俳優・江藤潤、約50年前に“歌手”としてもデビュー。自ら「売れるわけない(笑)ひどいの。情けない」

公開: 更新: テレ朝POST

1972年、20歳のときに『若すぎる恋』で歌手デビューすると同時に、挿入歌として使用されたドラマ『にんじんの詩』(テレビ朝日系)で俳優としてもデビューした江藤潤さん。

1975年、映画『祭りの準備』(黒木和雄監督)の主役に抜てきされ、翌年にはドラマ『青春の門-筑豊篇-』(TBS系)に出演。映画『帰らざる日々』(藤田敏八監督)、映画『戦国自衛隊』(斎藤光正監督)など多くの映画・ドラマ・舞台に出演。

2020年から神戸コミュニティFM局FM MOOVで『江藤潤「白秋の門」』のパーソナリティーをつとめ、2021年10月12日(火)から17日(日)まで東京・俳優座劇場で舞台『浜辺の朝~俺たちのそれから~』に出演する江藤潤さんにインタビュー。

20歳 浅草国際劇場

◆兄・江藤勲さんの影響で幼い頃から音楽好き

江藤さんの8歳上の兄は、グループサウンズ「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」の初期メンバーで、ベーシストとして活躍した江藤勲さん。江藤さんもお兄さまの影響で小さい頃から音楽が好きだったという。

「僕の亡くなった兄・江藤勲はスタジオミュージシャンでベースをやっていて、日本でもトップのミュージシャン、ベースマンだと僕は自負しているんですけど、兄貴の影響が強くて音楽にはすごく興味がありました。それで小学校は器楽クラブ、中学・高校では吹奏楽、やっぱり音楽に携わることには参加していたんですね。

それで高校を卒業して大学にちょっと行くんだけどおもしろくなくて、すぐにやめてコンボバンドのベースに。兄貴がベースだったので僕も見よう見まねでやってというようなことをしていたので、興味はものすごくありました」

-大学を中退されてからお兄さまを手伝うことに?-

「そうです。兄貴がスタジオ廻りをするときに楽器とかアンプをもって行かなくちゃいけないんですけど、ひとりでもって行くのは大変だということで手伝うことになったんです。

ミュージシャンには身の回りの世話をしたり、いろいろ手伝ったりする“ボウヤさん”というのがいつも付いているんですけど、兄貴にはボウヤがいなかったから手伝ってくれよと言われて。僕も音楽が好きだったから嬉々(きき)としてやっていたわけですよ(笑)。

それで、兄貴に付いて1年弱くらいのときに、神宮前にあるビクタースタジオでチャーリー石黒さんのレコーディングがあるということで行ったんです。スタジオでリズム隊…ピアノ、ギター、ベース、ドラムの4リズムを録音、次にサックス、フルート、トランペットなどをかぶせて、最終的にストリングスを加えていわゆるカラオケというシステムが完了するわけです。

それで、リズム隊だけの録音をやっているとき、たまたま広いロビーにある電話に外線がかかって来たんですけど、誰も取らないから僕が取りに行ったんですね。ほかにもドラムなどのボウヤもいたんだけど、誰も行かないから。それで電話に出たら、『1スタにチャーリー石黒さんがいるから呼んでくれ』と言われたので、『チャーリーさん、電話ですよ』って伝えに行ったんです。

それで『はーい』ってチャーリー先生が振り向いたんですけど、そのときの僕の声と表情がどうしても心に残ってしょうがなかったそうなんです。1か月ぐらい経ってから、レコーディングしているところにチャーリー先生のところのマネジャーが来て、じつはお会いしたいと。

チャーリー先生に(探していたのは)『ドラムかギターかベースか、この3人ボウヤさんのうちの誰かなんだよね』って言われて、ドラムもギターも当たってみたけど違っていたから最終的にベースの僕のところに来て、『やっぱり君だ』という話になって。『じつは非常に気になってしょうがない。歌をやらないか』って。

