三田寛子、不倫騒動で見せた「神対応」を振り返る

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阿川佐和子が、毎回各界で活躍する著名人とトークを展開する『サワコの朝』(MBS/TBS系ネット、毎週土曜7:30~)。1月14日は、歌舞伎俳優・中村芝翫の妻である三田寛子が、親子4人同時襲名披露興業の直前に飛び出した夫の不倫報道について語った。

三田は15歳の時、ドラマ「2年B組仙八先生」で芸能界デビュー。アイドルとして歌番組やバラエティなどで活躍した。その後、歌舞伎俳優の中村橋之助(現・中村芝翫)と結婚。現在は梨園の妻として、今年の12月まで続く歌舞伎界初となる親子同時襲名披露興行を陰から支えている。

しかし、襲名披露興行が始まる直前、昨年の9月に夫の不倫報道がスクープされた。

「本当に必死だったんです。“ひどい”とか“何よ”とか言っているレベルではなくて、目の前にある“襲名”をきちっとしないといけない。家族の細かい感情よりも人様に迷惑かけちゃいけないこと、まずはそれをきっちりしてからという気持ちが強かったのかも」と、当時の思いを語った三田。襲名公演を成功させることに必死だったという。「客席を大入り満員にしなくてはいけない。切符を一枚でも多く売ることが妻の仕事」と、自分の感情は二の次であることを明かした。

また、不倫騒動の時に話題となったのが、三田のマスコミへの神対応ぶり。「本当に恥ずかしいぐらいで。あの時はお辞儀だけして一言二言のつもりだったんですけど、ふっと見たら女性の記者の方がずぶ濡れになって“三田さん! 三田さん!”って言っているんです。その姿をみたらお辞儀だけでは家に入れないなと。やっぱりここは一生懸命お話しようと思ったら、しゃべりすぎちゃった」と、昔と変わらぬほんわかとした笑顔を交えつつ明るく振り返ったていた。

そんな三田の姿に「そこが愛らしいんですよ」と阿川も絶賛。他にも、息子の友達が“怖い”と言って家に寄り付かなくなったり、“反抗期”に向けて喧嘩の仕方を勉強したという“三田流”の厳しい教育法を披露した。

番組の中で紹介された「記憶の中で今もきらめく曲」は、大好きだった母との思い出の歌である菅原都々子の「月がとっても青いから」。

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