石黒賢「今はわかります」共演した緒形拳さんが、リハで鼻水を流して号泣した理由

公開: 更新: テレ朝POST

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俳優、タレント、キャスター、児童文学翻訳家としても知られている石黒賢さん。父は、戦後初のプロテニス選手・石黒修さん。

高校3年生のときにドラマ『青が散る』(TBS系)で主演デビューして以降、『振り返れば奴がいる』(フジテレビ系)、映画『ホワイトアウト』(2000年)など多くの映画、ドラマに出演。昨年9月からは『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ系)月曜日のスペシャルキャスターとしてレギュラー出演中。現在、最新主演映画『時の行路』も公開されている石黒賢さんにインタビュー。

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◆父のうれしそうな顔を見てテニスをすることに

石黒さんが生まれた頃、父はプロテニス界を引退するが、その後もテニススクールや講演会などで家を留守にすることが多かったという。お父様の影響で石黒さんも小さい頃からテニスをしていたそう。

「僕が幼稚園のときにラケットを持っておやじとテニスコートにいる写真があるんですけど、僕のなかの記憶にあるのは小学校2年生ぐらいかな? 父に教えてもらって始めました」

-楽しかったですか?-

「当時は木のラケットで、子どもの僕には振り回すのに精一杯で、なおかつ同年輩でテニスをやる子がほとんどいなくて。

歳の離れたお兄ちゃんお姉ちゃんはいたんだけど、やっぱり子どもだから、一緒にやる子がいないとあまり面白くないというのもあって。

ただ、やっぱり日曜日になって、父が『テニス行くか?』って言ったときに、僕は兄がいるんですけれども、兄は長男の反抗というやつで一切テニスをしませんでした。

だから父が誘っても兄は当然行かない。それで、僕が『じゃあ行こうかな』なんて言うと、父が心なしかうれしそうにしていた記憶があるんですね。

それで、なんか子ども心に、『テニスに行ったほうがいいのかなぁ』みたいな感じでしたかね、最初は(笑)。

-お父様が世界的なテニスプレーヤーだということは子ども心にもわかっていました?-

「そうですね。僕は普通の子どもたちが思うような日曜日を過ごしたことがあまりなくて、子どもの頃は月曜日があまり好きではありませんでした。

みんなは『昨日は〇〇に行ってハンバーグを食べた』とか、『遊園地に行った』とか言うんですけど、そういう覚えがなかったんです。

多分父はそれを申し訳ないなと思ったんでしょうね。たまに家族そろって食事に行ったんです。

そうすると、そこにいるお客さんたちが、『テニスの石黒さんだ』みたいな感じで、何となく、子ども心にも、うちの父親は人からそういうことを言われる人なんだなとは思っていました」

中学から大学までテニス部に在籍。中学2年生のときには都大会で礼宮さま(秋篠宮さま)と対戦したこともあったという。

「試合中、僕のショットが決まったとき、宮様がボールをお拾いになって『ナイスショットですね』っておっしゃったんです。

僕は試合で決めたときにそんなことを相手に言われたことはなかったものですから、びっくりして…。結局、試合には負けてしまいましたけれど…」

※石黒賢プロフィル
1966年1月31日生まれ。東京都出身。1983年、ドラマ『青が散る』(TBS系)で主演デビュー。『3年B組金八先生』(TBS系)第3シリーズ、『ショムニ』(フジテレビ系)シリーズ、映画『ホワイトアウト』(2000年)、映画『コンフィデンスマンJP-ロマンス編-』などドラマ、映画に多数出演。絵本『Scary(スケアリー)』の翻訳をきっかけに、イシグロケン名義で6冊の絵本を出版。WOWOWのウィンブルドンテニス中継の番組スペシャルナビゲーター、テニス専門誌にコラムを執筆。『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ系)の月曜日スペシャルキャスターをつとめるなど多方面で活躍。今月14日(土)から主演映画『時の行路』が公開中。

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◆父の「うちの子はどうですか?」がデビューのきっかけ?

お父様を超えたいと思い、テニスの練習に明け暮れていた石黒さんだが、高校生のときにはすでに日本一だった父親との実力差を思い知らされたという。テニス漬けの人生を送るべくテニスの名門校に行くか、アメリカに留学か悩んだ末、プレイヤーになる夢は断念。学校のテニス部と、お父様のテニスクラブで練習する日々を送ることに。そして、高校3年生になった5月、転機が。

「ある日、父から宮本輝さんがお書きになった『青が散る』という本を渡されて、『読んでみろ』って言われたんです。

それで、読んでみたらすごく良い本だったので、『面白い本ですね』って言ったら、『これを今度ドラマにするけど、その主人公に新人を使いたいと言っているらしい。ひいてはお前はちょっとテレビに出てみる気はあるか?』と父に言われたんですね。

