クロアチアで一番有名な日本人歌手・山口いづみ。現地ではTVカメラが「バーッと並んだ」

公開: 更新: テレ朝POST

©テレビ朝日

和服の似合う美人女優として知られ、『大江戸捜査網』や『水戸黄門』をはじめ、数多くの時代劇やドラマに出演してきた山口いづみさん。

今と違い声優以外がアテレコをすることはほとんどなかった時代に日曜洋画劇場(テレビ朝日系)で放送された映画『エマニエル夫人』ではシルビア・クリステルの吹き替えをするなど幅広い分野で活躍していたが、1982年に一般男性と結婚。

男児2人をもうけたのを機に仕事をセーブしていたが、2000年から本格的に女優活動を再開し、歌手としても活躍。クロアチアの国民的歌手の楽曲をライブで歌ったことがきっかけで、“クロアチアで最も有名な日本人歌手”として知られている。

2018年8月24日

◆自分の母親が!?息子がテレビを見てビックリ?

-ご結婚されてから仕事をセーブしていたそうですね-

「そうです。結婚して、まず地方に行く仕事を少なくしていただきました。なので、『水戸黄門』も、最初と最終回に黄門様をお見送りして、お迎えするみたいな感じが後半何年かあって。それで、しばらくして助さんがあおい輝彦さんに変わられたりしたので、自然消滅という感じでした。

息子も2人できましたしね。子どもが物心つくぐらいまでは家にいたいなと思ったので。時々レギュラーのドラマを一本いただいたりというのはあったんですけど、地方に行くような仕事は、子どもが高校を卒業するまではやりませんでした。高校卒業するまではお弁当も作らなければいけませんでしたしね。なので、下の子が中学に入るくらいまでの約15年間は、ほとんど仕事は休んで、その後は、たまにという感じで再開しました」

-『水戸黄門』などの再放送もありましたので、そんなに休んでいらしたとは思いませんでした-

「そうなんですよね。皆さんそう思ってらっしゃるみたいで、『そんなに休んでいたの?』
って言われます(笑)」

-お子さんたちは山口さんのお仕事のことは知っていたのですか-

「いいえ。子どもたちが小さいとき、ずっと家にいたので、普通のお母さんだと思っていたみたいですけど、夕方学校から帰って来たときに『水戸黄門』の再放送をやっていて。声で気がついたみたいで、ビックリしていました。『お母さん、テレビに出ていたの?』って(笑)」

-周りのお母さん達は、みんなご存じだったと思いますが-

「ボーッとしている子どもたちなので、わからなかったんじゃないですか(笑)」

長男の山口賢人さんは、ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』で共演した塩田康平さんと、2016年にロックバンド「BUCKS」を結成。俳優、ミュージシャンとして活躍中。次男のYutoさんもギタリストとして活動している。

-今は息子さんたちも芸能界でお仕事をされていますね-

「そうですね。どういうわけか。上の子は大きくて体格も少し良いので、次男の方が私に似ているみたいです。私は若いときにすごく細かったんですね。26歳の頃、『熱中時代 教師編2』(1980年:日本テレビ系)というドラマをやっていたときは、38キロしかなかったんですね。私の人生の中で、そのとき一番やせていたんですけど、そのときの写真を見ると、本当に下の子に似ているんですよ。下の子がすごく細くて40kg台しかないので。ママそっくりだって言われています」

-お二人とも音楽活動をされているのは、やはりお母さま譲りなのでしょうね-

「私の影響はなかったと思います。男子校だったので、バンドをやれば女の子にモテるんじゃないかって思ったんじゃないかしら。多分、そういう不純な動機だったと思うんですね(笑)。上の子も、下の子もバンドをやっていて、それがずっと続いてしまったという感じですね。まだ仕事にちゃんとなればいいなっていう段階だと思います」

2019年4月28日

◆クロアチア語で歌ったライブの映像がネットで話題に

息子さんたちがティーンエイジャーとなり、女優業を本格的に再開。そして10年ほど前、かつて出演したドラマ『雑居時代』のファンサイトをたまたま見つけた山口さんは、自身が歌ったドラマの主題歌『そよ風のように』が大好きだという多くのファンの書き込みを見て驚いたという。

