「今の浅田真央のすべて」15年追い続けたディレクタ-、真央の初プロジェクトに密着

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浅田真央の初プロジェクトに密着する『幸せはリンクの中に~浅田真央 人生の第2章~』(東海テレビ・フジテレビ系)が、6月17日(日)16時5分より放送。浅田本人と、15年にわたって浅田を取材し続け、厚い信頼関係を築いてきたディレクター・渡辺克樹(東海テレビプロダクション)が見どころを語った。

浅田が中心となって巻き起こしたフィギュアブームは、フィギュアスケートという競技を身近なものにしてくれた。しかし、大会やアイスショーが行われるスケートリンクの数は少なく、チケット代もほとんどのものが高額に設定されている。彼女は、これまで応援していただいた多くの人達に自分の滑りをもっと見やすい環境で見てもらい、感謝の気持ちを伝えたいという思いから、このプロジェクトができないかと考案。姉・舞と共にアイスショーチームを結成し、日本中のスケートリンクを回るという。番組では、浅田が現役引退後に初めて取り組む「浅田真央 感謝を届けるアイスショー全国ツアー」というプロジェクトを作り上げていくまでの舞台裏に密着する。

東海テレビが制作・放送してきた浅田の番組制作には、全て関わってきたという渡辺ディレクター。「浅田選手がまだ小学校6年生の時、2002年12月の全日本選手権で3回転を3回連続して飛びました。それからほどなく、自分が真央選手の担当をすることになりました。2003年の4月、練習リンクにお邪魔し真央選手を指導していた山田満知子コーチに挨拶させていただきました。当時は、まだネットも普及してなく専門書も少なく、一から勉強するため、毎週月曜、木曜に行われていたスケートクラブの練習に毎週のようにお邪魔していました。後で知ったのですが、真央選手や同じクラブで練習していた村上佳菜子選手も、頻繁にやって来る自分の事が話題になっていたそうです。そして、その年、真央選手が中学1年生の時、全日本ノービス選手権の予選大会があり、ぶっちぎりで優勝しました。その頃からあらゆる大会で、好成績を収め注目を集めました。フィギュアスケート選手は、身長が1センチでも伸びると、ジャンプのバランスがものすごくとりにくくなるといわれています。彼女は中学2年生の時、身長が10センチも伸びました。そこからの努力は並大抵のものではなかったはずなのに、常に勝ち続けていました」と、取材を始めた当時を振り返る。

そんな渡辺ディレクターは、浅田が競技人生にピリオドを打ち、プロスケーターとして初めて取り組んだビックプロジェクトも長期間に渡って追い続けていた。この番組の取材と編集に追われる彼は「選手時代も真央さんのスケート人生に密着してきましたが、“サンクスツアー”が出来上がるまでに迫ったこの約半年は、これまでを遥かに超える密着映像であふれます。笑い、泣き、感情をぶつけあい、そして1つのゴールに向かってみんなで頑張る姿は、これまでの真央さんには決して見られなかった姿です。初回公演のあとの達成感に満ちた真央さんの表情は必見! 今の浅田真央のすべてが詰まっています。番組では、真央選手が何をモチベーションに滑り続けたのか、これまでの映像をふんだんに盛り込み、その軌跡をお伝えします」と語る。

そして、浅田自身もツアー直前に胸の内を明かした。「(このツアーをやりたいと)姉の舞に声をかけた時、すぐに一緒にやろうと言ってくれてとても嬉しかったです。とにかくたくさんの人に、今の自分の感謝のスケートを見てほしい、ただそれだけを思っています。自分で曲を決め、アレンジを新しくしていく作業は、イベント実現に向けて、苦労という苦労ではなかったと思います。自分の滑りやプログラムを見つめなおす意味で楽しくもありました。そのパフォーマンスをオーディションで選んだメンバーに伝え、グループナンバーとしてみんなと動きを合わせていく練習には多くの時間をかけました。苦労したからこそ、いいものができたと思っています」と自信を覗かせる。

また、浅田が大ファンだということから、渡辺ディレクターはSuperfly・越智志帆に番組のナレーションをオファー。越智がナレーションを担当するのは初めてのことだという。「サンクスツアー」を自身でプロデュースしていく上で、Superflyが昨年11月に行ったライブ「Bloom」に、大きな刺激をもらったという浅田。そこで、ステージの上で意識していること、ライブの達成感など、「パフォーマー・浅田真央」が気になる話題をぶつけていくスペシャル対談も実現した。浅田は、一体どんな表情で対談したのか。

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