『マツコの知らない世界』17000枚を収集「号外」マニアが持参したお宝の数々

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日常に潜む様々な“知らない世界”に精通したゲストが登場し、マツコ・デラックスにその魅力をプレゼンする番組『マツコの知らない世界』(TBS系列、毎週火曜20:57~)。10月18日は、小林宗之(32歳)さんが「号外の世界」を案内した。

■18年間で号外を17000枚集めた男
現在、算数の塾講師をしている小林さんは、中学2年生の時に初めて号外を入手。翌年、号外の展示会に足を運んで、その魅力にハマってしまったという。大学2年生で、初めて号外の展示会を開き、これまでに7回も開催。号外コレクションは17000枚を突破している。

■小林さん流の号外収集法
・スポーツ系は携帯のネット速報でゲット
号外が出そうな場所に行き、配布されるのをひたすら待つ。時には3時間くらい待って空振りに終わることもある。ネットでチェックする理由は、家にテレビがないから。

・時間との戦い
大体、どんなニュースでも約1時間以内に配られることが多いという。京都在住の小林さんは大阪駅に行くらしい。京都駅ではあまり号外が配られないため、時には“号外友達”と協力して収集することも。

・最低15部もらう
3部は保存用。その他は号外友達と融通し合ったり、後世のコレクターたちのために取って置くという。小林さん自身も先輩から古い号外をたくさんもらったとか。

■17000枚から厳選した号外セレクション
・西南戦争の戦況(1877年4月3日)
第29代内閣総理大臣・犬養毅が書いた歴史的号外。当時新聞記者だった犬養が戦地から送った貴重なもの。

・大正が終わり新元号が発表される(1926年12月25日)
東京日日新聞(現在の毎日新聞)がやらかした世紀の大誤報。大正の次の元号を「昭和」ではなく「光文」と発表してしまった。しかし、これが本当に誤報だったのか「光文」と出てしまったから土壇場になって変更したのか、真相は闇の中。ちなみに明治から大正に変わる時は、朝日新聞がいち早く号外で報じた。これは発表されてから出したケース。この一件があったからなのか、次は朝日よりも早く出したいという思いが“誤報”を招く結果になったのかもしれない。その後、昭和から平成に変わる時は毎日新聞がいち早く号外を出し、雪辱を晴らした(?)結果に。

・太平洋戦争終戦(1945年8月15日)
新聞社も知らなかった世界に一つだけの号外。今まで誰も知らなかった香川日日新聞の号外を小林さんが発見したとか。号外が出る1ヶ月くらい前に空襲で本社が焼けているため、小林さんは「市内で生き残っていた印刷機で刷ったんだと思います」と、当時の状況を推測。新聞社にも発行した記録が残っていない。

・東洋の魔女が金メダルを獲得(1964年10月24日)
東京五輪で女子バレーが金メダルを獲得した時、号外を地方に持っていくためヘリコプターで運ぶ「空輸特報」が出たとか。届け先に着陸する場所がない時は、号外にパラシュートを付けて落としていたという。その落下傘が、スタジオで披露。10kgまで運搬可能だという。他にも号外を配る際に着ていたハッピも紹介した。

・上野動物園でパンダの赤ちゃん誕生(2012年7月5日)
喜びの直後に悲しみが待っていた2本立て。誕生の1週間後に赤ちゃん死亡の号外が出た。


番組の最後には、今回の収録の模様をニュースにした号外が登場。朝日新聞が収録中に、取材・編集・印刷などを全て行い、計500部刷ったという。現物を見たマツコは「バカだねぇ、本当に(笑)」と苦笑い。

この日は他に、週5日は通っているという“ユザラー”の北島真紀さんが「ユザワヤの世界」について語った。

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