チャーリー先生の前で歌を歌ったわけでもないし、『僕は歌なんて小学校とか中学校の音楽の時間しか歌ったことがないです』って言ったら、『いいんだって。たとえば森田(健作)君を見なさいよ。役者をやりながら歌をやっているでしょう? 要はそういうことなんだよね。君にうまく歌ってもらおうなんて思ってはいない。歌をやって俳優もやってという形でちょっと進めていきたいんだ』って言われたんです」

※江藤潤プロフィル
1951年10月28日生まれ。東京都出身。1972年、『若すぎる恋』で歌手デビューすると同時にドラマ『にんじんの詩』で俳優デビュー。1975年、映画『祭りの準備』に主演。1976年、ドラマ『青春の門-筑豊篇-』(TBS系)に主演。映画『帰らざる日々』、映画『鉄道員(ぽっぽや)』(降旗康男監督)、映画『THE ACTOR-ジ・アクター-』(大沢樹生監督)、舞台『水戸黄門』など映画・ドラマ・舞台に多数出演。2019年に俳優仲間の小倉一郎さん、三ツ木清隆さん、仲雅美さんとユニット「フォネオリゾーン」を結成しデビュー曲『クゥタビレモーケ』をリリース。2020年から『江藤潤の「白秋の門」』(神戸コミュニティFM)でパーソナリティーをつとめ、番組公録と読み語り、ライブ活動も行ない幅広い分野で活躍中。

◆歌手&俳優としてデビューすることに

歌手になることはまったく考えていなかったという江藤さんだが、1972年、『若すぎる恋』で歌手デビューすることに。同じ年に歌手デビューしたのは郷ひろみさん、西城秀樹さん、麻丘めぐみさん、奈良富士子さん、小林麻美さん、牧村三枝子さんなど錚々(そうそう)たる面々だったという。

「兄貴に相談したら『レコードを出したいやつは腐るほどいるのに、向こうから勝手に出してくれるというんだからやりゃあいいじゃないかよ。こんなことはなかなか経験できないし、失敗したっていいんだよ。20歳そこそこだと立ち直れるんだから』って言われて、たしかにそれはそうかなと思って(笑)」

-レコーディングまでの準備期間はどのくらいあったのですか-

「早かったですよ。4、5か月だったと思います。だからわけわからんという感じでした。歌い方もわからないし、歌っていても楽しくも何ともない。楽器を弾いているほうが楽しかったですね」

-歌手デビューと同時に俳優としてもデビューすることになりましたね-

「はい。デビュー曲が『にんじんの詩』というドラマの挿入歌になったので参加することができたんです。メインが宇津井健さんと杉浦直樹さんで、この2人が朋友で仕事帰りにいつも立ち寄る渋谷のスナックのボーイ役。ビールを出したり水割りを出したりするからセリフなんてないんです。

2人の引きの映像ときに後ろが空いちゃうので、飲み物を出したりする作業が終わったら2人の後ろに行って白いギターをもって僕のデビュー曲をBGM的にやっていていいというシチュエーションだったんですよね。田舎から出てきて歌手を目指しているという設定で。

それが半年間の作品だったんですけど、そのうちにだんだん慣れてくるとセリフを与えられたりするようになって。そのスナックに出入りする大原麗子ちゃんがいて、僕が麗子ちゃんに恋焦がれるようになるという感じで。

そんな感じで麗子ちゃんとのやり取りとか、宇津井さんと杉浦さんとやり取りするセリフがだんだん加えられるようになって。デビューはそういう感じで歌もドラマも一緒に出たという感じでした」

-歌手として歌番組に出演されたときはいかがでした-

「いやですよ(笑)。一番いやだと思ったのは、デビューして2、3か月したときに小柳ルミ子ちゃんの1週間ぐらいのショーがあって、今月の新人という形で出させてもらったんですね。

今は浅草ビューホテルになっていますけど、昔はそこに『国際劇場』があって、そこで昼夜2回公演のワンマンショー。芝居と歌のショーという2部構成でルミちゃんが和服に着替える時間が必要だから、その時間にお笑いと僕の歌が入るわけです。

3日ぐらいやったらだいぶ僕も慣れてきて、センターであいさつしたら時間が余っちゃったんですね。ただ棒立ちしているのもおかしいからリズムを取りながら後ろを向いたんです。

