原田大二郎「拉致問題解決へ一歩でも近づけていきたい」舞台・映画で、横田滋さん役を演じて

公開: 更新: テレ朝POST

人気ドラマ『Gメン’75』に出演したことで、ひと月に段ボール3箱分ものファンレターが届くようになった原田大二郎さん。両足の付け根の腱鞘炎に加え、膝のさらが割れ、肋骨を骨折するなど過酷な撮影に耐えられなくて自ら降板。デビュー8年目には仕事がまったくなくなり貯金を切り崩す生活も…ようやく入ってきた舞台の仕事で復活後は再び多くの映画、テレビに出演。さらにビートたけしさんと映画『哀しい気分でジョーク』で共演したことがきっかけで『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)に出演することになり、幸福配達人として話題に。幅広い役柄を演じ分け、2月19日(金)に公開される映画『めぐみへの誓い』では、拉致被害者・横田めぐみさんの父・滋さんを演じている。

23歳

◆ピンチ!仕事がない…家を買おうと貯めていたお金を生活費に

主演映画『裸の十九才』で注目を集めて以降、次々と映画やテレビドラマに出演してきた原田さんだが、仕事がない時期もあったという。

「『Gメン’75』を降りてから3年目くらいかな? 9か月間、まったく仕事がなくなってね。デビューしてからとんとん拍子でやってきたのに、8年目のピンチ。

女房と相談して、家を買うために貯金していたお金を生活費に回すことにして。生活費を切り詰めたら、俳優としての輝きを失ってしまうと思ったからね。彼女に『生活レベルを落とさないで』って頼んだの。

貯金も残り少なくなったときに、ようやくまた仕事が入ってきたんですけどね。それが舞台『ドラキュラ』」

-そんなことはそれまでなかったと思いますが、仕事がなかった9か月間はどのようにされていたのですか?-

「朝から晩まで、覚えたばかりの囲碁を打っていました。そのときに僕は囲碁が初段になったんです。

1年で初段になった人ははじめてだと『日本棋院』(囲碁の棋士を統括し、棋戦をおこなっていくための公益財団法人)の方に言われました。

その頃、僕を担当していたマネジャーが囲碁が強かったので、彼に教わりながら、『俳優として輝け、輝け、輝け』って自分に言い聞かせて(笑)。

とにかく自分が輝いていることが大事。『俳優として輝いていれば、必ず再出発できる』って思っていたからね。毎日、『輝け、輝け、輝け』って」

-そして、ちゃんとその間に囲碁の初段も-

「そう。有意義にすごしましたね。一度引き受けた『Gメン’75』を自分から降りたんだから、いつかおとしまえをつけなきゃいかんと思って覚悟はできていたけど、実際、仕事のない9か月を過ごしてみると、厳しかったですね。

でも、いい試練でした。囲碁の初段も取れたし、何よりも、『もう何も怖いものがない』と思えるようになったから、ムダではなかった」

◆昭和の豪快で個性的な俳優たちと…

コンプライアンスが重視され、表現の仕方にもいろいろ気をつけなければいけない時代、昔のように豪快な俳優はいなくなったと話す。

「人との出会いというのがものすごく自分に影響しているというか、僕を育ててくれたね。

いろんな人に可愛がられてるんだよね、原田芳雄さんとか石立鉄男さん、松方弘樹さん、梅宮辰夫さんもそうだし。みんな本当に豪快でした。やることがね、スケールが違いましたよ。

石立鉄男さんとか原田芳雄さんは、プロデューサーに『そんなんじゃ、俺はやらねーよ』って言って帰っちゃうんだから(笑)」

-石立さんとは『水もれ甲介』(日本テレビ系)で血の繋がらない兄弟役でしたね-

「そう。よく現場に遅刻してきてね。『大二郎、俺は俺のやり方が通用する間は役者を続ける。俺の遅刻が通用しなくなったら、俺は辞める』って言っていましたよ(笑)」

-石立さんの遅刻は有名ですねー

「だって、1時間とか2時間の遅刻じゃないんだから。電話したら熱海とか箱根にいたりするんですよ(笑)。その日はもう撮影ができない。

すごかったですよ。インタビューで記者が変な質問をしたりすると、『バカヤロー』ってテーブルをひっくり返したりしていましたからね(笑)。考えられないでしょう?

