23歳で突然の余命宣告…人気絶頂のアイドルの命を奪ったスキルス胃がんと最新の治療法とは

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23歳で突然の余命宣告…人気絶頂のアイドルの命を奪ったスキルス胃がんと最新の治療法とは
23歳で突然の余命宣告…人気絶頂のアイドルの命を奪ったスキルス胃がんと最新の治療法とは

1984年、芸能界に突如現れ瞬く間に大ブレイクしたアイドル・堀江しのぶ。写真集は1年間で7冊以上出版し、週5本以上のレギュラー番組を抱える売れっ子に。しかし、早期の発見が難しいスキルス胃がんにより23歳で亡くなった。

1965年、愛知県で生まれた堀江しのぶ、本名・堀部しのぶ。

芸能界に入ると周りは細い子ばかりであることを気にしダイエットを始める。炭水化物を抜いてみたり、黒酢にたんぱく質の大豆を漬け食べたり、空いた時間を見つけ運動をしたりとなんでも試した。

それでもそれほど痩せず、その気持ちを当時の雑誌で「毎朝、毎晩必ず体重計にのるんです。それで500gでも減ってるとうれしくて、うれしくて。でも、なかなかやせないんですよね」と語っている。

が、異変は突然起きる。1987年10月、なぜか突然痩せ始めたのだ。ダイエットの効果だと思っていたがこれは病によるものだった。

4月上旬、ドラマの撮影中にお腹周りが膨らみ、数日前まで着ていた衣装がきつくなっていた。この日はガードルを着用し臨んだが、その1週間後貧血を起こし倒れ込む。その時、しのぶのお腹は臨月と思われるほどに膨らんでいた。

すぐに精密検査を行い、卵巣から腫瘍が見つかった。翌日緊急手術。一般的に健康な女性の卵巣は直径3cmほどだが、しのぶの卵巣はがんの影響で肥大化。握りこぶしほどの大きさになっていた。

お腹の膨らみは、がんが原因で起きた腹部に水が溜まる「腹水」と呼ばれるものだった。

そして切除した卵巣を病理検査。病理検査の結果、卵巣から胃がんの組織が発見されたのだ。つまり、元々は胃がんが原因だということ。

医師は両親に「卵巣は1つ取り除きましたが、お腹の中全体にがん細胞が広がっていて、全てのがんを摘出することはすでに不可能です」と告げた。

しのぶの胃がんは、胃がんの中でも最も悪質なスキルス胃がんだった。

スキルス胃がんは別名・びまん性胃がんとも呼ばれており、通常の検査で見つけるのが非常に難しい。
スキルス胃がんの明確な原因はいまだに不明だという。

スキルス胃がんの症状は普通の胃がんと変わらないが、初期症状が殆どなく末期段階になって気づくことが多い。しのぶの場合、チクチクとした胃の痛みとがんによる炎症で貧血が起き、がん末期の症状の一つである腹水が溜まってしまった。体形の変化については、がん細胞の物質に、食欲を低下させ筋肉や脂肪を燃焼させる働きがあり何もしなくてもエネルギーが消費される作用があることにより、そのため急激に痩せたと思われる。

医師は、複数の臓器に転移しているため余命3か月だと、両親と当時の所属事務所・イエローキャブの野田義治社長、マネージャーに告げた。

話し合いの結果、本人には良性の卵巣嚢腫と伝えることにし、世間にも「堀江しのぶは卵巣嚢腫」と発表し休業。

医師はしのぶの帰郷を勧め、4月下旬、愛知へと戻ることになった。

そして親子で5年ぶりに家で過ごしていた。両親はこんな生活がなんとか続かないものかと祈るしかなかった。

しかし5月下旬、高熱と倦怠感が続き再び入院。母は泊まり込みで看病した。母はしのぶに気づかれないよう、しのぶの前では元気に振る舞っていた。

しのぶは「全然退院させてくれないし、私違う病気とかじゃないよね?」と、次第に自分の症状を疑うようになっていた。

そんなしのぶの不安を一掃しようと事務所が考えたのは、病室に記者を招き入れることだった。実際の記事では【堀江しのぶ 卵巣喪失 急減ダイエットの恐怖】という内容が4ページに渡って特集されていた。これを見たしのぶは、自分は卵巣嚢腫だと改めて信じたという。

だがそれから約3か月後、「今夜から明け方にかけてが峠だと思います」と両親に医師から告げられる。

大好きな人たちが見守る中、家族の愛、事務所の配慮、医師の治療などで宣告された余命より2か月長く生き、1988年9月13日、短い生涯を閉じた。

しのぶは闘病中に彼女は絵を描いていた。母が「なんで絵を描くの?」と聞くと「仕事に復帰した時、入院中何をしていたの?と聞かれるからそしたら、この絵を見せるの」と明るく語ったという。そんな彼女の想いが詰まった絵を家族は今も大切に保管している。

そして先月、スキルス胃がんに効果が期待できる新薬が国に承認された。ゾルベツキシマブという抗がん剤だ。

この新薬を従来の抗がん剤と併用して使う事で新たな希望があるという。