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オーディションで2万5000人の中から選ばれて、1973年、人気ドラマ『時間ですよ』(第3シリーズ)のお手伝いさんの“美代ちゃん”役でデビューした浅田美代子さん。愛くるしいルックスで一躍注目を集め、劇中で歌うデビュー曲『赤い風船』も大ヒットを記録。

ドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)、映画『釣りバカ日誌』シリーズの2代目・みち子役をはじめ、ドラマ、映画に数多く出演。女優としてだけでなく、『さんまのSUPERからくりTV』(TBS系)では天然キャラが炸裂し、バラエティー番組でも引っ張りだこに。

昨年亡くなった樹木希林さんは『時間ですよ』で共演して以来45年に渡り、公私ともに親交を深め、“芸能界の母”のような存在。今月7日(金)には、その樹木希林さんが生前、浅田さんのために自ら企画した映画『エリカ38』が公開されたばかりの浅田美代子さんにインタビュー。

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◆16歳でスカウト…2万5000人オーディションで抜擢され…

-芸能界デビューのきっかけはスカウトだったそうですが、ご両親はいかがでした?-

「大反対でした。それで、『時間ですよ』のオーディションがあるから受けてみないかって言われたんです。親は受かるわけがないから、『落ちたらもう二度とそういうことは言わないように』って言って、そういう約束で受けたんです。そしたら受かってしまったので、そこからはもうバタバタバタっていう感じでした」

-2万5000人の中から選ばれたわけですが、自信はありました?-

「全然なかったです。控室にキレイで若い女の子がいっぱいいたので、全然無理だろうなって本当に思っていました」

-受かったと知ったときには?-

「ビックリしました。でも、次の日の朝、新聞に出てしまうので、受かった瞬間、すぐに学校に行って退学届を出しました。絶対に芸能活動はダメだという学校だったので、退学になるのは嫌じゃないですか(笑)。だから自主退学することにして、自分からやめました。本当にこの日を境にいきなり生活とか環境が変わったという感じでしたね」

-生活が一変したと思いますが-

「本当に普通の家庭だったのに、電話のベルが鳴り止まないとか、ピンポンピンポン鳴らされたりとか…、そういう感じでしたね。

それまでお芝居を1回もしたことがなかったので、レッスンをということになったんですけど、お手伝いさん役だから雑巾がけができないとダメだって言われて、廊下をとにかくタッタッタッタって雑巾がけをさせられたのをすごく覚えています。『これがお芝居の稽古なんだ』と思いつつ(笑)。

とにかく何もわからない世界だったので、樹木希林さんの後を金魚のフンのようにくっついて歩いて一緒にいましたね」

-樹木さんの第一印象はいかがでした?-

「やっぱり変わった人だなぁっていう感じでしたけど、面白そうな人っていうのもありましたね。ずっと一緒でした。お昼ご飯も夜ご飯もという感じで、すごく長い時間一緒にいました。それからずっとですね」

※浅田美代子プロフィル
1956年2月15日生まれ。東京都港区出身。1973年、ドラマ『時間ですよ』(第3シリーズ)で芸能界デビュー。劇中歌『赤い風船』で歌手デビューも果たす。

ドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)、『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系)、『さんまのSUPERからくりTV』、映画『釣りバカ日誌』シリーズ、舞台『ミッドナイト・イン・パリ~史上最悪の結婚前夜~』など、ドラマ、バラエティー番組、映画、舞台に多数出演。45年ぶりに主演をつとめた映画『エリカ38』が公開中。

4匹の保護犬を家族として迎え入れ、動物愛護法を改正する活動にも尽力。小学校等で命の大切さを教える「いのちの教室」を開くなど、殺処分ゼロを目指した活動も展開している。

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久世光彦さんの超スパルタ特訓、灰皿が飛び、顔をひっぱたかれたことも

-『時間ですよ』では歌手デビューもされました-

「あれはもともと決まっていたみたいで。4月にレコードが出ると、今度は歌番組とかにも出ることになって、もうわけが分からない状況でしたね。

『時間ですよ』は代々、天地真理さんもそうでしたし、『二階の真理ちゃん』から『隣の美代ちゃん』というように、ちょっと距離が近づいたんです。親しみやすくという感じで(笑)」

-久世光彦さんはかなりスパルタだったそうですが―

「すごかったですよ。お稽古とかも朝までやっていました。灰皿が飛んできたりしてましたし、顔をひっぱたかれたこともありましたね。

向田邦子さんの脚本だったんですけども、堺(正章)さんと希林さんと私の『トリオ・ザ・銭湯』という3人のシーンはコントみたいなもんだから、脚本通りではなく、みんなでいつも考えて作っていたんですよね。だから、途中からはもう『トリオ・ザ・銭湯、おまかせ』しか書いてなくて、そこを作るのにいつも朝までかかっていました」

-最初にそういう経験をしていると、後々色々なことに対処できるようになったのでは?-

「それはありますね。『釣りバカ日誌』に入ったときも、西田敏行さんと三國連太郎さんが、その場でどんどん台本と違うようにいろいろやって変えていましたけど、そういうのは全然平気でしたね。台本通りにいかないことに戸惑うということはありませんでしたし、楽しくできました」

-かなり多忙だったと思いますが、自由な時間は?-

「本当に自分の時間はなかったですね。もう分刻みという感じでした。歌番組も週に5日くらいは、毎日何かの番組がありましたし、ドラマの収録もあったので、収録の途中で抜けて歌番組の生放送に行って、それでまたドラマの収録に帰ってきたりして。

