セクシービデオ界伝説の監督・村西とおるが語る“駅弁スタイル”誕生秘話

2017年07月28日 13:20

セクシービデオを撮り続けている伝説の監督・村西とおるが、7月27日に放送された『じっくり聞いタロウ~スター近況秘報告~』(テレビ東京系列、毎週木曜24:12~)に出演。“村西流”の撮影手法や、年商100億円という絶頂期後の借金地獄などを赤裸々に語った。

1984年にセクシービデオの監督としてデビューした村西は、“腋毛女優”の黒木香のはじめ、“眼鏡っ娘女優”の野坂なつみ、巨乳女優として活躍した松坂季実子、出演した作品全てが大ヒットした桜樹ルイら、トップ女優を発掘。さらに、現在のセクシービデオ界で使われている定番演出のパイオニア的存在でもある。

村西は、その中の一つである“駅弁スタイル”の誕生秘話を披露。「“駅弁”は、私が発明したわけではないんです。ただ、世に発表しただけ。(ある女性から)教わったんです」と、自らの体験が基になっているという。20歳ぐらいの時にホストをしていた村西はある日、和服を着た中年女性と出会い、夜を共にした。「相手は、お華の先生でした。その先生が抱き合ったまま“立って”と言うんです。そして“歩いて”と」という不思議なリクエストに戸惑いながらも言われるまま女性を抱きかかえて歩いたら今度は「“駅弁と言って”と言われたから駅弁って言ったら“弁当、弁当と言ってちょうだい”と、私は意味が分からないんですよ」と話す村西に、MCの名倉潤は「俺らも聞いていて意味が分からない(笑)」とツッコミを。

村西の話によると、お華の先生は「弁当」と言うたびに「ギャーっ!」と叫んでいたとか。それがエンドレスだったため「疲れるなと、力尽きて布団の上に寝ていたら柱のところに大きな額縁があって写真が飾られていたんです。そこには帽子を被ったおじさまが」。どうやら、その写真の男性はお華の先生のダンナさんだったようで「“亡くなった主人は、あなたが私にしてくれたように毎晩のように弁当、弁当……っ”て言いながらお華の先生が泣くんですよ。その時は“そうか”という感想で終わったんです」と、ここまでの話だけだと単なるホスト時代のエピソードなのだが、セクシービデオ界のレジェンドはひらめきの天才。その後、セクシービデオを撮り始めた村西は「誰でもやれることをやっているものを商品化していくということは、人類が相まみえたことのないようなことをお見せしなくてはいけない」と考え「そこで何かないかなと私の(記憶の)引き出しを開けてみたら、あの時の駅弁はどうかなと。そして、やってみたら大変ご好評を博しました」と、お華の先生との一夜がヒントになり、セクシービデオ界に大きな衝撃を与えることに。

1988年に、自身の会社「ダイヤモンド映像」を設立した村西は、オーナー兼監督としてヒット作を連発。1つの作品を撮ると約1億円の売り上げがあったようで「年商で100億ぐらい。オーナーだから使い放題なんです」と、月に1、2億を使うのが当たり前だったとか。その稼ぎは女優たちにもしっかりと還元。「2、3000万円ぐらいの1点ものの洋服をプレゼントしていました」と語り、時には5、6000万円使うことも。さらに 4階建てのヘリポート付きクルーザー、ピンクダイヤモンド、リムジン、ビル3棟なども購入。驚くような豪遊生活を送っていた。

しかし、バブル崩壊を機にセクシービデオ業界も不況に陥り、売り上げが激減。セクシービデオ専門の衛星放送事業の失敗と負の連鎖は止まらず、1992年に会社が倒産してしまう。村西は多額の借金を背負うことになるが、それでへこたれるような男ではない。借金返済のために、2年間で1500本のセクシービデオを制作。自らも男優を務めながら撮影するため、多い時は2日間で50人の女優を相手にしたことも。すると、村西の体にある異変が。「50人目との撮影が終わった時に、おしっこをしようとトイレに行ったら(大事なところ)の血管が切れていて、バーっと血が飛び散ったんです」と、自分の“分身”が限界を迎えた壮絶な過去を明かした。

この日は他に、スクープを連発した元フライデーカメラマンと筋トレダイエットでおなじみのカリスマトレーナーが“激ヤバ裏話”を大暴露した。

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