福田正博、浦和レッズが優勝するために改めて必要なこと

公開:

テレビ東京で11月19日に放送された『FOOT×BRAIN』(毎週日曜11:00~)の人気企画「検証! Jリーグオリジナル10」で浦和レッズを特集。ミスターレッズこと福田正博が、“Jリーグのお荷物”と言われた時代から、“Jリーグのビッグクラブ”と言われるようになった現在に至るまでの歴史を振り返った。

「Jリーグオリジナル10」とは、Jリーグ発足時に加盟していた10クラブの総称で、同企画の第1弾では、初代チャンピオンのヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)を特集して好評を博した。

Jリーグ開幕当初、ヴェルディの真逆の立場にいたのが浦和レッズ。93年、94年シーズンは2年連続最下位で、その後、J2降格も経験。しかし、近年はJリーグでも好成績を残し、アメリカのFOXスポーツが「熱狂的なサポーターを持つ世界5クラブ」に選出するなど国内外で注目を集めている。福田も「浦和レッズと言えばサポーターですから。クラブを支えてきたのは93年からずっとサポーターですよ」と認め、実際にJリーグでナンバーワンの観客動員数と営業収入(2016年度)を誇っている。

そんな浦和レッズが、どうして最初の2シーズンは最悪のスタートになってしまったのか? 福田は「浦和の前身となる三菱は、Jリーグ発足前はプロリーグに参加しないという意向を示していた会社。ヴェルディやマリノス、そして何もないところからジーコを呼んで準備を進めてきた鹿島など他クラブと比べて、プロとしての準備が遅れていたのかもしれない」と分析した。さらにスタジオには、その時代を象徴する“青色のユニフォーム”が登場。93年と94年のアウェー用ユニフォームで、これを着て戦った公式戦では一勝も上げることが出来なかったといういわくつきのもので、福田は「これはどこかに奉納してもらいたいですね」と苦笑いを浮かべていた。

しかし、95年にクラブ初の外国人監督としてホルガー・オジェックが就任したことで、その状況に変化が訪れる。福田は「ブッフバルトやバインといったドイツ代表選手が来たことでチームが変わったとよく言われるのですが、そういう人たちを適材適所に当てはめて役割分担をして結果を残したんです」と監督の功績を称え、“これは監督の仕事、これは選手の仕事、これはチームの仕事”と整理されたことで、チーム全体がまとまり4位へ躍進。福田自身も、味方を信じてゴール前で待つことの大切さを説かれ、初めてフォワードには忍耐が必要だと気付かされ、その結果、日本人初の得点王に輝いた。

98年には小野伸二が加入、チキ・ベギリスタイン(元バルセロナ)の活躍などもあり、チーム力は上昇したかに思えた。しかし翌年、浦和は残留争いに巻き込まれそのまま最終節へ。延長戦で福田がVゴールを決めて勝利したものの、90分で勝利をつかめなかった時点で降格が決定。この年の降格について福田は「(前年が好調だったため)99年は補強をあまりしないでいってしまい、そういうところで油断があったのかもしれない。それは監督だけではなくて、俺も中心選手だったから責任がある」と語り、「毎年のように強化していかないと置いて行かれてしまう」とサッカーの厳しさを語った。

また、最終節の延長戦で福田が決めた“世界一悲しいゴール”の話題になると、この時、泣き崩れる福田に対して対戦相手だった森保一(当時:サンフレッチェ広島)に「来年上がってくればいいじゃないか」と慰められたと告白。「ドーハの戦友ですごく仲が良いので、その時は感動しました。でも、時間が経ってから考えたら“(広島は)何も懸かってないんだから負けてくれればいいじゃん!”って思いました」と語り、MCの勝村政信から「福田さんが逆の立場だったらどうしますか?」とツッコミを受けると、「全力を尽くしますよね」と照れ笑いを浮かべていた。

しかし、J2降格後も主力のほとんどが残留した浦和は1年でJ1に復帰。そして、2002年に犬飼基昭が浦和レッズの社長に就任したことでクラブは大きく変わっていく。福田は「犬飼さんは、何が何でも優勝するという本気度があったし、覚悟を持って色々なことをしていた」と印象を語り、闘莉王、ポンテ、ワシントンと積極補強を実行。その結果、2006年に悲願のリーグ初優勝を果たし、さらに2007年には、アジアチャンピオンズリーグで頂点に立つなど、25年間の中で最盛期を迎える。

だが、2008年から再びチームは下降。この年、オジェック監督の下で勉強したいと考え、福田はコーチとしてチームにいたが、そこには「やりきった感」があり、監督と選手のパワーバランスも崩れ、内情は決して良くなかったのだとか。そして、クラブはリーグ戦2試合を終えたタイミングで監督を解任。それから2012年にミハイロ・ペトロビッチ監督が就任するまで、毎年のように監督が交代を続け成績は伸び悩むことになった。

ペトロビッチ監督が就任してからは勝ち点ベースでは非常に良い成績を収めたが、2度目のリーグ制覇は成し遂げられていない。福田は「クラブもサポーターもそこのところをしっかりと認識する必要はある。ビッグクラブともてはやされている感はありますけど、優勝するために何をするのかを真剣に考えなければならない」と問題提起。では、具体的に浦和レッズはどのように進化をしていくべきなのか? 福田は「プロフェッショナルな集団を作るべき」と語り、09年に指揮を執ったフォルカー・フィンケ監督に「現場は能力や実績で契約する。現場より上のクラブを運営する側にもプロフェッショナルな人を置くべきだ」と言われたことを例に挙げ、もし近くにいないのであれば、資金を投じてサッカークラブ経営ができるプロの社長やGMを呼ぶべきで、そこにOBであることやサッカーの知識は関係ないと論じた。

また「GOAL!!DEN WORD」のコーナーでは、ファンの間では語り草になっている福田の「負けないよ!」発言が紹介された。2002年の名古屋グランパス戦、残り僅かの時間帯で福田が同点ゴールを決め、延長のエメルソンの逆転Vゴールによって劇的勝利を収めた試合のヒーローインタビューで放ったこの言葉。福田は「優勝戦線に残っていたし、そこで調子に乗って言っちゃたんだね」と当時を振り返った。実はその試合の後、6連敗でシーズンを終え、結果的に現役最後のゴールに……。三浦に振られると「“勝てないよ……”」とつぶやき、「“負けないよ”って言えないんだよ」と笑っていた。

PICK UP