『誰かテニスのできる子はいませんか?』と聞かれた父が『うちの子はどうですか?』って言ったみたいで(笑)。

僕自身は映画を見るのは大好きでしたけど、テレビに出るなんて考えたこともなかった。

TBSのプロデューサーの方々とお会いして、父とテニスをやった後雑談をして、1週間後位かな?『あなたになりましたから、これから毎日学校が終わってからTBSに来てください。お芝居の練習をします』と。

10月から放送のドラマでしたから、撮影には9月から入るということで、6月から3か月間稽古をしてくれたんです。時間的に余裕があったというのと、僕と相手役の二谷友里恵ちゃんは新人でしたからね。

友里恵ちゃんはご存じのように、ご両親(二谷英明さん&白川由美さん)ともに俳優さんでらっしゃる。僕は全然スポーツ畑でしたからね。

彼女と毎日練習をして、帰り道にはいつも『僕たち大丈夫かな?こんなんでいいのかな?』って言っていました(笑)。そういうスタートだったんです」

-撮影まで3カ月間の稽古、あの時代は「俳優を育てる」という体制でしたね-

「良い時代でした、本当に。僕は何もわからなかったですからね。

デビューした最初の頃は、カメラマンの人が『どこへ動いてもいいぞ。ちゃんと撮ってやるから』、音声さんは『どこへ行っても声を拾ってやる』、照明さんは『どこに行っても当ててやるから、お前がやりたいようにやってごらん』って言ってくれたんですよね」

-それはすごいですね。普通は動く範囲や照明が当たる顔の向きなどを指示されますよね-

「そうですね。今ならそれがいかに特別なことなのかわかります。でも、当時の僕には、そのことすら特別なことであるという意識もないから、『ありがとうございます』っていう普通のお礼しか言えなくて(笑)」

-デビュー作『青が散る』の石黒さん、爽やかでしたー

「ありがとうございます。照れもあってしばらく聞けなかったんですけれども、ずいぶん経ってからプロデューサーであった柳井(満)さんに『どうしてあのとき、僕を選んでくれたんですか?』って聞いたら、『うーん、なんか良かったから』という、実にわかるようなわからないような答えだったんですけど、本当に感謝しています」

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◆つかこうへいさんに「お前みたいな下手が好き」と言われ

ドラマ『青が散る』の放送が始まると、スポーツマンで甘いマスクの石黒さんは女性ファンの人気を集めるが、まだそのときには大学進学とテニス部を優先していたという。

そんなある日、石黒さんは、つかこうへいさんに会うためにNHKへ行くことに。

「そのときつかさんはリハーサル室で、大竹しのぶさん主演のドラマ『嫁ぐ日’84』の稽古をしていたんですけど、ご存じのようにつかさんは、口立て(稽古場で芝居の流れを見ながら頭に浮かんだ台詞(セリフ)を口頭で伝え、俳優はその台詞を瞬時に暗記して、復唱して芝居を続ける)で、どんどん進めていくんですよね。

そうしたら『おい、石黒、ちょっと来い』って呼ばれて、『お前、ちょっとそこに座れ。しのぶは劇団の看板女優。お前、しのぶの足を持ってな、足を顎に当てて、『ジー、電気カミソリ』って、しのぶの顔を見て言ってみろ』って言われたんですよ。

そうしたら『おー、いいじゃねえか、いいじゃねえか』と、つかさんは喜んでいる(笑)。

それで、その日稽古が終わったら、『若いから肉だろう?よし、焼肉行こう』って焼き肉屋に連れて行ってくれました。

『お前下手だったなぁ、青が散る』って言われて、『見てくれていたんですか?』って聞いたら、『そうなんだよ。それで、おい、この下手なの呼んで来い』って。

それで僕は呼ばれて行ったわけですけど、それがオーディションだったんですね。

『俺は下手なやつが好きなんだ。お前みたいな下手が好きなんだ』って。よく言ってくれましたね(笑)」

-でも、よくいきなり言われてできましたね、電気カミソリ-

「誤解を恐れずにあえて言わせてもらうと、俳優になりたくてなりたくてというわけではなかったからでしょうね。もしそうだったら、つかさんを見てもっと緊張してガチガチになったかもしれないけど、そうじゃないから、やれたのかもしれない。あと、つかさんの圧がすごかったのでしょうね(笑)」

-仕事が欲しいギラギラ感を発散している俳優さんが多いなかで、そうではない品の良さというか、稀有なタイプでもありますねー

「そうなんですかね(笑)。つかさんには『お前なんか、修羅場を見ているような女とドロドロの恋愛をしてボロボロにされればいいんだ』って、よく言われましたよ(笑)。

何て言えば良いかわからないから『はぁー』って言ったら、『はぁーじゃねえよ、お前』って(笑)。つかさんて本当に面白い人でした。今思えば、もっとお芝居の話を聞いておけば良かった」

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田中邦衛さん、仲代達矢さん、緒形拳さん…プロフェッショナルな姿に魅了されて

