大沢樹生、ジャニーさんとの“1番の思い出”は…「それが励みになって、色々な困難を乗り越えられた」

公開: 更新: テレ朝POST

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「光GENJI」を脱退後、ドラマ、映画、オリジナルビデオに出演してきたが、次第に苦戦を強いられるようになり、30歳になる頃には仕事がめっきり少なくなったという大沢樹生さん。私生活でも2005年に元女優と離婚。2006年、心機一転を図るべく、自らが経営する芸能事務所を立ち上げる。翌年には主演映画のオファーもあり、事態は好転したかに見えたが…。

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◆トラブルがきっかけで主演映画の企画プロデュース

2007年、『牡丹燈籠』を純愛映画仕立てで描いた映画『怪談・牡丹燈籠 もっともっと、愛されたかった。』に主演することになった大沢さん。古典的な怪談を斬新にアレンジした新しい感覚の時代劇に演技プランを組み立て、クランクインを心待ちにしていた大沢さんだったが、予期せぬ事態が勃発する。

「スケジュールを空けて準備していたのに、プロデューサーに制作費を出資すると約束していたスポンサーがお金を出さないということになってしまって…。

もう真っ青ですよ。失望したし、普通だったらそこで終わりですけど、やめてしまうには惜しい企画だったんですよね。

それで、自分が総括プロデューサーもやるということで、新たにスタートすることにして、あちこち回って何とかお金を工面して制作にこぎつけることができました。

そういうわけで、最初は俳優としてのオファーだけだったのに、結局、制作も担当することになったんです」

-大変でしたね。撮影はいかがでした?-

「台風に遭遇したりしましたけど、まあまあ順調でした。坂口良子さんとの久々の共演もうれしかったですね。

良子さんとは久々の共演だったんですけど、やっぱりさすがですよね。スケジュールとか段取りがちゃんとしていないと叱られるので、しっかりしないといけないって気が引き締まりました。

やっぱりあの時代の女優さんとか役者さんというのは、いい緊張感を持たせてくれますよね」

-完成した作品をご覧になっていかがでした?-

「そのときに持てる力を自分では全部出し切ったつもりなので、一応自分が主演ではありますけど、とりあえず、よく頑張ったなと(笑)」

-頓挫(とんざ)してもおかしくない状況でよく完成させましたね-

「そうですね。各地方を飛び回ってお金を集めましたから大変でしたけど、何事も勉強というか、映画って何かつながっていきますよね」

最終的に編集作業が完了したのは、試写会当日の朝だったという。“大沢樹生第1回プロデュース作品”となった映画『怪談・牡丹燈籠 もっともっと、愛されたかった。』は、2007年に公開され、美しい純愛ホラー映画として話題を集めた。

(C) 2014「鷲と鷹」製作委員会

◆「光GENJI」解散以来、初となる諸星和己さんとの共演

2014年、大沢さんは映画『鷲と鷹』で長編映画監督デビューを果たす。大沢さんがW主演の相手としてキャスティングしたのは、「光GENJI」の解散ライブ以来、20年もの間、音信不通になっていた諸星和己さんだった。

※映画『鷲と鷹』
警察官の鷹村和也(諸星和己)とヤクザの鷲尾誠司(大沢樹生)は幼なじみだが、正反対の人生を歩んでいた。やがて鷲尾が所属する組織と敵対組織との抗争が勃発。鷹村は捜査のために鷲尾に接触するが…。

-初監督作品の相手役に諸星さんを選んだ理由は?-

「男同士の友情を軸にしたストーリーにしたかったので、自分とのW主演でファンや観客に説得力を持たせることができる俳優は誰なのかって考えたとき、彼しかいないと思ったんですよね。話題性も必要だろうということで(笑)」

-諸星さんとは不仲説もありましたが?-

「彼ともメンバーの誰とも不仲ではなかったですよ。仲良くもなかったですけどね(笑)。

『光GENJI』 の解散以来会ってなかったし、電話もしていなかったので、20年ぶりでした」

-すぐに共演を引き受けてもらえたのですか?-

「いや、すぐにじゃなかったと思います。解散してから20年、全く会うことも連絡を取ることもなかったので」

-20年ぶりに共演されてみていかがでした?-

「20年という月日が経った感じが不思議となかったですね。彼だけじゃなくて他のメンバーにも言えることなんですけれども、これは不思議ですね」

-過酷なときをともに戦ってきた仲間という思いがあるからでしょうか-

「どうなんでしょうかね。別に普段生活のなかで会いたいなとか思ったことないんですけど、ああやって仕事場で一緒にやると不思議と全然違和感がないですね。

僕の初監督映画という慣れない現場だったと思いますけど、役作りも完璧で、本当にしっかりとやってくれました。監督と俳優という関係は良好でした」

-諸星さんと大沢さんのローラースケートシーンもあって、「光GENJI」のファンの方にはたまらないですね-

「はい。あれはサービスカットですね(笑)。本来あのシーンは、台本上ではキャッチボールとか、サッカーボールのパス回しみたいなことだったんですけど、『どうせならローラースケートでいっちゃったほうが良いんじゃないの?』って(笑)」

『鷲と鷹』の後、2016年には映画『THE ACTOR-ジ・アクター-』と『THE ACTOR-ジ・アクター2-』を監督。

※映画『THE ACTOR-ジ・アクター-』
4年間の刑期を終え仮釈放の身となった元ヤクザ(野村宏伸)は、成り行きで、収監中に世話になった社長が経営する工場で撮影が行われていたVシネマに出演することになり、役者として生きていこうとするが…。

