神様“ジーコ” 秋田豊と日本サッカーに伝えた“スピリッツ”を語る

公開: 更新:

元日本代表監督のジーコが、テレビ東京で8月20日、27日の2週連続にわたり『FOOT×BRAIN』(毎週日曜11:00~)にゲスト出演。20日の放送では、番組MCの勝村政信皆藤愛子、そして、番組アナリストで鹿島アントラーズ時代の愛弟子でもある秋田豊と共にその足跡を辿り、鹿島アントラーズに根付く“ジーコスピリッツ”について語り合った。

かつてブラジル代表としてセレーゾ、ファルカン、ソクラテスと黄金のカルテットを形成し世界を席巻したジーコ。一度は引退したが、91年に住友金属(後の鹿島アントラーズ)で現役選手として復帰し、国内最多の19冠を達成する鹿島の礎を築く。そして2006年には、日本代表監督に就任しドイツワールドカップで指揮を執った。日本サッカー界への多大な貢献が評価され、2016年に殿堂入りを果たした。

まず勝村は、世界の一流プレイヤーだったジーコがどうして日本にやってきたのかを質問。ジーコは、「日本サッカーがプロになる為に力を貸してくれと言われ、やりがいのある仕事だと思った。だから全てをなげうってこの仕事に懸けようと考えたんです」と当時の心境を明かす。しかし、選手としてのオファーだとは思っていなかったらしく、「監督やコーチとして呼ばれたと思っていたので本当に驚いた。現役の時にヒザを故障して、悪化の恐れもあったので2度とプレーするとは思っていなかった。人生は面白いものですね」とコメント。

ただ、実際に日本に来るとその環境に驚いたそうで、「自分の学生時代のようなロッカールームに土のグラウンド。世界の頂点にいてまさか40歳を過ぎてこんな変化に合うなんて。逆に楽しみました(笑)」と振り返った。一方で、現在とは違い、当時は日本でサッカー人気がなかったことでジーコのことを知る人はおらず、自転車で街を走るなど自由に行動できたことや、上野毛、大井町、東京と電車やバスを乗り継いで鹿島に通っていたことを明かした。

そして、秋田が大学時代にジーコに初めて出会った時の話題になると、住友金属との練習試合で鹿島に行った際に、ジーコがラインズマンをやっていたと明かし勝村と皆藤を驚かせた。するとジーコは「後ろから削ってやろうと思っていたんでしょ?」といたずらっぽく笑い、秋田は「ジーコさんだけにはそんなこと思ってないですよ。それ以外の人にはそう思っていますけど。それはジーコさんが教えてくれたことですよ(笑)」と2人の間柄が伝わるトークを展開。

鹿島時代の話題になると、秋田は「ジーコさんはすごく上手くて華麗だったけど、テクニックとかは教えてもらっていなくて“お前は戦っていればいいんだ! ぶっ飛ばすぞくらいの勢いでいろ”と言われていました」と告白。するとジーコは「選手の長所を出してやりたいんだ。秋田に切り返しとかを教えてもしょうがないでしょ。逆にそういうことを教えて変な選手になってしまうことがある」とその狙いを明かした。また、秋田は戦術練習について「“あと1m”という微調整や、押し上げのタイミングもすごく細かかった」と振り返り、ジーコは「鹿島では、各選手の良さを出す為に基本的な戦術を本当に何度も何度も反復させたんです」と話した。

そして、勝村が「プロ意識のないアマチュアの選手たちを前に、プロになる為には何から始めたのですか?」と尋ねると、ジーコは、最初に日本人を見て「おっかなびっくりやっている」と思ったそうで、「ミスを何回してもいいから1点取ろうというスピリットを教えるのには時間がかかりました」とコメント。秋田も「Jリーグが開幕した当初、もう40歳くらいでそんなに運動量はない。でも最後の笛が鳴るまでグラウンドに立ち続けて戦うんだっていうのを前面に出しているんですよ。これが本当のプロだって、そこで初めてわかりました」と、ジーコスピリッツの何たるかを明かしていた。

次回27日の放送でも、ジーコが本音を激白。日本サッカーの弱点に言及し、現在のハリルジャパンについても熱く語る。また、番組ではジーコのサイン入り番組オリジナルボールのプレゼントキャンペーンを実施。応募の詳細は番組ホームページをご確認いただきたい。

PICK UP