原田芳雄さんもすごかった。『冬物語』(日本テレビ系)というドラマで6か月間一緒に撮影したんだけど、撮影までに2時間かかるの。

雪の石狩平野での撮影だったんだけど、メークさんを部屋に入れないで、自分で髪の毛を一本一本セットするんですよ。

でも、それが朝起きたときと変わらないんだよ(笑)。髪の毛をセットしながら入魂しているんだと思うけどね」

-皆さん個性的でしたね。『トラック野郎・故郷特急便』(鈴木則文監督)では菅原文太さんとの壮絶な殴り合いのシーンが印象的でしたー

「あの決闘シーンは3日間撮影をやったんですよ。僕のほうが若くて体がでかいんだから、文太さんは大変だったと思うんだけど、『疲れた』とか『大変だ』とかは一言も言わなかったですね。そういうのはまったく言わなかった。

丹波哲郎さん、勝新太郎さん、若山富三郎さんの存在も大きかった。皆さん、本当に豪快でした。スケールが違いましたよね」

-時代の違いというのもあるでしょうね-

「そう。僕らのちょっと上ぐらいが『それじゃあいけない』って思っていた世代で、もう僕らの下の世代は、『だから気をつけていきましょう』っていうふうになっちゃっていたからね。

なかなか難しい時代になりましたからね。もう昔のような破滅型の俳優はいなくなったよね(笑)」

-原田さんはいろいろなことに挑戦されて、バラエティ番組にも出演されていましたね-

「タケちゃん(ビートたけし)と『哀しい気分でジョーク』という映画で共演したら気に入ってくれて『天才たけしの元気が出るテレビ!!』に呼んでくれてね。

あの頃からですよ、僕がお笑いの世界に足を染めたのは。ちょうど(明石家)さんまちゃんに会ったりしてね。

映画『次郎長青春篇 つっぱり清水港』(前田陽一監督)で一緒だった、さんまちゃんや(島田)紳助に『おもしろい、おもしろい!』っておだてられて(笑)。

僕はバラエティが呼んでくれるんだったらバラエティをやってもいいだろうって思ってやっていたんだけどね。

でも、やっぱりあまりいい結果にはならなかったね。やっぱり役者は役者であるところで一途にならなきゃいけない」

©︎映画『めぐみへの誓い』製作委員会

※映画『めぐみへの誓い』
2021年2月19日(金)より池袋シネマ・ロサ、AL☆VEシアター(秋田市)ほか全国順次公開
配給:アティカス
監督・脚本:野伏翔
出演:菜月 原田大二郎 石村とも子 大鶴義丹 小松政夫 仁支川峰子 坂上梨々愛 安座間美優 小林麗菜
13歳のときにいきなり北朝鮮の工作員に拉致されて家族と引き離され、それまでまったく知らなかった国で懸命に生きる横田めぐみさん。愛娘の救出運動に邁進(まいしん)し続けるご両親。2人の幼子を残したまま連れ去られた田口八重子さん。許されざる事件と運命に立ち向かう姿を描く。

◆舞台版に続き、映画でも横田滋さん役を演じて

2013年から8年間、全国を回って公演を続けている舞台版に続き、映画『めぐみへの誓い』で横田滋さんを演じた原田さん。野伏翔監督とは1989年に平将門を題材にした舞台で組んで以来の付き合いの旧知の間柄。これまで多くの舞台でタッグを組んできたという。

