秋野暢子「もう無理だと思っていた」と諦めかけた不妊治療。家の建て替え中に妊娠が発覚

公開: 更新: テレ朝POST

連続テレビ小説『おはようさん』(NHK)のヒロイン役で注目を集め、ドラマ『赤い運命』(TBS)で国民的女優のイメージから脱却を図った秋野暢子さん。

幅広い役柄を演じわけ、テレビ、映画、舞台に多数出演。ダイエットや料理に関する著書も出版するなどマルチな才能を発揮。2020年11月には著書『からだの中に風が吹く! 10カウントブレスヨガ』(幻冬舎)を出版するなど、コロナ禍のなかでも精力的に活動している。

◆20歳で銀行に融資の相談へ

大阪ミナミの裕福な呉服店の長女として生まれるも、5歳のときに父親が知人の保証人になったことで家も店も失ったという秋野さん。18歳で朝ドラのヒロインをつとめ、順調にキャリアを重ねていた秋野さんは、20歳になったとき、お母様のために家を建てることを決意することに。

「20歳になったときに、『もう大人になったから何か欲しいものある?』って母に聞いたら、『そやなあ、東京に家が欲しいなあ』って言われて。

驚きましたが、母としては嫁いだ家で父が知人の保証人になったために借金を背負うことになって、いろんな意味で苦労することになりましたからね。

父は債権者が来るから地方都市に行っていたので、母が着物の内職をして一人で私と兄を育てながら矢面に立っていました。

母は呉服屋に嫁いだし、昔の女ですから着物が縫えたので、内職みたいなことをして育ててくれたんですけど、私が『おはようさん』の撮影を終えて東京に出て来たときに、まだ18歳でしたから父が心配して母を私に付けたんです。

だから、母は1か月のうち3週間私と一緒にいて、1週間大阪に帰るという生活を父が亡くなるまでしていました。

それで母に何かプレゼントしようと思って聞いたら、『東京に家が欲しい』って言われたので、『どうすれば東京に家が買えるだろう』って考えて、メインバンクの銀行に相談に行ったんです。

母が家もお店も失ってツライ経験をしてきたことはわかっていましたし、本当に自分の家が欲しかったんだろうなということも感じていましたからね。

それで支店長さんに『どうやったらお金を貸していただけますか』って言ったら『財テクで毎年預金してくれれば、4年から5年でお金を貸せます』っておっしゃってくださって。

でも、銀行さんはどんどん転勤しちゃうじゃないですか。そのことを言ったら支店長さんが、ちゃんと次の担当に引き継ぐからとおっしゃってくださったんです。

それで、言われた通り預金を続けて25歳になったときに新しい支店長さんでしたけど『聞いています』っておっしゃってお金を貸していただけたので、土地を買って家を建てました」

-25歳で家を建てるというのはすごいです。お母様が喜ばれたでしょうね-

「そうですね。母のお部屋も作ったので、喜んでくれました。今思うと、頑張りましたね(笑)」

-お家を建てた後、ご結婚もされて-

「家を建てた次の年に結婚しました。26歳でしたから一般的には普通ですけど、芸能界では早いほうだったかもしれません。

家を建てたばかりだったので、彼には我が家に住んでもらって、母と私たちの3人で暮らすことにしました」

◆不妊治療を諦めたとき、妊娠が発覚

26歳のときに結婚した秋野さん。なかなか子どもができないことに悩み、不妊治療も受けていたという。

「10年ぐらい不妊治療を受けていましたけど、結婚10年目ぐらいにお医者様にも難しいと言われたので、『もうムリだな。諦めよう』って決心して、その代わりに家を建て直そうということになったんです。

最初に家を建てたときに組んだのが20年ローンだったので、まだ10年分のローンが残っていたんですけど、新たに20年ローンを組み直して建て替えをすることにしました。

工事の間、母には大阪に帰ってもらって、主人と私は、家の裏にあるアパートを私が衣裳部屋で借りていたので、そこを家ができるまでの仮住まいにするということにして。

ところが、ちょうど家を壊しているときに妊娠していることがわかったんです。ビックリしました。『もうムリだと思っていたのに』って(笑)」

-タイミングとしてはよかったですね、改築前で。子ども部屋も作れますし-

「そうですね。子ども部屋というか、家の作りを少しモノトーンな感じにしようと思っていたんですけど、子どもができたということがわかったとき、お医者様に『子どもを育てるには色がいっぱいある家のほうがいいですよ。視覚というのが子どもには大事なので、モノトーンなものよりも色がある家にしたほうがいいです』って言われたので、内装を変えたりしました」