それに当時はアイドル雑誌が多かったんですよ。『月刊明星』だとか『月刊平凡』、『近代映画』とか色々あったので、その取材とかもあって結構大変でした。若かったからできたという感じでした(笑)」

-歌番組はいかがでした?-

「私は歌が下手だと言われていましたので、ちゃんとした歌手の人たちから『なんであの子が一位なんだ?あんなへたくそが』っていうのはよく言われていましたね(笑)」

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◆さんまさんのバラエティー番組で天然キャラが大人気に

1977年、ドラマや歌番組に引っ張りだこで人気絶頂だった浅田さんは、21歳という若さで結婚、芸能界を引退することに。

-突然の結婚、引退には驚きました-

「当時は自分が何をやっているのかよくわからないジレンマと、ドラマとかそういうのだけやりたいと思ったんですね。歌は下手だって言われているし、歌番組に行っても、みんなライバルみたいであまり通じるものもないので、お芝居だけやりたいって言ったんですけど、当時の事務所が許してくれなくて。

ずっと歌も歌わされていたので、そういうのも嫌だったときに結婚ということになって。じゃあ、もうそっちに行っちゃえみたいな感じでした(笑)」

-そのとき、樹木さんは何かおっしゃいました?-

「希林さんは、『主婦っていうのは誰が褒めてくれるわけでもないし、お給料が出るわけでもないし、点数がつくわけでもないけれども、それがちゃんとできたら、美代ちゃんはどんな仕事でもできるよ』って言ってくれたんですよね。

私が悩んでいたことを知っていましたから。『お芝居はやりたいんだよね』って言っていたので、いったん仕事をやめることの背中を押してくれましたよね」

-それで約8年間、お仕事をされてなかったんですね-

「はい。お料理を作ったこともなかったので、お料理教室にも行きましたし…。でも、逆に、八百屋さんに行って野菜を買ったり、魚屋さんに行って魚を買ったりするという普通の生活ができたので、後々主婦の役をやるときにはすごく役立ったんじゃないかなと思います」

-離婚後、芸能界に復帰されたときにはいかがでした?-

「芸能界を離れていたのは7、8年ですが、結構変わっていましたね。浦島太郎みたいな感じでした。例えば、時間を計るのはストップウォッチだったのが、電子計(デジタル)になっていたりとか(笑)。本当にどうなるのかわからなかったんだけど、自分がやれるのはここしかないと思っていたので」

-復帰作は何でした?-

「『もう一度結婚』(TBS系:1983年)というドラマでした。いしだあゆみさんと三田佳子さんと藤竜也さんが出てらして。そのドラマは、『時間ですよ』でディレクターだった人がプロデューサーで、ADだった人たちがディレクターになっていたから、すごく懐かしい仲間だったんですよね。だからそれはすごいラッキーでした」

-とてもいい環境での再スタートだったんですね。そして『さんまのSUPERからくりTV』でも天然キャラが話題になりました-

「さんまさんとドラマをやったときにそういう話になって、その後すぐに話がきたんですね。クイズ番組なんてやったこともないし、どうなるかと思ったんですけど、せっかくお話がきているんだし、せいぜいワンクール、13本ぐらいだろうなと思ってやってみることにしたら、それが20年近く続いちゃったんです(笑)。

でも、結局、当時の芸能人の離婚というのは、今ほど多いわけでもなかったので、なんか『負け組』とか『かわいそう』っていうイメージがすごく多かったと思うんですよね。だから、そういう意味ではさんまさんのおかげで明るい感じが出て、私としてはすごく助かりました」

-バラエティー番組に出演されるようになって周囲の方々からは何か言われました?-

「『類は友を呼ぶ』じゃないけれども、意外とそういうのを知っている友達が多いから、天然だとか言われていますけど、彼女たちにとっては不思議じゃないんですよね(笑)」

-樹木さんはどんなことをおっしゃっていました?-

「希林さんは『そういうのがきっかけでまた良かったね。そんな悲壮感なく明るいイメージで、またちゃんとそうやって生活ができるようになって良かった。さんまさんのおかげだね』とはよく言ってくれました」

-たくさんお仕事をされていますけど、やはり『からくりテレビ』と『釣りバカ日誌』シリーズのみち子さんは強く印象に残っていますね-

「釣りバカは毎年必ず撮影があったので、お盆とかに実家に帰るみたいなイメージでしたね。『また今年も会えた』みたいな感じで。7作目から20作目まで、そんな感じで長く続きましたね。毎年毎年お家に戻ってきたっていう感じでした」

明るくて可愛い料理上手なみち子さんは、世の男性陣の理想のお嫁さん像として大人気に。次回後編では樹木さんとの深い絆、樹木さんが浅田さんの女優としての代表作になるようにと手がけた生涯唯一の企画作品『エリカ38』の撮影裏話、動物愛護の活動について紹介。(津島令子)

(C)吉本興業

※映画『エリカ38』
TOHOシネマズシャンテ他全国公開中
実際にあった事件をモチーフに、自らを「エリカ」と名乗り、実年齢を20歳以上詐称し、何億円ものお金を詐取した女の本性を暴く犯罪エンタテインメント。
配給:KATSU-do
製作総指揮:奥山和由 監督・脚本:日比遊一
出演:浅田美代子 平岳大 窪塚俊介 山崎一 山崎静代 小籔千豊 小松政夫 古谷一行(特別出演) 木内みどり 樹木希林

テレ朝POST

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