北斗晶、がん闘病中に「もっと労われよ!」いつもと変わらない日常に救われる

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阿川佐和子が、毎回各界で活躍する著名人とトークを展開する『サワコの朝』(MBS/TBS系ネット、毎週土曜7:30~)。5月13日は、タレントの北斗晶がプロレスラーになったきっかけや乳がんの闘病秘話を語った。

タレントの北斗晶は、元女子プロレスラー。曾祖母の影響で小さいころからテレビのプロレス中継を見て育ったが、当時は「プロレスは怖い」という印象だったとか。ところが、高校時代に友人に誘われて、近くの道場で行われていたプロレスの練習を見に行ったことが人生の転機に。すっかりプロレスの魅力にハマり、プロを目指すため高校を中退した。その後、3500人のオーデションを勝ち抜いて全日本女子プロレスからデビュー。一躍、人気女子レスラーとなった。

“デンジャラスクイーン”と呼ばれるヒール役への転向は、メキシコでのプロレス興行がきっかけ。もともと悪役をやりたかったものの、顔が怖くないという理由から“善玉キャラ”で奮闘していた当時の北斗は、お客さんが呼べないと事務所から思われていたようで「ほとんど島流しのようなもの」と、メキシコ行きについて振り返った。プロレスが盛んなメキシコでは、日本人というだけで悪役的存在に。「ひどい時は石を投げられたりもしましたけど、段々楽しくなってきた」と、自分の新しいプロレス人生に手応えを感じたらしい。

そんな北斗の“記憶の中できらめく1曲”は、遠藤京子の「輝きたいの」。女子プロレスの世界を描いたTBS系ドラマ『輝きたいの』の主題歌で、プロレスの世界に飛び込んだ時に自分の思いを重ねながら聴いていたと懐かしい思い出話を披露した。

2年前の夏に乳がんが発覚し、長い闘病生活を経て昨年の11月末に仕事復帰。闘病中に同じ病気の患者さんたちに何度も励まされたことがあるため「今、自分ができることは元気な姿を見せるだけ」と、力強く話す北斗。夫の佐々木健介をはじめ、家族や周囲の人々の支えに救われたと感謝の気持ちを語った。

病人でありながら妻として、また母としての役目もこなさないといけなかった北斗。夫や子供たちに助けられたと言いながらも、退院後はいつもと変わらぬ忙しい日常が。「抗がん剤とかでつらい時も(子どもが)学校から帰ってきた時に“腹減った、きょう何”とか言うんですよ。健介も手伝うねと言っても、一回手洗いした食器をもう一度食洗機で洗ったりして。見ているだけでイライラするんです。ストレスにはなるんですけど、いつもと変わらずギャーギャー騒ぎながら“もっと労われよ!”って思ったりしたことが良かったのかも。笑いにかなうものはないなって思いました」と笑顔を見せた。

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