仲村トオル、選択肢になかった俳優業。チャラチャラした大学生活のはずが…そこに「人生で1番大きな出来事」

公開: 更新: テレ朝POST

1985年、映画『ビー・バップ・ハイスクール』(那須博之監督)で主演デビューし、数多くの賞を受賞した仲村トオルさん。

翌年には30年間に渡り制作された『あぶない刑事』シリーズ(日本テレビ系)がスタート。以降も『チーム・バチスタ』シリーズ(フジテレビ系)など多くのドラマ・映画に出演。90年代後半からは海外の作品にも参加し、韓国映画『ロストメモリーズ』(イ・シミョン監督)で第39回大鐘賞映画祭男優助演賞を受賞するなど高い評価を受ける。

ダンディーな大人の魅力に加え、CMでのチャーミングな踊りも話題に。2021年8月には舞台、ケムリ研究室no.2『砂の女』(ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出)に主演。11月12日(金)に主演映画『愛のまなざしを』(万田邦敏監督)が公開される仲村トオルさんにインタビュー。

◆選択肢になかった“俳優”という職業

東京で生まれた仲村さんは、まもなく引っ越して3歳まで大阪で育ったという。

「1歳にならないうちに大阪に引っ越して、幼稚園に入る直前まで過ごしたので最初に覚えた言葉が関西弁。

3歳のときにまた引っ越して川崎の幼稚園に入ったんですけど、多分その幼稚園で唯一ベタベタの関西弁をしゃべる園児だったと思うんです。実際、親にも子どもの頃には『アホちゃうか』とか、『あかんがな』って言っていたと聞いたことがあります。多分そのせいで幼稚園ですごく異端児扱いされたんじゃないかなと(笑)。

それが原因かどうかわかりませんが、小学校2年くらいまではうまく人とコミュニケーションが取れないというような子どもでした。小学校の1年ぐらいまでは、『何か(自分のことが)伝わらないなあ』みたいに思っていた記憶があります」

-それが変わったのは?-

「小学校3年生のときに今度は千葉に引っ越して。最初の頃は窓の外ばかり見ているような感じだったんですけど、ある日ドッジボールに誘われて。その頃から肩は強かったようで、当時そのクラスで1番うまいとか2番目にうまいとか言われている子たちに続けざまに当てたんですね。

それで『ドッジボールうまいね』みたいに話しかけられ、それまで何をやっても『それは違う』と言われたり、『分かってもらえないな』と思っていたのに、『あっ、何か認められた』と感じたんだと。この出来事がきっかけで人とコミュニケーションがとれるようになっていった気がします。

小学校5、6年のときの担任の先生との出会いもとても大きかったですね。いまだにお付き合いがあります。コロナ禍前までは何年かに1回はクラス会をやっていました。それくらい級友同士の仲もよいクラスで。

先生は当時20代半ばくらいで、学校に最先端のかっこいい車で来たりしていました。授業中に僕らが騒いでいるとちょいちょいキレて教室から出て行ってしまうので、なんとなくクラスのリーダー格っぽい生徒が何人かで職員室に行くんです。

その中に僕も入っていて、何がダメだったのか先生と話して、『そのことについてはちゃんとみんなで謝りますから教室に戻ってください』とお願いしていました。

でも、先生の授業はすごく独特でおもしろかったです。国語の時間に教科書に載っている小説を数ページだけ読ませてその続きを自分たちで考えさせる。そして、各々が書いたものの中から班ごとに一番おもしろいストーリーを選んでそれをベースにした劇を作りなさい、と。土曜日の放課後に発表会までありました。

あの頃はガリ版(謄写版)というやつでしたけどクラス新聞みたいなのを先生が発行していて、その新聞の一角でボブ・ディランや、吉田拓郎さん、井上陽水さんなどの詞を紹介していたんです。小学生が読んで理解できていたかというとよくわからないんですけど、世の中にはまだまだわからないものがたくさんある、ということを知ったというか…そういう先生でしたね」

-お仕着せの授業じゃなくていいですね。いろいろ書いたり劇をしたりして、演じることや表現することに興味が湧いたのでは?-

「いえ、先生はのちに僕がこういう仕事をはじめたとき意外だったと言っていました。映画関係だったらプロデュースとか演出の仕事に就くんじゃないかと思ったって言われたことはあります。

僕は授業で自分が書いた“その後のストーリー”にかなり自信があったんです。でも、班内コンペで選ばれなかった。『すごくおもしろいと思うんだけど、なんで選ばれなかったんだろう?』と残念だったんですけど。しばらくして先生の発行しているクラス新聞に、『班内コンペでは落ちたけどおもしろかった』と僕の書いたストーリー全文を載せてくれて、それがすごくうれしかったです。

幼少期は演じるということが身近にはなかったというか、とにかくプロ野球選手になりたいと思っていたんです。僕の目には野球選手が1番輝いて見えていました。俳優という職業は選択肢にまったくなかったです」

