“玄界灘のキムタク”が新聞記者に!弘中アナの「ちょ、待てよ」にオードリー若林は苦笑い

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1月14日放送の『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系、毎週月曜23:20~)は、少年院で反省文を書きすぎて新聞記者になった元暴走族の男性が登場した。

今回の激レアさんは、中学を卒業してから暴走族に入った元ヤンチャ少年のタクヤさん。18歳で副総長になると女子からモテモテになったと回顧する。その理由について、当時、木村拓哉主演のドラマ『ラブ ジェネレーション』(フジテレビ系)が大ヒットしており「付き合いたい彼氏の名前No.1がタクヤだった」と述懐。彼の人気ぶりに、進行の弘中綾香アナウンサーも、“玄界灘のキムタク”と紹介して笑いを誘った。

ある日ケンカが原因で逮捕されてしまったタクヤさん。当時の彼の心情について説明するべく、弘中アナは、前日に自ら録音したという「ちょ、待てよ」ボタンをプッシュ。彼女の声がスタジオにこだますると、オードリー若林正恭は苦笑いを浮かべた。

そんな中、“ビビりなのにカッコはつけたい”という性格が災いし、少年院では、毎日課せられていた作文や日記にプラスして反省文を書く日々が続く。すると、当初は2~3行しか書けなかった文章がみるみる上達。いつのまにか、反省文を書くのが楽しくなったとのこと。

少年院を退院した後、父親からのアドバイスもあって南米へ向かったタクヤさん。エクアドルに向かい、日本人が多くいるバナナ園で働いたのだが、そこで異国の地で働くハンザワさんに出会い衝撃を受けた。彼の影響もあって、移民者にどんどん会いに行き、治安の悪い場所でも、ボスと仲良くなることで危険を回避する処世術まで学んだ。現地で様々な日本人と出会う中でタクヤさんは「こんな偉大な人たちを日本人は誰も知らない」とジレンマを感じていたと述懐した。

ペルーで放浪し、その後ブラジルへ。お金を稼ごうと職を探していると新聞記者の求人広告が目に入った。じつは、少年院を出た後も日記を毎日書き続けていたこともあり、移住した日本人向けの新聞記者の仕事はタクヤさんにとって打ってつけだった。面接では、原稿用紙4枚で作文を書くことに。テーマは「南米に移住した日本人について」。そこで、自分の思いをぶつけ無事合格。晴れて新聞記者となった。

現在タクヤさんは、日本に帰国し、福岡支局の一員として日本の情報をブラジルへ伝えているという。

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