SMAPの番組も手がけた“ナスD”こと友寄隆英の日本人離れした行動力

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海外ロケをメインに据えたバラエティー番組は、時としてスターを輩出する。1992年~1998年まで放送された『進め! 電波少年』の松村邦洋や猿岩石。視聴率の低下が叫ばれる昨今、軒並み20%越えを連発する『世界の果てまでイッテQ!』のイモトアヤコ。そして、テレビ朝日で絶賛放送中の『陸海空 こんな時間に地球征服するなんて』の“ナスD”こと友寄隆英氏だ。

言わずもがな、友寄氏はタレントではなくスタッフ側の人間。過去には『いきなり! 黄金伝説。』、『SMAP☆がんばりますっ!!』『もしものシミュレーションバラエティーお試しかっ!』などを担当しており、テレビ朝日が誇る“体当たり系バラエティー”の屋台骨を支えてきたひとりである。

彼は同番組のゼネラルプロデューサーで、『部族アース』というコーナーの取材ディレクターも兼任している。同コーナーは、文明と未接触の部族に、U字工事が会いに行くというのがメインの内容だ。同行スタッフのはずの彼が、なぜ注目を集めることになったのか? それは「とりあえず体験してみる」というその行動力にあった。ガイドや原住民から勧められた食べ物はとりあえず口にした。それが食べられないものであろうが、調理してなかろうが関係ない。生魚、イタチ、熟していない木の実……とにかく何でも食べる。彼の好奇心旺盛な性格は、視聴者はもちろん、訪れた村人の心をも虜にしていった。

その探究心が仇となったのが、シピボ族の村で“ウィト”という果実を食したシーン。じつは髪染めに使われる特殊なもので、友寄氏を面白がった現地の人が「肌に良い」と冗談を言い、顔に塗ることを薦めた。それを鵜呑みにした友寄氏は「ここにきて美容ありがてぇ」という謎の名言を残し、全身に塗ってしまう。しばらくすると肌は真っ黒に……。自身の顔を見て「ゾンビやん」と多少不安を見せたものの、最終的に「このまま真っ黒でも頑張って生きていこうと思う。第二の人生スタートです」と前向きに捉えた。こうしたポジティブさが彼のアイデンティティーのひとつなのだ。ちなみに、この奇特な風貌から、彼は“ナスD”と呼ばれるようになった。

じつは彼のスタンスは今に始まったことではない。前出の『いきなり!黄金伝説。』や『SMAP☆がんばりますっ!!』では、タレントが挑戦する過酷なロケを、自ら実験体としてシミュレーションを行うことが通例となっていた。木村拓哉が東京都港区にある50の坂を1日で走破した企画『木村拓哉の全力坂』では、事前にひとりで走りきったし、よゐこらが挑戦する『無人島0円生活』では、本当に無人島まで行き素潜りまで会得した。何でもやってみないと気が済まない。こうした姿勢があったからこそ、偶発的に番組のテーマと合致し、爆発的な人気に繋がったのではないだろうか?

我々は「とりあえず体験してみる」という友寄氏の魅力を見つけただけにすぎない。無名だった猿岩石やイモトアヤコが、残酷とも言える番組側の指令を海外で遂行し、スターになったように、“ナスD”もその持ち前の行動力で、世界とテレビ業界を席巻して欲しいものだ。

TVerでは現在、“ナスD”のこれまでを復習できる回を8月3日まで配信中。彼がスターになった理由が分かるはずなので、ぜひご覧いただきたい。

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