※仲村トオルプロフィル
1965年9月5日生まれ。東京都出身。1985年、映画『ビー・バップ・ハイスクール』でデビュー。『あぶない刑事』シリーズ、『チーム・バチスタ』シリーズ、『刑事殺し』(テレビ朝日系)、『空飛ぶタイヤ』(WOWOW)、中仏合作映画『パープル・バタフライ』(ロウ・イエ監督)、映画『接吻』(万田邦敏監督)、映画『22年目の告白-私が殺人犯です-』(入江悠監督)など映画・ドラマに多数出演。2000年代よりNODA・MAP『エッグ』、KERA・MAP『グッドバイ』などさまざまな舞台にも出演。2021年11月12日(金)に主演映画『愛のまなざしを』の公開が控えている。

◆プロ野球選手にはなれないと悟った日

気が付いたら男子はみんなやっていたというくらい野球が国民的スポーツだった昭和40年代、仲村さんもプロ野球選手になることを夢見て毎日練習していたという。

「中学2年あたりまでは日々野球でしたね。小学校から大学まで一緒で、小学校のときからうちの学校で1番野球がうまいと言われていた友人がいて、『いつか追いつく、そして追い抜く』と思っていたんです。けど、中学に入ると追いつくどころか差が開いているような気がしはじめました。

うちの学校の校舎がホームベースから80メートルくらいのところに建っていて、校舎にぶつかればホームランみたいな感じだったんです。僕はバッティング練習でもほんのたまにしか校舎に当てられないんですけど、僕が目標にしていた友人は毎日2、3本当てていて。

それで『あいつを抜くのはムリかもなあ』と。そんな時期に近隣3校での練習試合があったんです。その日の試合で、ある中学のエースがうちの学校の4階建て校舎の屋上を越えるホームランを打ったんですよ。

自分がたまにしか当たらない校舎に友人は毎日当てている。でも、その屋上を越えるホームランを打つ同い年がすぐ近くの中学にいる。ということは…と気づきました。すぐに全国の中学の数とかを調べて、自分よりも上のすごいやつはどれくらいいるのか人数を計算して、『これは絶対に俺はプロ野球選手になれない』と(笑)。

それでかなり自信をなくしたというか。『プロ野球選手になれないってわかっているのに、高校で野球を頑張り続けられるのか?』と自問自答して。14歳で諦めるなんて今振り返るとあまりにも早すぎたと思うんですけど」

-すぐに方向転換はできないのでは?-

「全然出来ませんでした。その後3年くらい何もやる気が起きませんでしたね。中3の夏の大会が終わると、『もう野球選手になるという夢はムリそうだし、県立の高校に入って、“楽しいから”という理由だけで野球部に入るのも悪くないかなあ』と考えたりして。

でも、野球を諦めた途端に成績もどんどん下がってしまって県立の受験に失敗するんです。僕の3つ上の兄の同級生がのちに僕が入った私立高校の野球部キャプテンだったんですが、僕が目標としていた友人の家にいわゆるスカウトに行ったんですね。

キャプテンはその足で僕の家に寄って、その友人が野球部に入るという条件で特待生扱いになることを話して。『うちの高校に来るか? 野球部に入るんだったら入れるようにしてやるぞ』というように誘ってくれたんです。

僕は(その友人と)同じ野球部に入ったら敗北感とコンプレックスを感じ続けるだけだと思って、『僕は県立に入れたら“楽しい野球”をやろうと思っているので』というような答えを返したような気がします。でも、県立に受からずその高校に行くことになったんです。とても野球部には入れない、かと言ってほかの部活に入るでもなく、本当に曇り空みたいな高校生活を過ごしました(笑)」

-高校時代は自分が将来何になるかを模索しながらという感じですか?-

「『俺は野球の才能がないとまず神様に言われた。そして入りたい高校からもお前は入る学力がないと拒絶された。俺はダメな人間と断定されたんだ』くらいに悲観的になっていて、模索どころではなかったですね。自分に何かの可能性があるとすら思っていなかったような…」

-そんな若い身空で?-

「放課後、校庭で部活をやっている同級生たちを見ているのもなんかイヤで、さっさと帰ってアルバイトをしたりしていました」

-どんなアルバイトをされていたのですか?-

「ビルの清掃とか運送会社の手伝いとかです。住宅ローンと教育費でいっぱいいっぱいのごく平均的サラリーマンの次男なのに私立校に行っちゃって学費が嵩(かさ)んで申し訳ないなという、ちょっと負い目みたいなものもあったので。自分の服ぐらいは自分で稼いだお金で買わないとな、というような感じでいたというか」

-とてもしっかりしていますね-

「いえ、出発点はどれも申し訳ないとか敗北感とか、そこら辺から来ていた気がします(笑)」

◆チャラチャラした大学生になるはずが…

高校3年生の3学期になると自分で設定した曇り空生活をやめようと思っていたというが、大学入学と同時に予期せぬ事態が…。

「大学に入ったら夏はサーフィンかテニス、冬はスキー合宿、それでしょっちゅう飲み会をやるようなサークルに入ってチャラチャラした楽しい大学生活を送りたいと思っていました(笑)。

