ヌードモデルを経て占い師に!?『激レアさん』の衝撃告白にネットは「一番ヤバい」

公開:

11月19日放送の『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系、毎週月曜23:20~)は、夢の屋久島生活を経てヌードモデルになった女性が登場した。

今回『激レアさん』として登場したヒロコさんは、学生時代、大阪の芸術学校で絵画の勉強をしていた。そこで教えてもらっていた寡黙な先生・タカシさんと結婚。人見知りで人と接したくなかったことから、昔から夢だった原始的な暮らしをするべく屋久島へ移住することを決意した。

それから全財産を使い果たし、屋久島の一部を購入。電気は風力、水は沢から、住む家はティピー(かつてネイティブアメリカンが利用していたとんがり屋根のテント)、食料はモリで仕留めたタコや木にいる芋虫という自給自足の生活が始まった。

こうしてひっそりと暮らしていたが、娘が誕生したことで転機が訪れる。娘のためにも屋久島にある廃材を使って家を建てることにしたのだが、1年かけて骨組みまで作ったある日、台風ですべてが吹き飛んでしまった。それからというものの、心配した島民の人に助けてもらう日々が続いたという。

さらに、娘のために自身が作詞作曲した子守唄を数十曲制作し歌っていたある日「人に聴かせたい!」と思うようになり、合唱団に入ることに。さらにママ友の輪にも参加。人と接したくないから屋久島に来たのに、家の崩壊や娘の誕生が重なり、必然的に島の方と交流することが苦じゃなくなるほど性格が変わってしまったのだとか。

若林正恭オードリー)は、人見知りには「本当に人と接するのが嫌」か「喋りたいけど喋ることができない」の2パターンあると言い、後者の場合「何かのキッカケで確変が起きちゃうのよ。俺はガールズバーね」と笑わせた。

寡黙な性格のタカシさんとの生活は変わらないままだったが、ある日「ニューヨークで絵を描きたい」と言ってきたという。そこで、彼の意志を尊重し、家族で屋久島を離れ、絵画を売りながら日本を縦断する生活へ。さらにヨーロッパへと向かい、海外でタカシさんの絵も評価されはじめた。しかし「タカシさんにとって家族が邪魔なのでは」とヒロコさんから離婚を切り出したとのこと。

別々の生活を送ることになり、ヒロコさんは娘と共に帰阪。島と違って稼がなければならないため、時間の融通が利いて、さらに割のいい職業を探していたところヌードモデルの仕事に就くことにした。自身も絵に携わり、若い頃にデッサン用のヌードモデルをしていたことからノウハウがあったため選んだという。

現在ヒロコさんは占い師をしているのだが、その理由について「前世の記憶でタロットカードの扱い方を知っていた」とコメント。ゲストのホラン千秋は「開けてはいけない箱を開けてしまった」と言い、違う方向の『激レアさん』として「パート2もいける」と述べていた。

ネットでは、ヒロコさんの人生はもちろん、最後のコメントについて「いろんな意味で一番ヤバい」「これぞ激レアさん」「さらっとすごいこと放り込んできた」と驚く人が多数いた。

PICK UP