「それがちょうどファッションプロデューサーの植松晃士さんに、医師で歌手としても活動されている海原純子さんのディナーショーに誘っていただいたときだったんですね。私は若いときからちょっとおませなところがあって、フランソワーズ・アルディが大好きでフレンチポップスとかに憧れていたんです。

でも、デビューしてみたら、全然そういうものと関係ないものを歌わなきゃいけないし、自分のタイプじゃないヒラヒラの衣装も着なきゃいけなくて、そういう葛藤が自分の中にあって辞めたんですけど、『今だったら好きなものが歌えるかも』って思って」

-好きな楽曲を好きな衣装で?-

「そうです。自分の思ったことができるかなと思って、趣味を兼ねてちょっとやってみようと思ったのがきっかけだったんです。それで、『フランソワーズ・アルディの曲をフランス語で歌ってみたいな』というところから始まって、『じゃあ、ボサノバはポルトガル語で歌おう』とかね」

-クロアチアとはどのようなきっかけだったんですか-

「たまたま知り合いの方が、『明日、クロアチアに出張で行く』って言うので、どんな歌があるのか興味があって『CDを1枚買ってきてくれたらうれしいな』ってお願いして。それでいただいたCDの中に、クロアチアの国民的な歌手、メリ・ツェティニッチが歌う『ツェトリ・スタジューナ』という曲が入っていたんです。本当にきれいなメロディーで、この曲が歌えたらいいなって思って」

2009年当時日本にいたクロアチア人はまだ少なく、クロアチア語を日本語にしてくれる通訳の人もいなくて大変だったという。そこで山口さんはクロアチア大使館の関係者を紹介してもらい、読み方を教わり、歌詞にカタカナを振って歌うことに。

「全部カタカナをふっていただいて歌ったんですけど、駐日クロアチア大使がライブに来てくださって、『日本人がクロアチア語で、自分たちの国の歌を歌ってくれた』って本当に喜んでくださったんですね。それで大使がそのことを本国に伝えたら、その曲を歌っていた歌手のメリさんもとても喜んで下さって、国営放送とかに取り上げていただくようになって…。だから、本当に『何でもやってみるべきだなあ』って思いました(笑)」

-そのライブ映像がYouTubeにアップされて再生回数がすごかったそうですね-

「最初は1日に5件とか10件とか、100件ぐらいで止まっていたんですけど、クロアチアの国営放送で取り扱っていただいたら2万件ぐらいに上がっていてビックリしました。

でも、そしたら、瞬く間に作曲者の方のご家族から『権利はどうなってますか』ってクレームが入って映像を下げたんですけど、クロアチアの大使がすごい悲しがられて、『なんであれをさげたんですか?』って言うから、『クロアチアの方からクレームが来たんです』って言って(笑)。『そんなの大丈夫だから』っておっしゃったんですけど、『いやいや、大丈夫じゃないですから』って(笑)。すごくおおらかなんです。『大丈夫、大丈夫』みたいな感じで(笑)」

-クロアチアに行かれたのは2011年ですか?-

「そうです。色々言っていただいているのに行ったこともないのは失礼だなと思って。そのCDを買って来てくださった方にお願いして、一緒に行っていただいたんですね。歌手のメリさんにも連絡を取っていただいたら、すごく歓迎をしてくださいました。

ドブロブニクというすごくすてきなところなんですけど、そこに行ったら、『取材が入るから、朝8時にロビーに下りて来てほしい』って言われて。私は遊ぶ気満々で行ったのに、テレビカメラがバーッと並んでいて、『ヒエーッ』って感じでした(笑)。そんなことで大歓迎されて、『何か夜歌ってください』みたいなことがあって、プライベートなのか仕事なのかわからない状況になってしまいました」

-クロアチアの国営放送やネットでも“クロアチアで一番有名な日本人の歌手”と紹介されていますね-

「その当時はクロアチアで日本人を見ることがあまりなかったんですよね。今はそんなこともないと思いますけど、当時はそのCDを買って下さった方が田舎に出張で行ったら、『日本人のイヅミ・ヤマグチが、“ツェトリ・スタジューナ”を歌っているのを知っているか? クロアチアで一番有名な日本人の歌手は彼女だ』って言われたそうなんですね。『いづみさん、すごいことになっていますよ』って聞いてありがたいなと思いました」

