子園で迎えた清原との再戦。そこで藤川は見事ストレートで三振を奪ってみせた。試合後、清原は速さだけでなく、まるで浮かびあがってくるように感じるそのストレートを「火の玉」と称した。

古田:やっぱりストレートにはこだわりありますよね。

藤川:そうですね…他の球種に頼れなかったですね、結局終わってみれば(笑)。

古田:やっぱり藤川くんのストレートが一番すごいんじゃないかなと僕ら思うんです。綺麗なストレートスピンといいますか、自分でも投げているときシューって伸びていく軌道が見えると思うんですが、そういうところってこだわりありましたか?

藤川:そうですね。投げていてもやっぱりそこは自信ありましたね。

古田:やっぱりピッチャーにとって、バッターのバットがボールの下を通るって最高の瞬間ですよね (笑)。

藤川:あんまり見えてないかもしれないです。もう次々って感じですね。試合終わるまで必死で次のバッター次のバッターっていう感じでほとんど記憶がなかったですね。「ツーアウト目どうやって取りましたっけ?」ってベンチに帰って聞いていたような記憶があります。

◆最初で最後のバッテリー。「忘れられない」名勝負

投手としての格を上げるにつれて、ますますストレートでの真っ向勝負を挑むようになったが、その後にも球史に残る伝説のあの名勝負を作りあげた。

それが、2006年のオールスター。ファン投票1位で選ばれた藤川は、第1戦の9回に登場。迎えたバッターは当時、シーズンホームラン日本記録をもっていた西武のカブレラだった。

そんな強打者相手に、藤川はなんと全球ストレート勝負を宣言。そして三振に奪ってみせた。

この力と力のぶつかり合いは野球界を大いに盛り上げた。

古田:これはもうお客さんもよろこびますし、本人も楽しそうですね。いかがですか、このときの心境は?

藤川:いや、できると思ってなかったし、こんな何年もずっとこういう印象のまま現役生活を送れるなんてまったく思わなかったですね。

さらに、そのオールスター2戦目には、藤川と古田の最初で最後のバッテリーが実現した。

古田:なに話したか覚えてないけど、「どうせまっすぐしか投げへんやろ」ぐらいしか言ってないんじゃないですか。

藤川:多分そうだったと思いますね。「全部ストレートだろう」と言われて、「はい。それでお願いします」みたいな感じでしたね。

この試合で代打に送られたのが、火の玉ストレートの由来をつくり、藤川を成長させてくれた存在・清原。くしくも2人の最後の対戦となったこの勝負で、藤川は三振を奪った。

古田:僕が(藤川のボールを)受けたのはこれが最初で最後なんです。いまだによくいろんな人から「いろんなピッチャーのボールを受けて、ストレートは誰が一番いいですか?」って聞かれるんですが、僕「藤川」って答えていますからね。このときの印象は忘れられないですね。ボールがシューっと伸びてくる感じ。

藤川:自分ではなんとなく、(清原に)とんでもないホームランを打たれたいと思ってマウンドに登ったんです。

古田:このスピードだと、当たれば150メートルくらい飛んでますよね(笑)。

藤川:それを求めていた自分もいましたね。

力勝負で勝つか、負けるか。これこそ実力だけでは語られない、ファンを引き付ける藤川の魅力だった。それは引退の瞬間まで。

2020年11月10日(火)に行われた引退試合。9回、現役最後のマウンドで、3人の打者に投じたのはすべて渾身のストレート。最後まで真っ向勝負にこだわりつづけた。

そして、引退スピーチ。最後に藤川は「火の玉ストレート」について大事なことを教えてくれた。

僕の火の玉ストレートには、甲子園球場のライトスタンドの大応援団のみなさま、チームの思い、そして全国のタイガースファンの熱い思いがすべてつまっています。それがみなさまの知る火の玉ストレートの投げ方です。それが打たれるはずがありません。打者のバットに当たるはずがありません。僕が言うのも変ですが、不思議な力が湧いてきて、普段の自分ではなくなるのです。野球選手・藤川球児というのは、みなさまの気持ちの塊だったんだと思います

真っ向勝負にこだわったまっすぐな男の伝説は、これからも語り継がれていくだろう。

番組情報:『GET SPORTS
毎週日曜日夜25時25分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)

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