「あれは1本の作品をビデオ販売用に2巻にしたんですけど、大変だったんですよ。

クランクイン3日前に、制作費5000万が入らなくなっちゃって、役者もスタッフのスケジュールも押さえてあるし、どうしようって…。

マネジャーに『2人で首を吊ろう。どこかロープをかけるところないか?』って言ったら、『ないわよ。ロープをかけるところなんてない』って言われて。

『だったら、何とか頑張れっていうことだな』って言ったんですけど、そのときに『自分で命を断つシチュエーションというのは、こういうことか』って思いましたね」

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◆再婚、長女誕生、そして新たな挑戦も

公私ともに苛酷な経験を重ねてきた大沢さんだが、2008年に15歳年下の一般女性と再婚。初めて会ったときに運命を感じたという。そして2014年、女児が誕生する。

-お嬢さんが誕生するまでいろいろ大変だったようですね-

「不妊治療をやっていました。それで4回目の顕微授精で、今の娘を授かりました。その前には6カ月で死産するというきつい経験もしたんですけど」

-大変な思いをされただけにひとしお可愛いでしょうね-

「そうですね。今年小学校に入学するんですけど、40半ばの年に出来た子供なので、孫感覚っていうのもすごいありますね。

しつけとか教育は妻任せみたいで、無条件にかわいがっちゃうという感じ(笑)。

結構嫁がバシッと怒るので、自分が逃げ道になってあげようって。一緒になって怒ったらかわいそうだなと思って怒れない(笑)」

7月には学長をつとめ、本物志向のジュニアタレントから成人タレントまでの育成アカデミーを目指し、「リズミネーションアカデミー」を開校するという。

「アクターズスクールをやらないかというお話は、これまでにも何度かありましたけど、自分がイマイチ乗っかりきれなかったんですね。

でも、今回一緒にやっていく人と、志も向かって行く方向も合致したので、色々なことがありましたけど、芸能界で38年間生きてきた経験を基に、後進への力添えができたらと思ってスタートすることにしました」

-リズミネーションというネーミングは?-

「『リズム』と『コミュニケーション』を合わせた造語です。今、コミュニケーションを取れない若者たちが増えているので、『リズム感と、いいコミュニケーションをとろう』という意味をこめています」

-ジャニーズ事務所で色々なレッスンをされてきた経験もありますしね-

「そう。12歳から25歳までジャニーズ事務所で育ちましたからね。俺はジャニーズに入らなかったら、確実に変な方向にいっていたと思う(笑)。闇の住人になっていたと思いますよ。

おかげさまで、良いのか悪いのか、普通の人よりも経験豊富に生きさせてもらっているので、
その経験が生きる力になればいいなと思います」

-これまでタレントスクールなどで講師をされたことは?-

「あります。それこそテレ朝のアナウンススクールみたいなところで、芸能のレッスンもあるのでやってくれないかと言われてやりましたけど、面白かったですよ。人に教えるのってすごい楽しいなって。

自分もなんですけど、今回僕らの主旨を理解してくれて、同じような思いの講師陣が集結してくれたので、充実した良いスクールになると思います」

-教える側に回ったとき、またご自分でも新たな発見というのがあるかもしれないですね-

「そうですね。一緒にやる仲間も信頼できる人が集まったし、知り合いのプロダクションの各マネジャーからもぜひ、レッスン風景を見たいという声もあるので、やっぱり目を引く生徒さんがいたらご紹介もできますしね。

また自分も今後また映画の制作はやっていくので、そのときに生徒さんからまた力を貸してもらうこともあると思いますので」

-昨年、ジャニー喜多川さんが亡くなられましたが、最後にお会いしたのは?-

「『光GENJI』の僕のラストステージの大阪城ホールです。ジャニーさんありきで今の自分があるのは確かなので。『芸能界に入れてくれてありがとうございました』って、本当に感謝しかないです。何か亡くなったという感じがしないんですよね。ひょっこり現れそう」

-ジャニーさんのことで一番思い出されることは?-

「一番うれしかったのは、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)の放送が始まる前にパーティーがあったんですよ。

そのパーティーにジャニーさんが僕を連れて行ってくれたんですけど、各プロダクションの社長さんがいるじゃないですか。

そういう人たちが僕を見て、ジャニーさんに『ジャニーズの秘密兵器を連れているね』っていう言い方をしたのが聞こえて、ジャニーさんが照れくさそうに笑っていたの。それがすごくうれしくて今でも覚えている。

それが励みになって、色々な困難を乗り越えられたと思います。『ジャニーさんは芸能界の父』ですからね。ジャニーさんの教え、『ショー・マスト・ゴー・オン』を常に忘れず、これからも頑張っていきたいと思います」

俳優、歌手、映画監督としての活動に加え、7月からはスクールの開校も控えている大沢さん。恩師・ジャニーさんの教えを胸に挑戦の日々が続く。(津島令子)

※「リズミネーションアカデミー」7月開校予定
本物志向のジュニアタレントから成人タレントまでの育成アカデミー。ダンスレッスンを中心に、芸能界で生き残るためのノウハウの授業もカリキュラムとして取り入れていく。
お問い合わせ:info@alive1001.co.jp
大沢樹生オフィシャルサイト:https://mikio.co.jp/

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