-一枚のCDから始まって、すごいことに-

「本当にたまたまですよ。クロアチアに行くその方にその日会わなかったら、CDを頼むということにもならなかったし…。ご縁というのは、本当に大切にしなきゃいけないですね」

(C)「最果てリストランテ」製作委員会

◆アイドル歌手時代からのファンの「いづみちゃーん」の掛け声に…

定期的にライブ公演を開催し、夏にはジャズのアルバムも発売予定と歌手活動も多忙な山口さんだが、5月18日(土)には映画『最果てリストランテ』が公開される。この作品の舞台は、三途の川を渡る前に最後の晩餐を取るためのレストラン。人生でたった一度しか訪れることのできないレストランで物語が展開していく。

山口さんは夫の定年後に夫婦でする予定だった楽しい計画を実行することなく、愛する夫を残して亡くなってしまった妻役。亡くなってから15年後、夫が死を迎えて再会することに…。

-撮影はいかがでした?-

「撮影はもうあの瞬く間に終わったというか(笑)。あっという間の出来事でしたけれども、でも、本当にほのぼのとした空気の中で順調に進みました。良いお天気の日だったんですけど、西日が差し込むようなお部屋で、皆さんスタッフの方も穏やかな感じで良い雰囲気でした」

-完成した作品をご覧になっていかがでした?-

「現世とあの世の間の世界のことですけど、とても上手に描かれていて、良い映画になったなあと思いました。若いときには死というものをそんなに受け止める機会もなかったし、現実的ではなかったんですが、こういう年齢になってくるとまた違うんですよね。

私は東日本大震災のすぐあとに妹をくも膜下出血で亡くしたんですけど、まだ50歳だったんです。若い人の身近な死というのを初めて経験して、『ああ、こういうことが起きるんだ、こんな予期せぬ死が』って思って…。

多分妹とか、そういう若くして亡くなる人は自分が死んだことに気づけてなかったりするんじゃないかなって。何かそういう不思議な世界、亡くなったことにもしかしたら気づいていない、そういう空間があるんじゃないかなとずっと思ってたので、この作品は自分としてはすごく理解ができる感じがして、こんなレストランがあったらいいなって思いました」

-山口さんは夫が定年になって、妻と一緒に第二の人生を楽しもうと思っていた矢先に亡くなってしまった奥さんの役ですが-

「そうですね。だから会えるのは亡くなった人に限りますということで、ようやく夫は妻と会えるわけですけど、そんなことがあったら私は、誰に会いたいかなと思うようになりました。先に亡くなった人と会えて、一緒に手を取り合ってあの世に行くことができたらいいな。怖くないだろうなって思います」

-今後のご予定は-

「夏にジャズのアルバムを出させていただくことになったので、夏以降はライブが多くなりそうです」

-やはり圧倒的に男性ファンが多いですか-

「そうですね。でも、ご夫妻で来てくださる方も多いので半々ぐらいでしょうかね。ただ、男性ファンは昔のアイドル時代から応援してくださっている方がいるので、ペンライトを持ってきてくださるんですね。

ジャズとかフレンチポップスを歌っているときにはシーンとして聞いているんですけど、昔の曲になると、いきなりペンライトが出現して会場がグリーンになるんですよ。デビュー曲が『緑の季節』なので、会場がグリーンになって『いづみちゃーん』って掛け声が…(笑)。60歳を過ぎているのに面白いとか思って(笑)。

皆さんもきっとすごくいいお父さんだったり、会社でも上司だったりするんだと思うんですけど、そこに来たときは、青春時代に戻ってくださるみたいで楽しいですね」

しぐさがすべてとても色っぽくてきれいな人。ストレス解消法は運転することだとか。どこに行くのにも車で、セリフを覚えたり、大きな声で歌ったりすることもあるそう。映画の公開に、ジャズアルバムの発売も控え、多忙な日々が続く。(津島令子)

(C)2018「最果てリストランテ」製作委員会

※映画『最果てリストランテ』配給:アイエス・フィールド
5月18日(土)より池袋シネマ・ロサほか全国公開。
監督:松田圭太
出演:ジュンQ(MYNAME) 村井良大 芳本美代子 山口いづみ 堀田眞三

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