でも、多分これまでの人生で1番大きな出来事だと思いますけど、4月のはじめに父親が倒れて、2、3週間入院してそのまま亡くなってしまったんです。大学でどんな授業を取るかとか、部活やサークルはどこに入るかと考えるオリエンテーションの期間、ほとんど学校に行けなくて。

あまりに突然で、もちろん悲しいんですけど、『これから生活どうするんだろう? 私立大学に4年間行くなんてムリだな』と焦ったり。かといって退学して社会人になる自信もまったくありませんでした。とりあえず、母子家庭が貸してもらえる奨学金を借りて、あとはバイトして家計を助けなければと思いました。

その頃の兄はバイト代が溜まると山登りに行ってしばらく帰って来ないようなところがあったので、この家は俺が何とかしないとダメだと。結局、大学1年のときはよくわからないまま履修してしまった授業に出て、学校の帰りにバイトをして、それだけを繰り返していたような記憶です」

-『ビー・バップ・ハイスクール』のオーディションを受けたのは?-

「大学2年生のときです」

-それは仕事として俳優になることを考えて?-

「いえ、1年生のときの成績がよくなかったのでまともな就職は多分ムリだし、家の状況を考えたらいずれは中退することになるだろうから、早く何かを見つけて職業というものにつなげていかないとまずいなと思っていたんです。

ただ、俳優になったきっかけは偶然の流れだったと思います。1985年の夏、静岡にある『つま恋』というところで、吉田拓郎さんのライブがあったんです。今でも親友で高校の教師をしている友人に、『これが最後のライブになるらしいから』と誘われて、僕の家の小さい車で一緒に行ったんです。

最前列に近いところで座るというよりも立ち続けていたんですけど、一晩中3万5千人が『拓郎~』と叫びながら熱狂し続けるなか、自分もすごく興奮しました。

興奮状態のまま朝を迎えて、帰り道一緒に行った友人が、『俺これから富山に行って、草刈十字軍に参加するから』と言ったんです。山の木がまっすぐ伸びるために日陰になりそうな枝を落としたり、下草を刈ったりしながら山から山へ渡り歩くというボランティアのようなバイトが当時あったんです。

『草刈十字軍』というそのネーミングにまずインパクトがあったんですが、彼はそのあと稼いだバイト代で『北海道の最北端まで行って北方領土を見て来る。1か月くらいしたら千葉に戻るから会おう』と掛川の駅から旅立ったんです。

彼を駅で降ろした僕は、『あいつは1か月で何かすごい経験をして、デカい人間になって帰って来て、俺のことなんか相手にしてくれなくなるかもなあ』と危機感みたいなものを感じながら、ひとりで東名高速を運転しました。

『何かしないとな、とりあえず夏休みのバイトだ』と求人情報誌を買うために書店に立ち寄って。そこで立ち読みした雑誌に『映画の出演者男性2人募集しています』とあって、それが『ビー・バップ・ハイスクール』のオーディションでした。バイト探しのために履歴書は書き慣れていたので、ここにも送っておこうと思って送ってみた。これが、だいたいのプロセスですね」

-オーディションはいかがでした?-

「会議室みたいなところで待ってくださいと言われて、入ったらものすごい雰囲気で(笑)。30人ぐらいいたと思いますけど、不良少年、ヤンキーたちが、『ケンカしたくて仕方ねえよ』みたいなオーラをバチバチにぶつけ合っていたんですよ(笑)。

ドアを開けた瞬間、『何か勘違いしていたなぁ』と思いました。自分としては映画に出たいというよりも、映画会社に履歴書を出せば就職のコネができたり、社会人になるきっかけになるかもしれないと思ったのに全然違うところに来てしまったと思いました」

まったく自信はなかったというが、仲村さんは主人公の一人「中間徹」役に抜てきされ、わずか1か月後には撮影がはじまることに。

次回は『ビー・バップ・ハイスクール』の撮影エピソード、海外作品への挑戦などについても紹介。(津島令子)

ヘアメイク:飯面裕士(HAPP’S.)
スタイリスト;中川原寛(CaNN)

©︎Love Mooning Film Partners

※映画『愛のまなざしを』
2021年11月12日(金)より全国公開
配給:イオンエンターテイメント 朝日新聞社 和エンタテインメント
監督:万田邦敏
出演:仲村トオル 杉野希妃 斎藤工 中村ゆり 藤原大祐ほか
妻(中村ゆり)を亡くしたことで、もう二度と誰も愛せないと思いつめ、生と死のあわいを彷徨うように生きる精神科医(仲村トオル)の前に現れたのは、彼を救済するかのような微笑みをたたえた女(杉野希妃)だった…。

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