「下町アーチェリー」開発秘話。きっかけは“趣味”、知識ゼロからスタートし…

公開: 更新: テレ朝POST

テニスの現役を退いてから、“応援”することを生きがいにしている松岡修造

現在は2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けて頑張る人たちを、「松岡修造の2020みんなできる宣言」と題して全国各地を駆け巡って応援している。

今回修造が訪れたのは東京の下町、江戸川区。その一角にある町工場をのぞいてみると、弓で俵に向かって矢を射る人物が!

©テレビ朝日

実はこの人、日本で唯一アーチェリーの弓作りを担っている西川精機製作所の社長・西川喜久(よしひさ)さん。

西川さん:「世界トップレベルの弓具ができあがりました。今までのものと比較しても、ズバ抜けていい性能を出していると思います

世界最高レベルの弓とは、どのように作られているのだろうか。西川さんにその工程を見せてもらった。

弓づくりはまず、パソコンで全体の設計図を作成するところから始まる。その後、特殊な金属加工用のマシンに専門のプログラマーがデータを入力し、重さ12キロのアルミの塊をセット。あとは機械が自動でアルミを削り、プログラムした形へと仕上げていく。

加工して出来上がった部分にメッキなどの処理を施し、組み立てれば完成だ。

©テレビ朝日

出来上がった弓を実業団チームで活躍する選手にテストで打ってもらうと、矢は中央の黄色い枠のなかに次々と命中した。

「調整をしっかりやっていない状態でこれだけ当てられるので、ちゃんと競技用モデルとしてできているなと実感しました」と選手も絶賛する。

しかし、元々西川さんの工場は医療研究の現場で使われる精密機械などを作っており、アーチェリーは専門外だった。

西川さん:「実は10年ほど前から趣味でアーチェリーをしているなかで、ほれ込んでしまい、どうしても弓を作りたいと思うようになりました」

©テレビ朝日

趣味からスタートした弓の製作。しかし、そこには問題があった。実は2000年代に日本でアーチェリーを製作していたメーカーは、市場規模の縮小にともない、すべて撤退していたのだ。西川さんには技術もノウハウもなく、ゼロからのスタートとなった。

西川さん:「初めの頃は『作ると言っているだけだよね』という声もありました。でも『こんちくしょう!』と思って、見よう見まねで1個作ってみたんです。そして、打とうと思ったら打てるようなものが1個できた。だけど、この先ができない」

初めて作った弓は重く、精度も高くなかった。そこで西川さんは、かつて日本でアーチェリーの弓作りをしていた技術者たちを探しまわった。

そして出会ったのが、かつて大手メーカーで開発をしていた本郷左千夫さん。一度はアーチェリー作りから離れていたが、西川さんの情熱に共感し、協力することになった。本郷さんは業界を離れても、ずっと弓作りで頭がいっぱいだったという。

©テレビ朝日

本郷さん:「夢を見て起きて、『あ!ここはダメだった!』とか」
松岡:「夢に出てくるんですか!」
本郷さん:「ほとんど毎日出てきます。やっぱり、やりたいことはメイド・イン・ジャパンですよね。メイド・イン・ジャパンは、私は個人的にすごく好きだから」

本郷さんのアイデアが加わり完成した弓は、強度を保ったまま軽量化を実現し、ブレを減らす特殊な構造で特許を取得した。そのこだわりの原動力は何なのだろうか。

本郷さん:「それは“日本人だから”ですね。昔日本のメーカーにいた人間の考えだと思うけれども。(この弓は)いろんなところに特長を持たせて特許も取りました。オリジナルの結集です
西川さん:「まさにプライドの塊です
松岡:「オリンピックは、もう一度メイド・イン・ジャパンをアピールするチャンスなんですね」

西川さんと本郷さんのできる宣言は「メイド・イン・ジャパンの魂を未来に引き継ぐ」。修造は「よし!2人ならできる!」とエールを送った。

©テレビ朝日

※番組情報:『TOKYO応援宣言
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の2020みんなできる宣言」も好評放送中、テレビ朝日系

PICK UP