大原麗子さん、森進一の子供を妊娠し中絶していた…孤独死の真相に迫る

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6月20日放送の『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ系、毎週木曜21:00~)は、今から10年前に逝去した女優・大原麗子さんの孤独死の真相に迫る。

同番組は、世間を騒がせた「人・事件」などの“今”を、MCの坂上忍が追跡&直撃し、真相を突き止めていく“ジャーナリズムバラエティ”。スタジオゲストとして清水ミチコ小沢一敬スピードワゴン)が出演する。

「テレビタレントイメージ調査」の女性部門で13度も1位を獲得、日本を代表する女優として順風満帆な人生を送っているかのように思えた大原さん。彼女がなぜ孤独死を迎えなければならなかったのか。番組では、大原さんが姉と慕い30年以上の付き合いがあった女優・浅丘ルリ子、大原さんにインタビュー経験のある芸能リポーター・前田忠明、そして大原さんの孤独死の第一発見者となった実弟・大原政光氏に話を聞く。さらにはフジテレビに残る大原さんの貴重映像などをもとに「人間・大原麗子」を浮き彫りにしていく。

坂上は、大原さんがどんな人物だったのかを聞くために浅丘のもとへ。これまでいくつもの大原さんの追悼番組があったが、浅丘が自らの言葉で語るのは今回が初めて。大原さんは「私を5番目の妹にして」と浅丘のことを慕い、浅丘の父親の最期をみとるほどの付き合いだったという。今回のインタビューのために前日、過去に大原さんと結婚していた森進一に電話して大原さんとのエピソードを聞いたという浅丘は、大原さんと森の離婚の真相や大原さんの素顔について語る。

また大原さんと森の離婚に関し、大原さんの実弟・大原政光氏から、大原さんが森の子供を妊娠し中絶したという、親友の浅丘さえ知らなかった衝撃の事実が明かされる。大原さんが中絶を決意した背景にあったものとは!?

女優としてのキャリアを着々と積んでいた大原さんだが、20代の終わりに免疫システムの不具合から手足のマヒなどを引き起こす病「ギラン・バレー症候群」を発症してしまう。しかし、大原さんは1年間の療養で病を克服。現場復帰してからも『男はつらいよ 噂の寅次郎』(松竹/1978年)や『男はつらいよ 寅次郎真実一路』(松竹/1984年)などの映画や、大河ドラマ『春日局』(NHK/1989年)などに出演を果たす。しかし、50代を迎える頃には主演級のオファーが激減し、納得のいかない仕事は全て拒否。撮影現場でも監督に対してセリフのダメ出しをするなど、スタッフと折り合えない大原さんには、次第に業界内で「扱いづらい女優」というイメージが定着してしまう。

女優としてのプライドを決して曲げなかった一方で、自身が老いていく現実も感じ取っていた大原さんは、53歳の時に左目の一重まぶたを二重まぶたにする整形手術を受けるが、術後にまぶたが腫れ上がってしまい完全に失敗。これは、知名度が高い大原さんが、整形手術したことが世間に知られることを心配し、名の通った病院よりも「モグリ」のような医師を選んだためだった。その代償は大きく、整形失敗を境に仕事は完全になくなってしまう。こうしてマネージャーや運転手などのスタッフが大原のもとを離れていっただけでなく、克服したはずの「ギラン・バレー症候群」も再発。さらにこの頃、母親の介護も重なり、彼女は追い詰められた結果、そううつ病まで患うことに。複数の薬を大量に摂取したこともあってか体と心の調子を崩し、自宅に引きこもる生活を続ける。

いつしか大原さんは、友人や仕事関係者に時間を問わず電話をかけ「なぜ自分を(映画やドラマに)使わないのか」などと悪態をつくような状態に陥る。これには親友である浅丘も「優しかった麗子がどうしちゃったの?」と心配しつつ、距離を置かざるを得なくなるほどだったという。前田は「自宅に取材に来い」と呼び出されといい、当時の大原さんを「完全に普通じゃなかった」と語る。番組では、前田が大原さんの自宅を取材した時の映像を特別に公開する。

こうして芸能界で孤立してしまった大原さんに救いの手を差し伸べたのが、1973年に結婚した最初の夫である俳優の故・渡瀬恒彦さん。2人の結婚生活は約4年半で離婚という結末を迎えていたが、渡瀬さんは大原さんのことを心配し、自身が主演を務めるドラマ『十津川警部シリーズ』への出演をすすめ、結果この時の『十津川警部シリーズ 東北新幹線「はやて」殺人事件』(TBS系/2004年12月27日)が大原さんの遺作となった。番組では、大原さんと渡瀬さんが新婚当時に渡瀬さんの地元・淡路島で仲むつまじく過ごす様子をとらえた超貴重映像も公開する。

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