2001年、秋野さんは17年連れ添ったご主人と離婚してシングルマザーに。

「月日が経つのは早いです。娘も27歳になりました。フランスが好きで、私と一緒に行ったり、親戚と一緒に行ったりしていたんですけど、2018年から1年間留学をして、今はオリジナルフラワーボックスで有名なフラワーアーティスト、ニコライ・バーグマンの会社で働いています。

日本では普段お花をプレゼントするということはまだあまりないですけど、フランスに留学していたときに、結構日常的にお花をプレゼントするのを見てすてきだなって。

お花はいいですよね。いただくとうれしいですし、幸せな気持ちになるじゃないですか。それで、幸せのお手伝いができたらいいなと思って仕事を決めたみたいです」

秋野さんはダイエット本の出版や講演会、料理本の出版、マラソンにも挑戦するなど幅広い分野で活動することに。

-お料理の本も出されていますが、昔から得意だったのですか-

「そうですね。母がわりといいところのお嬢さんだったものですから、どちらかというと、乳母日傘(おんばひがさ)で育って、呉服屋に嫁いで来たんですけど、舅姑がとてもいい人だったらしくて。

私は小さかったから覚えてないんですけど、母のことをすごく大事にしてくれたみたいで、母は料理とかを全然しなかったんです。

花嫁修業と言ってもなぜかお料理はしなかったみたいで、料理があまり上手じゃなかったんですよね(笑)。

それで、母があまり料理はうまくないなということがわかったので、小学校3年生か4年生ぐらいのときから料理を勉強して、私が家の賄いをやるようになったんです。うちの兄もそう思ったみたいで調理師になって(笑)」

-お母さんが料理の苦手な方は、だいたい料理上手ですよねー

「そう。逆にね(笑)。そうなるみたいですね。私は娘も料理ができたほうがいいと思っていたので、小さいときから教えたんですけど、今は自炊してないみたいです」

-でも、できるけどやらないのと、できなくてやらないのは違いますからね-

「そうですね。少しはできるんだと思います。ときどきボーイフレンドにケーキを焼いたりしていましたからね(笑)」

-ダイエットやお料理もですけど、演じる役柄も幅広いですね。『岸和田少年愚連隊』(井筒和幸監督)の(ナインティナイン矢部浩之さんのオカン役も印象的でしたー

「あの役もおもしろかったですね。でも矢部君とは親子ほどは年が違わないんですけどね(笑)。10歳ちょっとかな」

-迫力がありましたね-

「しっかりしたオカンでしたからね(笑)。関西弁は地元ですし。井筒監督は結構ナイナイの2人には優しかったです。優しいおやじだなって思った(笑)。2人には『大丈夫か? 大丈夫か?』って聞いていましたよ」

-秋野さんはいかがでした?-

「井筒さんも関西出身なので、とても気が合いました。撮影もおもしろかったですよ。しばらく映画を撮ってなかったから撮ればいいのにって思っていました」

-公開が延期になっていた8年ぶりの監督作『無頼』が昨年12月にようやく公開になりましたね-

「コロナでスケジュールがごちゃごちゃですよね。芸能界もひどいことになっていて、私もやるはずだった映画が2本飛びました。移動がダメとなると難しいですよね、とくに映画は。東京都内だけでというのはなかなか難しいですから」

コロナ禍のなか、さまざまな支障はあってもとてもポジティブ。得意の料理に加え、これまでは作らなかった低糖質ケーキやドーナッツを作ったり、『鬼滅の刃』のコミック23巻読破とアニメの全話鑑賞、筋トレと精力的。次回後編では延命治療を行わない尊厳死の選択、ダイエット、著書『からだの中に風が吹く! 10カウントブレスヨガ』などを紹介。(津島令子)

※『からだの中に風が吹く! 10カウントブレスヨガ』著者:秋野暢子
出版社:幻冬舎 DVD付き
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