中井貴一、テレビ業界の裏側から感じる“開き直り”の意味とは?

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10月8日より全国公開される映画『グッドモーニングショー』で主演を務める俳優の中井貴一にインタビュー。初挑戦となるキャスター役への取り組み方や、テレビ業界の裏側を描いた作品のテーマなどについて語っていただいた。

本作は、『踊る大捜査線』の君塚良一が監督・脚本を手掛け、朝のワイドショー「グッドモーニングショー」のメインキャスター澄田真吾(中井貴一)を中心に描いたオリジナルコメディ。妻・明美(吉田羊)と息子の言い争いに巻き込まれ、職場ではサブキャスターの小川圭子(長澤まさみ)に“身に覚えのない交際”を発表しようと迫られ、プロデューサーの石山聡(時任三郎)からは番組の打ち切りを告げられるなど、まさに踏んだり蹴ったり……。

そんな中、都内のカフェに爆弾と銃を持った男が人質を取って立てこもるという事件が発生。どういうわけか犯人・西谷颯太(濱田岳)から「澄田を呼べ」と要求される。過去のトラウマから現場に出ることを拒否する澄田だったが、石山Pからの命令、番組視聴率のため、というより圭子の暴露を防ぐため、デマカセで現場に向かうことをカメラに向けて宣言してしまう。否応なく現場を訪れると防爆スーツにカメラとマイクを仕込まれ、武装した犯人とマイクひとつで対峙することに……。果たして澄田は、色々な意味で無事に放送を終えることが出来るのか? 前代未聞の生放送に挑んでいく。


<インタビュー>

――本作のオファーを受けた際の感想を教えてください。

これまで君塚監督のエンターテインメント作品には3回ほど出演させていただいているのですが、まず凄いなと思ったのは、テレビが良くないと言われる時代の中で、テレビ局が主導してこの作品を撮ろうと思ったことです。“嘘をつくことだってショーなんだ”ということが描かれていて、そこに触れていくことに面白みを感じました。

――君塚監督のどのような所に魅力を感じますか?

君塚さんのうまさは緩急だと思います。喜劇というのはそのなかに悲劇がないと存在し得ないし、その逆もまたしかりですよね。今回は緩急という意味において、悲劇と喜劇がきちっと混在している。もともとは萩本欽一さんの元でバラエティの作家もされていたこともあり、ドラマという枠を越えていろんなものを作られてきた方のフレキシブルさが台本の中に漂っていて、現実とファンタジーの融合が本当にうまい。ファンタジーばかりだとお客さんはついて来られないと思いますが、きっちりと現実を踏まえた上で夢の中を進んでいく感じが素晴らしいと思います。

――君塚さんは近年『誰も守ってくれない』や『遺体 明日への十日間』など、シリアスな作品を作られていましたが、またど真ん中のエンターテインメント作品に戻ってこられましたね。

君塚さんは監督をする時は社会性の強い作品をやりたくなると仰っていました。きっと監督自身の緩急も意識していて、社会的な作品を描いた後で、次はやわらかい作品を撮ろうと思ったんだろうなと思います。それに、この作品で「俺は監督業に行くぞ」とハッキリと宣言したような感じがしました。

――劇中では“テレビ界の現状”も一つのテーマとして描かれていますが、それをテレビ局が出資して、テレビの世界で活躍してきた君塚監督が描いているということについて感じたことはありますか?

“テレビがダメになった”と言われている時代だからこそ“テレビというのは万全とした物です”というテーマを打ち出すのかと思ったらそうではなかった。本当は一番やっちゃいけないことだけど、これは“ショー”なんだっていうある種の開き直りみたいなものがある。今のテレビ業界は、コンプライアンスなどにがんじがらめになっていて、さらに苦情に対してナーバスになりすぎている。しかも、そう言ってくる人たちに限って「テレビが面白くなくなった」と言うんですよ。度を超えた物に対してはイケナイという線引きは必要だと思いますが、ある程度の寛容さの中に面白さは含まれていると思うんです。規制を受けすぎている今のテレビ界があって、そこに面白い物を作る困難さは当然あると思う。でも、その枠を越えてきっちり伝えていくという姿がこの作品では描かれています。立てこもり事件の中にカメラを付けて入っていくなんて言語道断かもしれないですが、これが現実なんだって。現実を伝えるのがテレビなんだって唯一のプライドを持っているという潔さっていうのかな。それを今のテレビ界が矜持として持たなくてはいけないことなのかなと思いました。

――出演に当たり、実際のワイドショーの現場を取材されたそうですが、そこでキャスターの仕事について何を感じられたのでしょうか?

