『不適切にもほどがある!』が異なる価値観をぶつけ合う討論に対してミュージカルを活用したワケ

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『不適切にもほどがある!』が異なる価値観をぶつけ合う討論に対してミュージカルを活用したワケ

3月22日放送の『不適切にもほどがある!』(TBS系、毎週金曜22:00~)第9話は、犬島渚(仲里依紗)がハラスメントで訴えられることに。さまざまな言葉を周囲から一方的にぶつけられる描写から、令和の論破文化と本作が用いたミュージカルの効能を考えます。

うるさかった昭和と静かすぎる令和

社内報の「ワーキングママ」特集でインタビューを受けた渚。それを読んで、妊活中の後輩・杉山ひろ美(円井わん)か自分に対するアウティングかつマタハラだとカウンセリングルームにやってきた。

特定の誰かの秘密を暴露したわけではないから、これはアウティングではない。しかし、渚の言動はプレ・マタニティハラスメントに当たるとして謹慎処分を言い渡されてしまう。もちろん杉山を気遣ったつもりの発言だったのだけど、ハラスメントは受け手の感じ方次第なのだ。

これは第1話で秋津真彦(磯村勇斗)がパワハラ認定されそうになるくだりと似ている。結局第1話のミュージカル通り「話し合いましょう」が大事なのだけど、今回は話し合いの場すら持たせてもらえなかった。ずっと不適切だった小川市郎(阿部サダヲ)はおとがめなしなのに、渚は一発アウト。これがおじさん特権だろうか。

そもそもこの問題、もっとみんな「妊活うつ」に焦点を当てるべきだと思う。杉山が妊活で追いつけられた精神状態を誰かが救えていたらここまで大げさにはならなかったはず。もちろん市郎にはそんなカウンセリングは無理だから、誰かメンタルクリニックを紹介してあげられていたら……と思うと悔やまれる。間違ってもこれを渚と杉山による女vs女のバトルだと思ってはいけない。

「どうでした? 昭和」。今回、このドラマの核心を突くような台詞が渚から発せられた。みんな昔はよかったっていうけど、本当かな? 向坂サカエ(吉田羊)の答えは「なんか(昭和は)全体的にうるさかったな。人が」だった。今はイヤホンで耳をふさぎ、わからないことはスマホで検索。人に聞くこともないから静かだとその差を語っていた。

たしかに、たとえば子供たちが数人集まって静かにスマホゲームをしている光景を見たりすると、今一緒にいる意味ある? と驚くこともある。それぞれが心地よく過ごせているのは全然OKだし、余計な忠告なんてお節介以外のなにものでもない。でも、これでよかったんだっけ。時々気を遣いすぎて他者への「迷惑」になるのではないかと息を潜めてしまうこともある。サイレントな時代は、コミュニケーションの姿も変えてしまった。

クドカンミュージカルはラップバトルの応用?

「恋愛しなきゃだめですか?」とまで言っていた秋津は、マッチングアプリで証券会社勤務の矢野恭子(守屋麗奈櫻坂46)と出会ってから急に恋愛モードになった。恋愛至上主義の世の中に抵抗するキャラかと思ったら、ただコスパやタイパを気にして恋愛に価値を置いていないだけか。

秋津の会社が開発したマッチングアプリの特徴であるハイパー属性モードは、趣味嗜好まですべて細かく分類することでミスマッチを避けられるらしい。それで出会えたのだから2人は好相性のはず! なのに、振られてしまった。理由はSNSコミュニケーションの齟齬。属性がマッチしたからといって、好きになるとは限らない。

泣いたり騒いだり感情が乱されるなんてコスパもタイパも悪いことなのに、秋津は市郎の失恋カラオケで号泣している。このシーンで、結局感情の揺さぶりが恋愛の醍醐味でもあるんだよなと感じた。効率重視って人間味を削ぎ落とす姿勢なのかもしれない。

リンクするかのようにムッチ先輩(磯村二役)も振られていた。今まで狭い視野で生きてきた純子(河合優実)は令和で広い世界を知った。ただ昭和世代の女性たちが夢見た理想的な時代に令和がなっているかと思うと、全然そうではない。男女格差は依然あって、問題も山積み。それでも未来に希望を捨てず、自身の生き方の軌道修正をするように勉強に励む姿はかっこいい。

そして番組最後にやってきた今回のミュージカルタイムは、犬島ゆずる(古田新太)がメイン。渚が追い込まれるのを救おうする必死の行動が描かれていた。『コーラスライン』をモチーフに、ジェームス・ブラウンさながらのマントショーまで披露してしまうとは(ステージの締め括りでデビュー曲「Please, Please, Please」を歌う途中に力尽きたように膝をつき、スタッフがマントをかけて舞台袖に連れて行こうとするが、その後突然マントを振り払い、再び歌い出すのがJBお約束のパフォーマンス)。

今回の渚に対するさまざまな言われようを見ていると、令和の人々のコミュニケーションは対話ではなく討論に近いと感じた。一方的に主張して、論破してなんぼという空気感はたしかにある。それにどう抵抗したらいいのだろう。炎上した父と家族の対話を描いた吉田恵里香脚本の『生理のおじさんとその娘』ではフリースタイルでのラップバトルを用いて思いを伝えあっていてうまいと思ったが、今作ではそのブリッジがミュージカルということか。

ディベートやラップバトルは言葉の強さがカギで、オーディエンスに自分が勝ったと思わせる行為。言葉が強い人ばかりが認められているこの時代だけど、それをあえてミュージカルにして面白おかしくエンタメ化するのも、クドカンなりの時代への抵抗なのかもしれない。

(文:綿貫大介)

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