そうしたら、チャーリー先生ですから東京パンチョスのフルバンドメンバーが僕のために生音を出してくれているんですけれども、赤とかピンクとかオレンジの照明がボンボンボンボン上がっていて。きれいなんだけど、バンドメンバーがシルエットになっていたんです。僕だけ衣装を着てスポットライトを浴びていて。

『前に俺はバンドメンバーがいるあそこでやっていたはずなんだよね。何で俺だけ目立って彼らは目立たないんだ? 俺は彼らと一緒のはずなのに』という思いが込み上げてきて、『俺は歌はダメだ』って思ったんだよね。

小学校、中学校、高校で音楽をやっていたけど、それぞれのパートが集まってアンサンブルの世界でひとつのテーマをやるということをずっとやっていたので、ソロは合わなかったんですよ。それに気がついてしまって、それから歌の仕事が入るとイヤでイヤでしょうがなかった。ほかの連中は嬉々として出ていましたよ。『出たい、出たい』って」

-でも歌番組にも出なくてはいけないわけですよね-

「そう。だからいろんな番組をやるんだけど、イヤでね(笑)。たとえば『芸能人水泳大会』とかは、男の子と女の子が何十人も集まってやるわけじゃないですか。それで、今月のフレッシュさんなんて言われて10人くらいプールサイドに並べられるじゃない。

男女別にだけど、そうするとみんなすごいの。一歩でも前に出ようとして、肩をグッと入れて前に出してくるんですよ。俺はそれがもうイヤでイヤでしょうがなかったんだよね。そこまでして目立ちたいのねって(笑)」

-江藤さんの歌自体はどうでした?-

「ヒットするわけがないじゃないですか(笑)。今いろいろやっているので久しぶりに聞いたんだけど、『何なの?こいつ。この声』って。もうひどいの。レコード盤を割りたくなったくらい。情けない。割ろうと思ったぐらいなんだから、売れるわけがない(笑)」

◆俳優として生きていくことを決意

歌手はソロ、自分だけ目立ってアンサンブルになっていないため自分には向かないと思ったという江藤さんは、俳優の道に進むことに。

「『にんじんの詩』をやっているときに、キャストがいて、照明、録音、撮影、美術、大道具、小道具、スタッフみんなのアンサンブルでひとつのドラマを作るシステムは、僕がやってきた音楽のアンサンブルの生理とピッタリ合ったんですよね。だから歌じゃなくてドラマがやりたいという思いがふつふつと沸き上がってきました」

-映画『祭りの準備』の主役に決まるまではどのくらいでした?-

「3年くらいかな。そんなこんなで歌手としては売れるわけがないんだから、1年ももたないうちにダメになったので、アルバイトをしながら俳優として何かいいチャンスが来たらそれにトライしてみようと思っていました」

-どんなアルバイトをされていたのですか-

「みんなとワイワイガヤガヤやるということは苦手なもので、輸出用の乳母車を組み立てるバイトをしていました。全部パーツが揃(そろ)っていて順番に組み立てていって、完成したらビニールに包んで説明書も入れて段ボールの箱に詰めるというバイトが一番長かったですね」

-『祭りの準備』の主演に決まったのはどういう経緯で?-

「そんなアルバイトをしているときに僕はチャーリー先生の事務所にいたんですけど、渡辺プロ本体のドラマセクションのマネジャーがすごく僕のことを気に入ってくれて、そこに移ったんです。そのマネジャーが一生懸命ドラマに売り込みをしてくれて、いくつか仕事をもらっているときに『続・けったいな人びと』(NHK)というドラマがあって。戦争中の話で、僕は海軍の江田島上がりの少尉の役で受かったんです。

ただ、そのとき歌もやっていたので髪がすごく長かったので、『君でいきたいんだけど、とりあえず五分刈りにしてもらいたい』と言われたので五分刈りにして海軍の少尉の役をやったんです。

その当時、世間ではショーケン(萩原健一さん)とかいろんな連中が長い髪のシラケ世代という言葉があったんですね。そういうシラケ世代の若者の中にイガグリ君みたいなのがいて非常にフレッシュだったということで、『祭りの準備』に結びついたんです」