「翔ちゃん(野伏翔監督)から最初に『やってくれませんか?』って言われたときは、『僕が? 違うでしょう?』って思ったんだよね。

横田さんのお顔立ちだとか雰囲気もテレビで見ていましたからね。でも、横田さんと本質がすごい似てるんだね、おそらく。『絶対大二郎さんだと思いますよ』って言われて。

あるとき、稽古場に横田滋さんがいらしたんですよ。タクシーから降りてくるのを迎えに行ったんだけど、横田さんの足がスッと地面に降りた瞬間、『これが30何年、自分の娘を探し続けて来た人の足だ。ここがこの役の原点だ。俺でいけるんだ』って思った。

©︎映画『めぐみへの誓い』製作委員会

-横田さんからは何か言われました?-

「喜んでくれたみたいですよ。『原田さんのようにいい男ではありませんけれども、いいお芝居にしてくださって』って言ってくれました。

すごい人だよね、横田さんは。舞台も見に来てくれました。早紀江さんは、『いろいろ協力はしますけど、怖くて見られない。映画は舞台よりもっと怖い』って言っていましたけど、記者会見には出てくれました。

滋さんは最初から稽古場に来て、これまでの(拉致問題に関する)経緯やめぐみさんの子ども時代のエピソードをたくさん教えてくれました

早紀江さんと息子さんたちはめぐみさんの実名を出すことに反対だったんだって。『名前は出さないほうがいい』って。でも、あんなに物腰のやわらかい滋さんが、『この問題に関しては名前を出さなきゃダメだ』って譲らなかったんだよね」

-映画化は滋さんの念願だったそうですね-

「そうです。それで発起人代表になると言っていたんですけど、3月に入院して…。

でも、本当に映画化したがっていました。『とにかく広く知ってもらいたい』って言っていました。

映画が完成したのが8月ですから、残念ながら見ていただくことはできなかったんですけど。もう撮影現場にも来られないという状況でしたからね」

-撮影したのはいつだったんですか?-

「3月10日から30日までの20日間でした。もうこれは奇跡の映画ですよ。

『何とか、曇りと晴れと雪の日を撮りたいんですよね』という話をしていたら、次の日、雪が降って、雲が来て、晴れて…みたいに(笑)。空を見ていたら、ちゃんと変わるんですよ。そんなこと普通はないでしょう? だから奇跡のような映画。

20日間で撮れるような分量じゃないですからね。救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出する秋田の会)の松村讓裕代表が総合プロデューサーをやっていて、秋田県の旅館から撮影する家、車、犬、全部手配してくれて。

こういうシーンを撮る、収容所はこういうイメージなんだって言うと、『ありますよ』って」

-映像だと拉致される場面や収容所でのシーンもよりいっそう生々しいですね-

「動かしたいですよね。とくに若い人たちをね。若い人たちに見てもらって、何とかして日本人みんなが、『拉致した人たちを返せ!』って口から出るようになると変わってくるんだろうけどね。

微妙なんですよ。つまりはじめのうちは日本人たちが、『北朝鮮がそんなことをするわけがない』というようなことを言っていたわけですよ。だから、それをひっくり返すまでが大変だったんだよね」

-クラウドファンディングで製作費が集まったことなどからも、関心はあるのだと思いますが-

「ただ、やっぱり芝居を見た感想なんかでも、『はじめて知りました』っていうのがものすごくある」

-映画化を願っていた滋さんが2020年6月に亡くなられて-

「ショックでした。訃報に目の前が真っ暗になりました。滋さんの代わりに、僕ができることはやっていこうと強く思いました。

2021年は、『めぐみへの誓い』が公開になりますし、この映画をきっかけに拉致問題解決へ一歩でも近づけていきたいと思っています」

これからは滋さんの代わりに拉致問題を訴えていきたいと話す原田さん。映画の公開に加え、春にはパーカッションとのコラボで坂口安吾の『桜の森の満開の下』の朗読公演、YouTube「原田大チャンネル」で公開する短編小説の朗読など、多忙な日々が続く。(津島令子)

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