「ぷよぷよ」生みの親、年商70億から倒産の“落ちゲー”人生を告白

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落ち物パズルゲームの代表格「ぷよぷよ」の生みの親・仁井谷正充(65)が、10月22日(木)に放送された『ヨソで言わんとい亭~ココだけの話が聞ける(秘)料亭~』(テレビ東京系列、毎週木曜23:58~)に出演。年商70億円からアルバイト生活へと転落した人生の一部始終を告白した。

「ぷよぷよ」は、次々と落ちてくる色付きのブロック“ぷよぷよ”を消していくスピードを競う国民的パズルゲーム。1982年に仁井谷が立ち上げた会社「コンパイル」が開発し、発売から現在まで25年間売れ続けている。

開発の経緯は、4000万本売れた「テトリス」のようなヒットゲームを作りたいと思ったことがきっかけ。任天堂の「ドクターマリオ」に似た構想のゲームだったため、「パクリと思われなければ良い」と考え、任天堂に企画を持ち込み、作成許可が下りたので「パクリみたいですけどセーフ」な状態で作り始めたという。その思惑通り、1991年の発売以来、ファミコンバージョンは180万本、累計1000万本を超える大ヒットを記録。その当時の仁井谷の月収は、サラリーマンの平均年収以上、年収は1億円以上だった。

しかし、1998年に転機がやって来る。会社の従業員数を16年で400人に増やしたこと、「ぷよぷよ」以外のヒット作が出ないことが理由で資金繰りが出来なくなった。そこで、“ある会社”に「10億円を貸して欲しい」と交渉したところ、「ぷよぷよの権利を売ったことにしてくれれば良い」と言われ、いつか取り戻すつもりで借金。しかし、ますます経営が難しくなってしまい、とうとう「ぷよぷよ」の権利を買い戻せないまま倒産。仁井谷は70億円という借金を背負うこととなった。

現在、仁井谷は千葉県某所にある家賃5万円の2DKマンションで1人暮らしをしながら、アルバイトで生計を立てつつ、自作で“「ぷよぷよ」の次”のようなゲーム「にょきにょき」を作成し、再起を狙っているという。

この日はほかにも、『ビー・バップ・ハイスクール』で一世を風靡した俳優・清水宏次朗が、飲食店経営に失敗し、現在、更年期障害で酒がないと体が震えるという壮絶生活を語ったほか、グラビアアイドルとしてデビューしたが2年で引退、その後グラドルのマネージャーとして働いていた吉沢さりぃが、グラビア界の枕営業の裏話を暴露するなど、衝撃のエピソードが飛び出した。

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