オードリー若林、過酷旅で三味線日本一の『激レア』さんに「才能なかったら地獄YouTuber」

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10月22日放送の『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系、毎週月曜23:20~)は、世界中で危険な旅をしたら三味線日本一になったという女性が登場した。

若林正恭オードリー)が研究員、弘中綾香(テレビ朝日アナウンサー)が研究助手を務める同番組は、実際に“激レア”な体験をした人=激レアさんを“研究サンプル”としてその体験談を紐解いていく。

一般的に三味線は師匠について学んでいくことが多く、独学でプロになった人はいないが、今回の激レアさんであるトシエさんは、なんと独学で日本一になった人物。彼女を育てた父は、名古屋で有名なお茶屋の三代目で、娘への愛情が強すぎる「アニマル浜口さんのような心配性の熱血漢」とのこと。

三味線との出会いはトシエさんが小学5年生のころ。父親が同居している祖父母と大喧嘩をし、父と家を出て行ってしまったところから始まる。引っ越しをするため転校を余儀なくされたのだが、その学校は以前の学校とは違い、トシエさんが入っていた吹奏楽部がなかった。担当していたクラリネットもできなくなり「どうしてもやりたい」と父に懇願する。すると「同じ楽器じゃないか」と、祖母から借りていた三味線を渡されたという。当初は疑問があったものの、やっていくうちに、どんどんのめり込んでいき「いつか日本一になりたい」と思うようになったそう。

娘の想いを知った父は、お茶屋を売却し、トシエさんと共に三味線の本場・青森県へ引っ越し。トシエさんは、実際に三味線の先生のもとに弟子入りしたが、その先生は教える気がなく弟子が先生代わりをしていた。仕方ないので別の教室へ行こうとしたのだが、なぜか激怒され、知り合いだったという学校の先生にも注意をされてしまう。この件で学校が嫌になってしまったトシエさんは不登校になり、高校受験も失敗してしまった。

三味線については、カセットを何度も聴いて練習をするという独学で継続。その後、腕試しに全国大会へ出場するものの、緊張のあまりうまく弾けず、散々な結果になってしまった。学校にも行かず三味線でも結果を出せない彼女を見かねた父が「メンタルと体を鍛えるため」と娘と東南アジアへ行くという破天荒な行動に出る。

タイの空港に着いた途端、行き先やホテルの予約をすべてトシエさんに任せたり、マレーシアからシンガポールへの移動(およそ東京~名古屋の距離)を自転車で旅をさせたりするなど、様々な試練を与える父。そんな過酷な状況を乗り越えたからか「知らない人の前でも緊張しない」とメンタルがアップ。帰国してから出場した全国大会でトシエさんは優秀賞を獲得した。

その後、父の助言もあり、大学に進学するため勉強をしつつ三味線の練習をするという生活に。何度か大会に出場するものの、どうしても三味線で優勝できないトシエさんのために父親は再び立ち上がり、今度はインドへ親子旅に。インドに行くとシタールという民族楽器に出会ったトシエさん。三味線も持ってきてなかったことから気分転換に弾いてみると、驚くほど上手く弾けたそうで、現地の人からは「10年に1人の天才だ」と驚かれたという。話を聞いていた若林は「トシエさんに音楽のセンスがあって良かったですよね」と言い「なかったら(過酷な旅をする)地獄YouTuberですよ」と例えてスタジオを笑わせた。

初めて人に褒められたことで自信がついたトシエさんは、その後に出場した全国大会で見事優勝。独学としては異例の快挙を成し遂げた。当時についてトシエさんは「夢だったのですごく嬉しかった」と回顧していた。

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