ワイドショーって気楽に見るじゃないですか。だから作り手も楽なのかなと思っていたんです。でも、実際に現場に伺うと、生放送の決められた時間の中に収めていくという僕らには信じられない世界が存在していました。僕らは感情優先で芝居をして、監督に委ねるという仕事をしている。彼らは、ディレクターは存在しながらも、キャスターの人たちはそれぞれ演出家であり、プロデューサーであり、タイムキーパーでなくてはいけない。それがものすごい臨場感で伝わってきたんです。その場でディレクターからの指示はあるけど、「それは無理」と思ったらキャスターの判断で物事を切り替えていく。その責任を負っていくのは大変だなと思いました。そこに面白みを感じている人でなければ、もしかしたらキャスターは務まらないのかもしれないですね。

――俳優としてドラマや紀行番組のナレーションなどを担当されていますが、テレビマンに共感することはありましたか?

今回一番役作りとしてやりたかったことはそこなんです。「さぁ、ニュースです」というのはモノマネをすればできることですが、キャスターの人が朝、テレビ局に到着して、廊下を歩いているときに何を考えているのか? アナウンス室に荷物を置いて、そこからする毎日のローテーションは何なのか? その思いを全部知りたかった。テレビ局員、特にアナウンサーというのはとても変わった商売だと思うんですよ。だって、サラリーマンなのにランキングとかあるんですよ。表に出る側の人間だけど、電車で通わなきゃいけない。それはどういう感じなんだろうというのを知りたかった。もともと僕は大学の時に表に出る方ではなくて、テレビ局とか広告代理店とか裏方に行きたいと思っていたので、今回、それを知ることができるのは嬉しかったですね。

――君塚監督の演出について

舞台のような感覚がありました。報道のシーンも細かくカット割りしていますが、実際は頭から最後まで何十テイクと撮った中を監督がセレクトしています。相手の感情、お互いの感情によって、声の出し方や台詞の食い方も変わっていくので、面白かったですね。

――立てこもりのシーンの中で、劇中で描かれている様々な対立の構図が回収されていき、テレビに映っているものがすべて真実じゃないというのも描かれています。

この映画の中では「俺らはこれで良いんだ。ショーなんだ。嘘をつくこともある。くだらないと思われていることを人間が一生懸命やっていることが大事なんだ」ということが描かれていると思いました。それに僕は哲学を感じるわけですよ。人間が生きていることに意味を求めちゃいけない。生きていることに意味があるんだって。テレビという存在の意味を考えるよりも、テレビという中で必至にお客さんを楽しませようと考えていることが大事なんだって。そういうことが正解だと言っているような気がしています。

もちろんそれはテレビ業界だけではなくて、今の日本を考えても同じで、みんなが頭でっかちになりすぎている気がするんです。先日も「日本は労働時間が長い」とテレビでいっていたのですが、そんなに世界と比べる必要ないんじゃないかなって。食べ物が西洋化してきたから病気が増えたというのなら西洋化する必要はなかったわけじゃないですか。他のモノと比べるよりも「俺らはこうやっていますが何か?」と言えるような強さがあれば良いのになということが、小さいですがこの作品には描かれている気がしています。

昔からよく言われているように、相手にわからない言葉で話す人は利口じゃないと。エンターテインメントも同じで、例え利口じゃなくても共通して楽しむことができて、その上で、それぞれの解釈があれば良い。僕らが何を言わんとするかは、どこかでどうでも良いと思っていて、お客さんがそれぞれの解釈をしてくれたら、僕は映画やテレビといったエンターテインメントは正解だと思います。君塚さんが描いた今回の『グッドモーニングショー』は、すごくわかりやすく今の日本を語っていますから、是非、笑いながらご覧いただきたいです。

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