高校卒業後、成城大学経済学部に進学し、テニスの練習と並行して俳優の仕事を続けていた石黒さんは、1986年、初めての映画『めぞん一刻』(澤井信一郎監督)に出演することに。

「僕は大学1年だったんですけど、そのときに田中邦衛さんとご一緒させていただいて。そのなかでミュージカルのシーンがあって、全員ステージで踊るんですね。当然リハーサルがあって、他の出演者の方たちはとても上手で、2日ぐらい練習したらもうOK。

僕は運動バリバリにやっていた頃ですけれども、監督に『なんだ石黒、運動神経とダンスはやっぱり全然別物だな』なんて言われて(笑)。

『踊れないなぁ、なんでこんなことができないんだろう?』なんて思いながらやっていたら邦衛さんが、『おかしいなあ、おかしいなあ。ごめん、賢ちゃん、もう1回合わせてくれるか?』って言って。

僕は19ですよ。邦衛さんは多分うちのおやじより年上だったんですけれども、50代。

もしかしたら今の僕と同じ位だったと思うんですけど、『もう1回やらせてくれるか?』、『ごめん、もう1回』って、もう何日もやって、『いやあ、本当にできねえな俺は』って言うんですよ。

僕なんかからしたら『邦衛さんは全然できてるんだけどなぁ』って思うんだけど、先生ももう『じゃあ、あとはもう本番で』って、匙を投げた感じで(笑)。

本番の日、朝9時からリハーサルをして、午後3時位になり、いよいよ本番となったとき、邦衛さんが、『緊張するんだよなあ、緊張するんだよなあ』って言っていたんです。

『あぁ、田中邦衛さんでも緊張するんだから、僕が緊張するのは当たり前だなあ』って(笑)。それでも年下の僕を前にして緊張するって言っている姿がすてきで、『田中邦衛さんってカッコ良いなあ』って思ったんです。

見に来てくれるお客さんに対しては、中途半端なものは絶対に見せられないという、矜持(きょうじ)みたいなことを感じたんですよね。プロの役者という感じ。

そして、それから3年後くらいに、今度は『ビジネスマンの父より30通の手紙』(NHK)というドラマで仲代達矢さんと親子の役をやらせていただいて。

それは大物社長の息子に生まれついた2世が会社を継いでいくにあたっての苦労を描いた作品だったんですね。

まだ役作りのいろはもわからないときだったんですけど、演出家の人に、『石黒さん、今回は偉大な父を持つという意味においては、非常に、共通項があると思うので、そういったことを生かして考えたらいいんじゃないんですか』って言われたことで、『そうか。そういうふうに置き換えて考えていけばいいのかなあ』みたいな感じで。

それから緒形拳さん。これも20代前半の頃ですけども、『外科東病棟』(TBS系)という作品で親子の役をやらせていただいて。

それまで出会った演出家の人たちには、『エネルギーを本番までためておいて、本番でドーンと出すんだぞ』って教わっていて、そういうものだと思っていたんですけど、緒形さんと親子の役をやったときには全然違って…。

本番の数日前のリハーサル、その1回目のときに、緒形さんは号泣されていたんですよ。もう鼻水もダラダラで…。

リハーサルです。今思えば、僕が全然できないから、何とかこいつを引き上げてやろうと思ってやってくれたのかなって、緒形さんの気持ちが今はわかります。

やっぱり芝居というのは、テニスもそうですけど、うまい人とやるとつられて上手くなるっていうことはありますからね。

それまで僕はセーブしていたわけじゃないです。出し惜しみしていたわけではないんだけれども、本番までエネルギーをためておくものだと思って抑えていたのが何だったんだろうと、僕は思いました。

緒形さんに『役者というのはなあ』なんて話をされた事は1度もないんですよ。撮影の合間にロケ弁を一緒に食べてくれて、テニスの話を聞いてくれたり、緒形さんは車が大好きだったから、車の話をしたりね。

かっこいい大先輩たちにめぐり会えたおかげで、役者をやっていこうって。こんなラッキーなデビューはない。こんなチャンスを逃す手はないなと思って、役者をやっていこうと思ったんです」

俳優として生きていく決意を固めた石黒さんは、気持ちを新たにさまざまなドラマ、映画にチャレンジしていくことに。次回後編では、織田裕二さんとW主演をつとめた伝説のドラマ『振り返れば奴がいる』(フジテレビ系)の撮影裏話、公開中の主演映画『時の行路』を紹介。(津島令子

ヘアメイク:藏本優花
スタイリスト:寳田マリ

※映画『時の行路』公開中
配給:『時の行路』映画製作・上映有限責任事業組合
監督:神山征二郎
出演:石黒賢 中山忍 松尾潤 村田さくら 渡辺大 安藤一夫 綿引勝彦 川上麻衣子
2008年のリーマンショックによる経済不況のあおりを受けて「派遣切り」の危機に直面した労働者たちの戦いを描く。

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