12月10日放送の『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系、毎週月曜23:20~)は、ブラジルでギャングと銃撃戦を繰り広げた女性が登場した。
今回の激レアさんであるミチコ(84)さんは、20歳の頃、離婚を機に上京。手に職をつけるため、屋台でおでん屋を営むおばあさんへ弟子入り志願すると、アウトレイジな人がいる事務所へ連れていかれたという。ミチコさんは「屋台を出すためのショバ代(場所代)など、いろいろなことでお金を請求された」と回顧。すべての条件をのみ、店も繁盛したものの、常連客から映画の編集の仕事に誘われたのがきっかけで、店を畳むことにした。
1962年、共同作業に嫌気がさし、カメラマンに転職。当時学生運動が流行していたため、バリケードに潜入して写真を撮っていたという。
1960年代後半には新宿ゴールデン街に興味を持ち、同所でバーを経営。さらに、1972年には高級クラブをオープンさせた。順風満帆であったが、さらなる刺激を求めたミチコさんは、ブラジルが舞台の映画を観て「リオのカーニバルを生で見たい」と片道切符で現地へ。
ブラジルの公用語であるポルトガル語もままならないままバーをオープンさせる。現在でいうところの、インスタ映えする内装で最新ミュージックを流す酒場だったこともあり、近隣の店に客が入らなくなるほど繁盛した。しかし、これを面白く思わなかった街のギャングが、来店しては嫌がらせをするようになったとのこと。
当時付き合っていた絵描きの恋人・ジョアレースに相談すると彼が用心棒になってくれることになった。しかし、すぐに頭に血が上る性格だったため、ギャングと殴り合いのケンカの毎日。最終的にギャングから威嚇射撃をされるようになってしまった。
度重なる嫌がらせに業を煮やした彼は、挑発してきたギャングと銃撃戦に。ミチコさんは学生運動取材時に見ていたバリケードを見よう見まねで製作。店で護身用に持っていた銃を使おうとするジョアレースを「当たったら大変なことになる」と制止した。
当時について、ミチコさんは「向こうがバンバン撃ってくるからワタシも隙間から(撃った)」と衝撃の発言。逃げるのではなく、銃撃戦に参加し威嚇射撃をしたという彼女にスタジオは驚愕する。じつは、ミチコさんは近所の射撃クラブに通っており、先生からは「帰化してオリンピックを目指そう」と言われていたほどの名手だったのだ。
なんとか銃撃戦を切り抜けたミチコさんは、その後、日本へ帰国。「やっぱりゴールデン街で働きたい」と79歳でバー「ひしょう」をオープンさせたそう。
ミチコさんの波瀾万丈の人生について「破壊力あるわー!」「北野監督で映画化しちゃえ」「行動力がすげぇ」とインターネット上で話題となった。