-黒木和雄監督ですね-

「そうです。黒木さんとATGのプロデューサーとそのマネジャーと30分くらい会ってお話をしただけですけど、それから数時間後にマネジャーから『おい江藤、決まったからな。1週間後に高知に飛ぶからその支度と心づもりをしておくように』って言われて。それも別に僕の演技を見てということではなく、風貌とかあり方を見ただけで黒木さんがプロデューサーと決めてくれたというのが『祭りの準備』です」

-いきなり映画の主役になったわけですが、ご自身ではいかがでした?-

「映画自体がはじめてですから。右も左もわからない状態で現場に飛んで行ったので、意識も何もなかったです。黒木さんは演出をつけない方なので、『ちょっと江藤君、好きなようにやってみて』という感じで好きなようにやらせていただきました。絡む相手が原田芳雄さんだったので、彼が一生懸命俺を転がしてくれたから、そういう意味では助かりましたけど」

-複雑な人間関係やしがらみにもがき苦しみながら巣立っていくシナリオライター志望の主人公・楯男という難役でしたが、物語が進行していくに従って風貌も青年から大人に見事に変わってリアルでした-

「そうですか。撮影は40日間でしたけど、僕を東京に送り出すシーンを撮ったのは20日ぐらい経ってからだったと思います。もうそのときには役に入り込んでいましたので、これで利広(原田芳雄)を捨てて俺だけ東京に逃げて行くという、その複雑な気持ちがあのときに一気にブワーッと出て来たんですよね。だから、もしかしたら成長した部分はあるかもしれないです」

-原田さんもすごかったですね-

「好き勝手(笑)。あの作品がきっかけで原田さんには仲人になってもらったんですけど。僕は原田さんの映画を見ていましたので原田芳雄という存在も知っていましたし、キャラクターが違っていましたからやりやすかったです」

-原田さんとのことで思い出されることは?-

「『おい江藤、役者を仕事だと思うなよ。遊びなんだからな。遊びと思ってやれば楽なんだからな』って言って、それをいまだに覚えていますね。好きなことをやってお金をもらえるわけですから、こんなにいいことはないなと(笑)。原田さんの家のリビングにいくと書家が書いてくれたんですけど、でっかい字で『遊』って書いてありますよ」

-劇中、竹下景子さんとのラブシーンもありました-

「いろんなやつに『お前いいなあ、竹下景子とラブシーンがあって』なんて言われたけど、そんな余裕なんてなかった。『裸を見るとかそういうのじゃないんだ』と言ってもみんな信用してくれなかったですけどね。みんな出来上がった作品しか見てないから」

-はじめての映画で主演、すごい経験でしたね-

「そうですね。『祭りの準備』で教えてもらったことは、いわゆるお金じゃない。あれはATGの1千万円映画だったんです。1千万円で映画を作るという。文化庁に申請はして補助金は入りましたけど、撮影技師も照明技師も録音技師もほかのスタッフもなんですけど、お金を儲(もう)けようなんて考えはないんです。

作品が好きで、やっていることが大事なのであって、お金はあとから付随してくるものだというのがスタッフ全員の思いだったんですよね。それが僕のはじめての映画の現場だったからすごくよかったんです。もっともっと楽しい作品に出会いたいという欲が出てきました」

『祭りの準備』で俳優として注目を集めた江藤さんは、ドラマ『青春の門-筑豊篇-』の主役を演じることになり、映画『帰らざる日々』、『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』(山田洋次監督)、『鉄道員(ぽっぽや)』など多くの映画に出演することに。

次回は『帰らざる日々』、『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』などの撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

※『江藤 潤「白秋の門~まだまだ青春篇」』ラジオ公録+α!2021 OCT受付中
2021年10月2日(土) 午後5:15~午後7:00 UTC+09
M’s Cantina エムズ・カンティーナ

※舞台『浜辺の朝~俺たちのそれから~』
2021年10月12日(火)~17日(日)
東京・俳優座劇場
出演:勝野洋 江藤潤 十碧れいや 上島尚子ほか
ストーリーテラー:尾藤イサオ
1970年代に勝野洋さん主演で人気を博したテレビドラマ『俺たちの朝』を原作に、“その30年後”を描いた物語。

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